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馴馬城(茨城県龍ケ崎市) 2019年3月

馴馬城の歴史

龍ケ崎市歴史民俗資料館の裏手にある馴馬城。南北朝動乱の時代に存在した南朝方の拠点の一つとして名高い。龍ケ崎市史には詳しい歴史。南北朝動乱激しかった常陸・下総地域だが、南朝方の関城・大宝城落城(1343年)によって急激に鎮静化。北畠親房は吉野へ逃げ帰り、春日顕国も行方をくらます。1344年に潜伏していた春日顕国が再起し、馴馬城に籠って抵抗。北朝方の宍戸朝里が馴馬城を攻略。しばらくの間、春日顕国は一帯で神出鬼没な戦いをするものの、捕らえられ、京都で処刑される。馴馬城の攻防によって一帯での南北朝動乱は終結した。

馴馬城は南東に突き出した台地上に立地するが、先端部分はすでに失われているようだ。あまり明確な意向を残していないことを龍ケ崎市史が強調しているが、そのこと自体が南北朝時代の古い城郭であることを示しているともいえるようだ。

撮影地点

現地解説板に撮影地点を記す。

馴馬城の遺構

地点Aから土橋を眺める。後世の改変も加わっている可能性はあるものの、城としての土橋も存在したのではないかと龍ケ崎市史。
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堀切を地点Bから眺める。
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曲輪IIにある塚のような、または櫓台のような盛り上がりを地点Cから眺める。盛り上がりの上には馴馬城址を示す看板が立つ。
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地点Dから、再び堀切を眺める。
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地点Eから、眺める切通しも気になるが遺構だろうか。
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城郭遺構というには規模の小さい方形土塁に囲まれる石祠を地点Fから眺める。
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