筒戸城(茨城県つくばみらい市)
歴史と立地
「東葛の中世城郭」によると、中世の下総相馬氏は本拠を守谷城とし、筒戸城・高井城・高野城・布施城を支城として、常陸川(現在の利根川)や古鬼怒川(現在の小貝川)流域一帯を支配。カシミール地形図で味わう。
図説・茨城の城郭によると、筒戸城は戦国末期には小田原北条氏方として、多賀谷氏方の白井全洞の攻撃を相馬領最前線として受けるも1589年の戦いでは撃退。牛久沼周辺は血みどろなことになっている一方で、相馬氏領は古鬼怒川によって守られたか。常総戦国誌の舞台をカシミールスーパー地形で改めて地図化。
撮影地点
城域を巡る
まずは二の丸にあったらしい禅福寺を訪ねる。
筒戸城の解説看板は禅福寺南西の道路沿いにひっそり立っていた。山門の前ではなかったため、探すのにやや苦労。
筒戸城の二の丸にある禅福寺。平将門建立の密教寺院を源とし、1345年に禅宗寺院として開山と日本歴史地名体系。筒戸城の歴史より古そうだ。
地点Aの空堀と土塁を立体視。現在の城域ではよく残っている遺構らしい。
地点Aの空堀と土塁を堀底からも立体視。
地点Bあたりの低地から土塁を見上げているつもりである。なんだかよくわからないが、カシミールスーパー地形で眺めると確かに土塁状の盛り上がりが見える。低地と台地の間の比高は5m程度。
地点C。空堀が推定されている場所。高低差を感じ取ろうとするも、よくわからない。
地点Dから、谷津と台地を実感する。谷津を抜けると小貝川。
筒戸城全体を北東の低地から眺めて探訪を締めくくる。