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息苦しさからの脱し方が分からない

先月幻覚剤を摂取したら、息苦しさから解放されたのだが、またその息苦しさが戻ってきた。

今日も布団に入ってもなかなか寝付けず、「苦しい」と呟きながら涙を流してみた。

このあとも寝られる気がしなかったから、PCを開き、このnoteを書いている。

この人みたいになりたいと思える人がいない。自分がその人と同じことをするのを想像すると、たとえそれがどんな人であっても、しんどさでいっぱいになるからだ。

テレビをつけると、ニュース番組ではアナウンサーが原稿を読み上げているが、カメラを向けられている中で噛まないように話し続けるプレッシャーを想像してしまい、息苦しくなる。

外を散歩すると、走りながらゴミを収集する人、工事をする人、引越しをする人、お店の店員さん、色んな働く人が目に入るが、大変そうだなあという気持ちが溢れる。

ニートの知り合いを見ていても、それはそれで大変そうだなあと思う。

恋人との様子をインスタに投稿している友人を見ても、お互いに相手に見合う人間であるために努力したり、喧嘩したり、気遣いながらデートしたりしているのかなと考えると、なんだか羨ましいとも思えない。

インスタを開くと可愛い水着美女が出てきたりするが、彼女たちにもどこか同情してしまう。

本を読んでいても、その本が私の手元に届くまでの筆者の苦労、校閲者や編集者、出版社、運送業者など、さまざまな人たちの労力を想像すると疲れてしまう。

今日は仲良しの友人たちと新年会をして、いつも通り笑い転げたが、帰り道では息苦しくて溜息が止まらなかった。

一体何を楽しみにこの先も生きていくのだろう。気休め程度にしか思えない楽しみを糧にどうして生き続けられるのだろう。

とりあえず退屈なりに、少しでも興味が湧く本を読み漁ったり、適当に企業に応募して選考を受けたりして過ごすことにする。

もしかしたら生きる気力が湧くきっかけになる本と出会えるかもしれない。いざとなった時に本が命綱になってくれることだってあるだろう。新たな企業で働き始めたら楽しくなってくるかもしれない。その企業での人間関係やお金によって救われることだってあるだろう。

1人で苦しさと対峙するより、こうやって文章を書いている方がずっと楽だ。

たとえ他の人にとって読めたもんじゃない文章だっていいのだ。

こうしたある種の開き直りをすることで、私は私の人生の舵を取り始められる気がする。

せめて文章くらいは前向きな言葉で締めたい。




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