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駄文を公開することで鬱憤を昇華する

私は今どうしようもなく苦しい。

もう何年も苦しいけど、先月彼女に振られて、苦しさの閾値を超えた。

ひたすら散歩したり、読経したり、写経したり、瞑想したり、泣き叫んだり、壁を殴り続けたり、筋トレしたり、本を読み漁ったり、映画や演劇を鑑賞したり、ライブハウスに行ったり、貧乏揺りをしたり、暴飲暴食したり、たくさん寝たり、色々試みている。

しかし耐え難い。この現実をどうにも受け入れられない。

気持ちを切り替えられない。

全力でブレーキをかけながら、ずるずると生き延びる日々に終止符を打ちたい。

人には見せない日記をこうしてnoteに書き残して友人の目に晒されることで何か変化があるかもしれない。そんな一縷の望みにかけて、この文章を書く。

記憶力があるね、文章力があるね、視点が独特だね、そんな言葉をかけてもらってちっぽけな承認欲求を満たして何になるのか。このままでは山月記の李徴のように虎になってしまう。何もしなければ可能性の中で生き続けられるけど、そんなのは惨めだ。たとえ力不足だとしても、どんどん応募して、どんどん作って、どんどん話して、立ち向かおう。駄目だったらそんな自分を全力で笑ってやればいい。

手に入れたい何かがあって、それを目指して今できることをやるのだ。そしてその一瞬一瞬を堪能するのだ。もう駄目だと決めつけるのはまだ早い。人間万事塞翁が馬なのだ。何がどう繋がるのか分からないんだから、一見すると手に入れたい何かから遠ざかりそうなことも後ろめたさを感じるだけでなく、楽しむのだ。


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