『偏心――重症心身障害児(者)の妹・イン・ザ・ダイアローグ』第十五話

Text by:たくにゃん

「あゆちゃんち」の声を聴く

 こうして振り返ると、2017年は前年に起こった相模原障害者殺傷事件の影響もあってか、重症心身障害児(者)に関する映像作品や書籍が最も充実した一年だった。その極めつけが、NHKのドキュメンタリー番組『亜由未が教えてくれたこと“障害を生きる”妹と家族の8800日』だ。制作者であるNHK青森放送局のディレクターで重症心身障害児(者)の妹を持つ坂川裕野さん(当時26~27歳)が、妹の亜由未さん(当時23歳)の地域自立生活にカメラで迫った番組である。
 亜由未さんの“地域自立生活”の最大の特徴は、その生活の場が“実家”であるという、一見して矛盾しているかのような取り組みにある。彼女は自宅をコミュニティスペース「あゆちゃんち」として開放し、イベントを開催するなど様々な活動を行っている。単に両親やヘルパーの介助を受けるだけの日常生活を送っているわけではないのである。
 母・智恵さんによれば、現実問題として、亜由未さんが一人暮らしをするとなると、どうしても介助者不足が起こってしまう。というのも、彼女は医療的ケアが必要で体調も崩しやすく、夜間は一時間ごとに体位交換を要する。そこで、智恵さんは自分を介助者の一人としてカウントしても、それを“自立生活”と見なすこととした。
 さらに、実際に亜由未さんが地域に出ようとすると、トイレや体位交換ができる場所が限られているなどの困難がある。自宅でイベントを開催すれば、亜由未さんがわざわざ町へ繰り出さなくても、地域の人が自宅に来てくれる。いわば、自宅に”地域”を取り込むことに成功しているのだ。
 亜由未さんは重症心身障害児(者)でありながらも地域自立生活を送り、様々な人たちと関わる中で幸せに暮らしている。裕野さんは、番組の中で制作の動機について自ら語っているように、こうした現場の存在を世に広めることで、植松聖やその思想に同調する人たちに対抗しようとした。

  「『あゆちゃんち』は素敵ね。裕野さんもしっかりしているわ」

「そういえば、親父が『沙也香を家で介助して、カフェをやれたら良かったのに』って言っていたなあ」

  「まさに『さやちゃんち』ね」

  「実際には、お母さんが肉体的にも精神的にもやられていって、沙也香が中等部に上がるタイミングで入所させるしかなくなった時点で、叶わぬ夢になったわけだ」

  「お母さんが悪かったわけじゃないけどね」

 ところで、智恵さんは重症心身障害の本質は、「経験障害」なのだと語っている。

 亜由未は、自己選択・自己決定する際の判断材料が、健常者に比べて圧倒的に少ない。障害のせいで、情報に触れたりたくさんの経験をしたりすることが、どうしても難しいからだ。重い障害によって生じる、健常者との圧倒的な経験の差こそ、亜由未の経験障害に他ならない。

『亜由未が教えてくれたこと』P173

 「経験障害」は智恵さんの造語だが、目から鱗が落ちる的確な見立てだ。「経験障害」を克服するためにも、地域自立生活が重要になってくるのである。とはいえ、重症心身障害児(者)の地域自立生活のハードルは高く、第十四話で考察したように入所施設の必要性は大きい。しかし、「あゆちゃんち」のようなケースもあり、地域自立生活は決して不可能ではない。重症心身障害児(者)の暮らしの在り方に、さらなる多様性が出てくことを期待させられた。


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