半批評宣言──書くこと、それ自体へ

Text by: たくにゃん

 7月の3連休初日。日々の仕事を頑張っている自分を労ってそれからの日々もまた頑張っていくため、貯金を切り崩して湯河原にある島崎藤村ゆかりの旅館に泊まった。
 夕食前の内風呂、露天風呂に続き、夕食後に半露天風呂に入ったときのことだった。
 浴槽から出て、縁側のようなスペースに寝転がって外気浴を開始した私は天啓にうたれた。
 「半露天風呂ならぬ、半批評で良いじゃないか」と──。

 遡ること丸9年。2013年7月25日、本誌メンバー3人が受講生として出逢うこととなる「映画美学校 批評家養成ギブス 第2期」が開講した。
 批評家・佐々木敦(敬称略、以下同)が主任講師を務め、半年間で批評という技術を一から学ぶ講座だ。
 全20回の講義には、特別講師の東浩紀や大澤真幸、四方田犬彦をはじめ、渡邉大輔、石井千湖、松村正人、九龍ジョー、金子遊というそうそうたる講師陣が名を連ねていた。

 講義はとても有意義だったうえに、講義後は毎回のように先生を含めて飲み会が開かれた。そこでは受講生同士の交流も活発に行われ、批評の同志を得ることにつながった。有志で批評同人誌を出すことになり、2013年11月に『スピラレ 創刊号』を文学フリマ東京で発売。講座が終わってからも、文フリに合わせて半年に1回ほどのペースで同人誌を発行した。

 同人活動は、2016年5月の文フリで『スピラレ vol.5』を発売したのが最後になった。しかし、それを足がかりにライターや編集者にステップアップしていった同人が目立った。『スピラレ』は同人たちにとって、一定の役割を終えた。ただし、「批評家養成ギブス」で学んだこと、すなわち『巨人の星』の「大リーグボール養成ギブス」ならぬ「ギブス」をはめた状態は、継続していた。

 どういうことか説明するために、以後、私たち本誌メンバー3人がそれぞれ切り開いてきた道筋について簡潔に紹介したい。
 安里和哲はうだつの上がらない実生活を赤裸々に綴ったブログで名を上げ、2018年(?)頃からカルチャー雑誌で歌手や芸人のインタビューやライティングの仕事を得て、現在はフリーライターとして『週刊SPA!』や『ブルータス』など多数の媒体で活躍。売り上げ第一の商業誌の世界で、芸能人や文化人の深層までもを表現する真摯な記事執筆に心を砕いている。
 aは大学院に入りカウンセラーの資格を取り、2019年より契約社員として精神科クリニック、総合病院小児科等で子供から大人までを相手にカウンセリングや心理検査を行う傍ら、今年5月の文フリでは寄席通いの様子を伝える初めての個人ZINEを発刊してみせた。そのZINEには臨床思考や精神分析学などアカデミックな知識・経験をまぶしたエッセーが収録されている。
 私、たくにゃんは場末の編集プロダクションに潜り込んだ後、19年から小さな新聞社の正社員として福祉系紙媒体の編集記者をしながら、『アラザル』や『失格』といった同人誌で「障害と芸術」をテーマにした物書きを続けてきた。『neoneo』や『対抗言論』に論考を寄せたこともあるが、最近は批評とエッセーの中間のような文章に可能性を感じている。

 そう、誰も「批評家」デビューはできていないうえで、良く言えば「批評」という技術を学んだ経験を原点として、悪く言えば「批評」という枠(ギブス)に囚われて、自分の「文学」(芸術)を成そうと模索し続けているのである。たとえば、特別講師たちの新刊を読み、講師陣の仕事ぶりを仰ぎ見る度に、自分もこういう文章が書きたいとか、ああいう仕事ができたらと思ってきた。だが、自分に書けないものは書けないし、できない仕事はできない。現実を直視することは、恐いというより、非常に難しいことだ。

 ようやく、本題の「半批評」である。
 私たち3人はこれまでのところ、「THE 批評」は書いていない(書けていない)。とはいえ、「批評」要素がまったくない文章を書いているわけではない。むしろ、いかにして「批評」的な文章を書くか、あるいはそのためにどのようにして「書く」を駆動させるかについて、この6年間一人で模索してきたのだ。そしてようやく、このことに気付き、それを肯定するための言葉と契機を得たのである。

 私たちはここに、「半批評」を肯定することを宣言する。
「THE 批評」じゃなくていい。
 書き上がった文章が、批評とエッセーのどっちつかずのように見えても構わない。
 それが「批評」という技術を生かして真摯に文章を書こうとしているのであれば。
 むしろ、「THE 批評」に囚われて、本来の自分を見失った文章を書き上げてしまうことこそを忌避する。
 私たちは少し真面目で、不器用すぎたのかもしれない。

 2021年?月(?)、私たちの師匠である佐々木敦は批評家卒業を宣言した。思考家と称して小説を執筆するなど表現の幅を広げながら、私たちの先を走り続けている。ならば、私たちは「半批評」を志向し、「批評」を卒業する。それは門下生の王道を行き進むことかもしれない。

 ──ひょんなことから私たちが3人だけで集まったのは、私が湯河原へ行く前々日が初めてのことだった。そのとき、近くZINEを出すということは確定していたが、特集テーマは3人の生業にしている「聞く力」にしようという話になった。私には違和感があったが、それが何なのか解らなかった。今なら解る。私たち(のZINE)に何より必要なものは、特集テーマではなく、「書くことそれ自体」なのである。

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