日向坂46への恨み言・1

君と出会うまで何かがいつも足りなかった。

2020年某日。
確か、夏頃だったと記憶している。
秋頃だったかもしれない。
私は『日向坂で会いましょう』の切り抜き動画をたまたま目にした。
その内容は『齊藤京子のクレーム対応』だった。
「お客様は常識を知っていますか?」
彼女のその一言が私の人生を変えた、と言って過言ではない。
『オードリーの椅子破壊事件』は流石に知っていたけれど、アイドルなど名前も知らないし知る気もない、という私の常識を、彼女の澄み渡るような美しい低音が見事に破壊してくれた。
それから少しずつ、YouTubeで『日向坂で会いましょう』の切り抜きや違法アップロードの本編(当時はLeminoやdTVなどというものが無かったのだ)を漁るようになっていた。
気が付けば彼女たちが私の中心になってしまった。
特に私の心を打ったのは松田好花さんだった。
ファンの記憶には古いかもしれない『ひらがな推し』の『キン肉マン企画』にて、彼女の持ち前の勤勉さと真面目さが輝いたあの瞬間を後追いで目撃したあの日。
君のその仕草に惚れちゃって、あっという間に虜になった。
かくして、私は『おひさま』という存在になっていたのだ。

2021年5月26日、5thシングル『君しか勝たん』発売日。
私は初めてアイドルのCDを手に取ってレジへ向かった。
アニソンのCDを1枚買ったことがあるだけの私にとってそれは、ある意味では人生最大の買い物だったと言える。
その時買ったのは1枚。
どのTypeだったかは忘れたが、特典映像の『真夜中の松田さん』が目当てだった。
当然それまでも日向坂のことは好きだったのだが、それが私が初めてちゃんと買った日向坂のCDだ。
一度お金を払い出すと、堰を切ったようにお金を払い出す。
それがオタクの生態だろう。
私も例に漏れず、この頃から積極的にお金を落とすようになっていた。
とても楽しい時期だった。
何も考えずただ「推しが可愛いですブヒブヒ」と鳴いていた時期だ。
あの頃はお金を払うことが幸福だったし、あの頃に戻れるとしても私は変わらず日向坂46にお金を支払うだろう。
むしろ、その頃トークを購読していなかったメンバーの分も購読したい。
とにかく私の人生が一番潤っていた時期と言っても過言ではない。
間違いなく私は幸せだった。

2022年3月30日・31日、東京ドームにて『3回目のひな誕祭』が開催された。
思えば、この日が『私の理想の日向坂46』が最も輝いていた日だった。
私の中で何かが翳り出したのもこの頃だ。
7thシングル『僕なんか』のサプライズ披露。
イントロが流れ、センター以外のメンバーがしゃがむ振付。
初披露ゆえにそこでセンターが初めて分かる、という仕掛け。
センターは小坂菜緒だった。
それを理解した瞬間、私は初めて日向坂46に対して不信感を覚えた。
当然、小坂菜緒のことが嫌いな訳ではない。
彼女のポテンシャルがセンターというポジションに相応しいことも理解できる。
しかし、9ヶ月ほどの休養期間を経て復帰して間もない彼女に対して、私は信頼など出来なかった。
『病み上がりの人間をいきなりセンターに据えるという運営の判断』を、私は信用できなかったのだ。
正直『東京ドームで7thシングルに関して何かサプライズで発表されるだろう』という予想は付いていた。
当時を知るオタクは皆そうだっただろう。
そういう予想に付随するものと言えば『フォーメーション予想』だ。
誰がセンターか、誰がフロントか。
そんな予想をする中で、私はこう考えていた。
「病み上がりの小坂菜緒にだけは、1列目に立ってほしくない」と。
今思えば、それがどういう感情だったかハッキリは分からない。
『体調不良だった人間に対する心配』なのか『センターを4作も務めたのだからそろそろ引き下がってほしい』と思っていたのか。
この時はあくまで『日向坂46にはもっと幅のあるグループになって欲しい』という純粋な気持ちだった。
もっと色んなメンバーがセンターを経験して欲しい、と思っていた。
人気の有無に関わらず、色んなメンバーに色んな経験をして欲しい。
そう思っていた私にとって、今考えてみれば小坂菜緒は邪魔だったのかもしれない。
しかし7thシングルのセンターは彼女だった。
彼女を中心に据えたフォーメーションを見た時に、言い知れぬ違和感を覚えたのだ。
いつまでも彼女にばかり頼っていてはグループ全体の成長さえも妨げるのではないか、と。
当時もかなりTwitterに不満を書き込んだ記憶があるし、正直今でも同じ熱量でこの苛立ちをインターネットに吐き出せる。

私から日向坂46に対する好感度が下がる事件はそれだけではなかった。
渡邊美穂の卒業発表。
私にとって、初めての卒業発表だった。
ハッキリ言って、信じがたい出来事だった。
日向坂46はこの世で一番美しいグループであり、そんなグループから卒業しようだなんて。
私はきっとそういう風に思っていたと思う。
もちろん、ファンの立場では分からない、メンバーの立場でしか分からない事情などがある事ぐらいは流石に理解できる。
しかし私にそんな冷静さは無かった。
日向坂の運営に対する不信感はさらに募る。
渡邊美穂の卒業は止められたのではないか。
運営にとって彼女という存在は、卒業を引き留めるほどの大きな存在ではなかったのだろうか、と。

後になれば、この時はまだ最悪ではない、と分かる。
2022年6月28日、『渡邊美穂卒業セレモニー』開催。
ハッキリ言える。
このライブこそが日向坂46史上最高のライブだった。
セットリストも演出も、とにかく私が日向坂46に求めていたものが全てそこにあったようにさえ思えた。
『メンバーの卒業が嫌だ』という気持ちは流石に変わらないが、同時に『こんな風に送り出してもらえるのなら、卒業だって一概に悪いことではないかもしれない』とも。
日向坂46に対する不信感は拭い去れた、とこの時は思っていた。

今になれば分かる。
2022年6月28日は、日向坂46の命日だったのだ。

8thシングル『月と星が踊るMidnight』。
宮田愛萌が、このシングルでの活動をもっての卒業を発表。
彼女の活動内容とそれに対するグループ全体の動きに対して、拭い去れたはずの不信感はより深い傷跡として現れた。
宮田愛萌の最後の活動内容は、ミーグリ参加と書籍関連の活動のみ。
グループの活動には参加していなかった。
体調面を考慮しての卒業ということで、活動が無かったこと自体に不満がある訳ではない。
しかし、それを取り巻く運営の動きは不誠実だったように思える。
『宮田愛萌はライブに参加しません』
それ以上の公式発表などは何もなかった。
どうして彼女は活動をしないのか、そこまで極端に制限しなければならないほどに彼女の体調は悪いのか。
事実がどうなのかは結局分からないが、考えなくてもいい余計なことを考えさせられた、という事実は私の抱く不信感をより深いものにしていった。

9thシングル『One Choice』。
こちらもフォーメーションに関する不満だ。
腰の不調を公表していた丹生明里をセンターに据えたこと。
ミーグリ1次完売の常連組であるにも関わらず、松田好花がフロント入りすらできないこと。
新3期生が3列目に幽閉され続けていること。
少しの不満点であれば、私の見方が偏っていただけ、と思えた。
だが…少しだけと言うには不満点が多すぎた。
日向坂46に対する熱が私の中で冷め始めたのは、思えばこの時期からだったのかもしれない。

10thシングル『Am I ready?』。
冷めていた私が、唯一手放しで褒めたいと思ったシングルだ。
初センターの上村ひなのと、初フロントの松田好花。
たまたま私が今までのフォーメーションを気に入らなかっただけで、このシングルのフォーメーションは私の好みであり、理想だったのだ。

私の好みは偏っていたのだろうか。
結果として、売上は伸び悩んだ。
大多数のファンにはお気に召さなかったのだろうか。
この時私はこう思った。
おひさまって連中は見る目の無いゴミクズばかりだ、と。

それでも私は、まだ日向坂46を好きでいたかった。
伸び悩んだのはおひさまにセンスが無いから。
その時の日向坂を褒めないようなツイートをしていたアカウントにレスバトルを仕掛けて言い負かしてやりたい、とすら思っていた。

2ndアルバム『脈打つ感情』、そのリード曲『君は0から1になれ』。
センターは佐々木久美。
それが発表された時、私はこう思った。
『佐々木久美さん、おめでとう』と。
個人的に1期生の中で一番好きなメンバー、一番可愛いと思うメンバーこそが佐々木久美さんだ。
私はこうも思っていた。
『佐々木久美さんを応援し、センターを担当することを祝福できないオタクは、日向坂46には必要ない』と。
実際にそうやって排斥するために動くほど私は愚かではないが、極端に偏った思想を持っていた私はこのフォーメーションも好意的に思っていた。
しかし、またバカなおひさま共はこのフォーメーションにケチをつける。
そして『曲が悪い』と難癖を付け、日向坂を取り巻く環境はさらに悪くなっていく。

思えば、日向坂46は常に逆境の中に晒されていた。
運営の判断一つで回避できた逆境。
センスの無いオタクが騒ぎ立てて陥った逆境。

このグループはどこから間違えていたのか。
どの二択で、何を選べば。
全ての選択肢を間違えていたようにも思える。
どこでどうすれば、例えば紅白落選などせずに済んだだろう。

そして、私が完全に絶望する日がやってきた。
2024年2月26日に放送された『日向坂で会いましょう』にて。

『11枚目シングルより、選抜制を導入します』

その一言が、私を絶望させた。

『以上が、11枚目シングルのフォーメーションです』

その一言が、私を絶望させた。

『センターは、正源司陽子です』

その一言が、私を絶望させた。

何もかも全部が、私の知らない日向坂46だった。
一番こうなって欲しくないと思った日向坂46だった。

今こうやって文字に起こすだけでも、胃の中がひっくり返るような感覚がする。
私が愛した日向坂46は、私の求めた日向坂46は、私が一番望まない姿で、私が一番憎んだ姿で現れた。

もうすぐ1週間が経とうとしている。
でも私はまだ冷静でいられない。
ちゃんとした文章は書けていないだろう。

このnoteを開いてくださったあなたに出来る限り私の気持ちを伝えたくて、まずは私が完全に絶望するまでの道のりを記した。

これがプロローグ。
ここまでが前置き。

続きはいつ書き上がるかも分からないけど、私の気持ちはこういう書き散らす形でここに記していこうと思う。

これが私の遺書だと思ってくれていい。
あるいは、犯罪予告かもしれない。

小学校以来起こさなかった癇癪を、成人して久しぶりに起こしてしまいそうなのだ。
自分の気持ちがどうなのか、自分でも分からない。
この怒りを、誰にぶつけるか。
この嘆きを、誰に伝えればいいか。

いずれ私の人生のデジタルタトゥーとなるだろうが、せめて少しでも冷静になりたくてここに刻んでおこうと思う。

汚い文章を見せてしまってごめんなさい。
続きはそのうち書きます。

ごきげんよう。

【追記】意見などありましたら↓の質問箱で回答します。

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