俺を異常者と思うか?

英雄イカロスの神話。
それぐらいはインターネットに生きるあなたもご存知の筈。

人の身でありながらも太陽をも掴めると信じ、蝋で固めた翼をその身に纏い、しかし太陽という圧倒的な存在に適うこともなく、その蝋の翼ごとその身を灼かれ儚く散っていった、神話の英雄。

現代を生きる人にとっては『太陽に近付けばその熱に容易く溶かされる』だなんて、そんなの常識。タッタタラリラ。

しかし、私は思う。
その神話の時代であっても、普通の人間ならばイカロスを止めただろう。
そんな愚かな行為はやめろ、と止める人間だってきっと居ただろう。

ならば。
イカロスは、なぜ飛び立つその一歩を踏み出せたのか。

彼を止める人間は居なかったのか。

彼は止める人間を振り切って空を目指したのか。


さて。
時は現代、2024年。
場所は日本。カタカナ英語で言うとジャパン。

現代にもかつて、大いなる灼熱の太陽すらその手の中に掴めるであろう、とさえ信じられていた、小さなアイドルグループが在った。

その名は日向坂46。
紆余曲折を経て、一度は目と鼻の先ほどの距離まで追いすがった栄光を目前にして、愚かにも掴むのを諦めたグループだ。

イカロスは何が間違っていたのか。
蝋の翼だから溶かされたのだろうか。
そんな、急に物理学みたいな話をわざわざ神話というカテゴリーの世界に持ち込むのは正しいだろうか。

きっと、イカロスという人物は、大衆に対して無茶な目標を宣言したとしても。
それを信じさせるような、そんな強さを持っていた。
『愚かな負け戦でも、勝てるかもしれない』
そう思わせるほどの『凄み』が、イカロスという人物には確かにあったのだ、と私は思う。

かつて日向坂46を妄信していた頃のは私もまた、そういう風に思っていた。
彼女たちならば、栄光を掴み、伝説となる。
そう信じていた時期が、僕にだって確かにあったのです。

しかし。
あろうことか日向坂46がその身に纏っていたものは、蝋よりも脆く翼の形さえも成していない、翼のような何かを身に纏っていた。
そんな姿で私の前に現れた日向坂46を目の当たりにして、ようやく私は妄信という夢から醒め、悪夢よりも酷い有様のその現実に絶望する事となる。

そんな姿で太陽を掴めたのだとしても、醜く愚かなその翼で手にした栄光になど、何の価値があるのか。


【全員選抜】という誇り高き翼を破り捨てた日向坂46。

私は何を見せられているのだろうか?
頬を抓って感じるその痛みは、しかしこの悪夢のような現実から逃げ出すことを許さない。

【選抜制度】という愚かで下劣なその翼で舞って見せたところで、私の心に巣食う怒りと憎しみが日に日に増していくだけだ。

なぜ、誰も否定しない?

どうしても許せないものが二つある。

『選抜制を導入することを決めたグループ側の大人たち』
『そんな愚かな選択を、否定もせず何も考えずに平然と応援していられる、思考能力の腐り落ちたおひさまという名の愚民たち』

愚者とは始まりを示すアルカナ。
だがそれは、終わりの始まり。
バッドエンディングの予兆。

私はあくまで、善き未来のために敬虔に生きたいと思っている。
しかし、この絶望を止めるための手立てが、今の私には無い。

それこそが絶望なのだ。
推し活、という綺麗な言葉の行き着く果ては、どこまでも穢れ切っている。
私がどれだけ嫌がっていても、推しという生き物は私が嫌がる方向へと真っ直ぐに突き進む。
しかし離れられないから推しなのだ。
簡単に離れられたら、推しになどならないのだ。
惨めに勝手に死んでろ、なんて言えたならもっと楽だっただろう。

私はそんな穢れにすら染まり切れない、中庸なる滓。
日向坂46はどうすれば救えたのか。
今はもう手遅れだ。
間違った道を間違った歩き方で進み、間違ったゴールに辿り着いて紛う事なき地獄の門を叩く。

そこに栄光など、もはや存在しない。

私が見たかった景色は、日向坂46に見せて欲しかった景色は、もう何処にもない。

結局、何もかもが手遅れで、どう足掻いてもハッピーエンドにはならない。

日向坂46という神話は、バッドエンディングだ。

言い直そう。
今の日向坂46の行き着く先に、反吐が出るような凄惨なバッドエンドへと辿り着くことを望む。
【選抜制】という醜い翼が、その身ごと灼かれ燃え尽きるバッドエンドを、心から願う。

そして、同時に。
【全員選抜】という、美しく、気高く、何よりも強いその翼を取り戻し、大いなる太陽にも立ち向かって、真の意味での誇り高き栄光をその手に掴み取る、そんな正しいハッピーエンドを、さらに強く望んでいる。


さて。
少しムズカシイ話をしてしまったかもしれないが。
私は【選抜制】が生理的にムリで、【全員選抜】じゃないと安心できない。

それを、長々と書いたというだけの駄文だ。
もう一度言おう。

【選抜制】は『生理的にムリ』なのだ。

愚か者は言うだろう。
『人数を絞らないと、パフォーマンスが悪くなる』

そういう事を言われるのも、生理的にムリだ。
だって、そいつは日向坂46を信じてないから。
日向坂46というグループのことを、人数が増えたり減ったりしたぐらいでパフォーマンスのレベルが下がるような弱者である、と暗に言ってしまっているそいつの言葉に、虫唾が走る。

『推しが選抜されてるからいいじゃないか。推しを応援してあげようよ』と宣うバカもいる。

日向坂46を好きになった癖に箱推しにならず単推しで居続けるような、コンテンツを享受するための感度が低い人間の言葉にわざわざ言葉を返したところで理解してもらえないとは思うが、私は日向坂46の全てのメンバーが好きなのだ。
元メンバーも含め、例外なく全員だ。

現役メンバー28人分、その分だけ私が個々に注げる愛がある。
言い換えれば、それは28等分された私をそれぞれ映す鏡。
揃うことでグループに対する愛が完成される。

揃わない限り、このグループは永遠に未完成。
『未完成だから、完成を目指して進化できる』なんていう、そんなポジティブな意味合いが存在する訳でもない。
それはアイドルグループ未満の存在。
ただ、若い女が複数人集まっているだけ。

日向坂46とは、英雄になるための翼を捨て、おぞましい存在に成り下がった下等なグループ。

私はただ、期待する。
アグモンだって、ウォーグレイモンになる前にスカルグレイモンを経ているのだ。
シャイングレイモンだって、バーストモードに進化する前にルインモードという闇落ち形態を経ているのだ。

きっと飛べるさ。Oh My Love



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