日向坂46を許さない
キッショ!
気持ち悪っっ!!
え、え、ひらがなひなたぁ~~~????
気持ち悪いぃ~!!!
というのが、最初の感想です。
人というものは、好きになった瞬間をいつまでも愛し続けるものです。
僕が好きになった瞬間。
日向坂46は、ひらがなけやきという殻を破り羽化して大空を舞う蝶でした。
その蝶を美しいと思った。
だから追いかけた。
時々、花に停まり羽根を休める。
その仕草も愛おしい。
僕は捻くれているのかもしれない。
だが、僕はあくまで僕が真っ直ぐ思っていることをシンプルに伝えたいと思っている。
日向坂が好きでした。
だから、乃木坂や櫻坂が嫌いでした。
だって、日向坂46が好きなのに、他のグループのことを好きだなんて言ってたら、そんなのはただの浮気じゃないか。
浮気者が許される世の中なら、渡部さんだってあんなに謹慎しなかったよね。
何の話だっけ?
そうそう、嫌いな乃木坂の話だ。
キライになってしまう理由っていうのが主に2つあった。
1つ目。
『1期生が結構卒業していた』
これは致命的ですよね。
コンテンツとは二種類に分けられる。
それは『現行』と『アーカイブ』。
現行を好きになった時、アーカイブを見る。
過去のライブ・バラエティ出演などを観てみよう。
おいどうした、俺が現行で好きになった子はどこに行ったんだい?
知らねぇ女がいっぱい居るぞぉ!?
こうなる訳です。
現行とアーカイブがどんどんどんどんと乖離していく。
コンテンツとしての楽しさは無いに等しい。
逆で考えようよ。
アーカイブで大活躍のあの子は、現行の世界には影も形も存在しないんですよ?
そんなの、気持ち悪いじゃないですか。
はい。これが第一の理由『気持ち悪いから』ですね。
第二の爆弾『シアーハートアタック』
それと第三の理由。
『選抜制が気持ち悪い』
ぞぞぞぉ~~~っ!
寒気がするねぇ!
だって普通、グループって『全員が揃ってる状態』が完成形ですよね?
え、違うの?
『選抜メンバーが揃ってる状態』が完成形???
じゃあ、余った余剰メンバーは何???
へぇ?アンダー?
下層?
そんな差別あるんだ。
差別反対。
日向坂46が僕の基準だからこそ、こういう価値観が形成されていくんですね。
日向坂46のファンって、碌なヤツが居ないね。
その話はいいや。
今まで散々して来たし。
とにかく。
2020年、僕は日向坂46という完成形を知ってしまったから、その時僕の世界の全てが日向坂への愛に染まっていった。
日向坂のことを考えながら眠りにつき、日向坂の夢を見て、目が覚めたらまず日向坂のことを考える。
充足感、ただそれだけ。
だって、僕の知った日向坂46は。
『現行』と『アーカイブ』の乖離も無い。
『選抜』なんてものはもっと無い。
優しく温かい世界が、僕を癒してくれた。
日向坂46は、それだけで終わらない魅力を持っていた。
メンバーの一人一人が、誰を見ても強烈な個性と愛くるしい才能を兼ね備えていた。
ただの一人の例外もなく、だ。
ビジュアルというシンプルな魅力に触れて。
艶のある歌声にウットリして。
明るさの中に勤勉さや真面目さが見え隠れする内面に惹かれて。
少し変な子も居た。
少しどころじゃなく変な子も居た。
触れれば触れるほど、知れば知るほど、僕はその子たちの深い魅力の底なし沼に沈んでいった。
嗚呼、きっと僕は、今でも日向坂46が好きだ。
みんなのことが、大好きだ。
だから、みんなのことを憎むのが怖いんだ。
僕は、時々考える。
日向坂の良さは、『隣に居てくれること』だと思う。
『僕を仲間と認めてくれる、そんな気がする』と思わせてくれる。
仲間同士で生存を懸けた争いをするのは馬鹿げている。
高め合うための気高い競争。そこに払う代償は努力だけ。
だから、好きだった。
全てのメンバーを余すことなく好きになれるなんて、こんな事は滅多にない。
僕が好きになった当時22人の仲間に、おこがましいかもしれないが僕も同じ仲間であるかのような気持ちで居られた。
だから、好きだった。
平穏を崩す音が聴こえる。
相次ぐ『仲間』の離脱。
4期生の人数、12人。
聴こえてくる『選抜制』の足音。
僕は段々と、自分の感じていた『仲間意識』という夢から醒めていく。
崩壊の序曲がテンポを上げていく。
でも。
夢から醒めても、まだ『仲間』で居たかった。
苦しむ必要のない居場所であって欲しかった。
ちいさな僕の祈りが届くはずもなく。
2024年2月26日、選抜制導入が発表された。
この時の僕は、腐った臭いの中で頭痛が止まらなくなった。
選抜制という忌み嫌った制度が、まるでそこに居て当然かのように僕の目の前に現れた。
僕は、腐りきった選抜制という悪臭に、激しい怒りを覚えた。
当然だ。
僕は、普通の人間だ。
普通だから、怒ったり泣いたりもする。
日向坂で会いましょうの放送が終わって、テレビを消してすぐ、僕の目から涙が溢れていた。
怒りだったか、悲しみだったか、悔しさだったか。
嬉し泣きでないことだけは確かだが、それほどにグチャグチャになった僕の感情が、まぶたの裏からポタポタと零れていった。
一通り涙を流した後、次に感じたものはハッキリ覚えている。
怒りだ。
僕の好きな日向坂46から、大切な個性を一つ奪われたこと。
それが何より許せなかった。
よく、こういう意見を目にする。
『選抜制を導入する方が、理に適ってはいる』と。
理に適っているなら、どうして僕はこんなに怒っているんだ。
どうして誰も、僕が感じているほどの怒りを露わにしないんだ。
メンバー。
誰も反対しなかったのか。
30人近く居て、誰ひとりとして?
ムカついた。
運営・スタッフ。
選抜制を導入することが、日向坂を良い方向へ導くと本気で思っているのか。
誰が決めた?誰が決定権を持っている?
発言権の強い人間が、何を考えたのだ?
僕はますますムカついた。
フォーメーション自体にも色々と文句の付け所が多かった。
それは散々今までのnoteに書き殴ったので割愛する。
僕の喜怒哀楽はどんどん怒の色に染まっていた。
アンガーマネジメント。
6秒ガマンすれば、怒りを爆発させなくて済む。
だが7秒目の僕は、今日のこの瞬間まで怒り続けていた。
理屈など関係ない。
選抜制なんて嫌いだ。
嫌いな選抜制で戦おうとする日向坂46なんて、僕は好きになれない。
自分の感じていた仲間意識に照らし合わせてみれば。
自分が選ばれなかったら、当然嫌だ。
自分が選ばれたとしても、選ばれなかった仲間のことを思うと素直に喜べない。
喜びを奪われているのだ、喜怒哀楽だって怒に染まる。
推しメンの可愛い写真を見ても、『でも日向坂は選抜制なんだよな』という一言がアタマの中を駆け巡って、素直に「可愛い」と言えなくなってしまった。
推し活なるものが、全く楽しくない。
楽だって奪われた。どんどんと怒に染まる。
どうすれば日向坂46は僕が愛せる姿に戻ってくれる?
このまま、インターネットの端っこで燻ぶるだけでいいのか?
いや、何か行動を起こす予定は今のところない。
会社の所在地や爆弾の作り方を知らないから。
僕が何よりも怒っているのは。
僕がこんなに怒れるほどの熱量で愛していた日向坂に、忌まわしき発表から1ヶ月以上経った今も同じ熱量で怒っている人間が全く居ないということだ。
とても嘆かわしい、と思う。
真剣だったのが自分だけだったような気がして。
みんな日向坂がどうなろうと知った事ではないと言わんばかりにすっかり応援ムード。
僕が、異常者なのか?
違う。異常者は僕じゃない。
正当な熱量。正当な怒り。
それを持っている僕だけが正常なのだ。
そんな僕の怒りの火に油を注ぐように、日向坂46は僕を嘲笑うように。
アンダーの呼称は『ひなた坂46』『ひらがなひなた』に決定。
ふざけるな。
ふざけるのも大概にしてくれ。
大前提。
『ひらがな』という言葉は、日向坂を知る者からすれば特別な固有名詞だ。
そこにわざわざ被せる意味は何だ?
歴史を大切にするなら、似たような、同じような言葉は避けるべきだ。
文脈や意味合いがまるで違うというのに、どうして連想や同一視をしやすくなるような方向に導いてしまうんだ?
呼称一つで、僕の怒りはさらに加速していた。
こんなの生理的にムリだ、という領域。
元々の『けやき坂46』『ひらがなけやき』というものは、今となっては『日向坂46』の『全』なのだ。
『ひらがな』という固有名詞自体が、『日向坂46』そのもの、あるいは羽化する直前の状態。
ただそれだけで良かった。
敢えて『アンダー』という呼称を使おう。
『アンダー』とは『グループという全』の中の『一部』である。
『一部』であり、『全』ではない。
ならば、この『ひらがな』はどういう文脈を乗せるためのものなのか。
ただ安直なネーミング。
安易に『過去をなぞっておけばエモいんじゃね?www』なんて考え方をしているように僕の目には映ってしまう。
だから、吐き気がする。
胃痛がする。
こんなにも、日向坂のことを想ってくれないスタッフが日向坂の周りには居るのか、という絶望。
どうせ僕は離れられない。
日向坂46を一度でも愛したから、僕はその愛に呪われて、囚われて、自分で勝手に苦しむんだ。
11thシングルの発売まであと1ヶ月。
このシングルが、グループ史上最低の売り上げを叩き出してほしい、と常々思っている。
選抜制導入は失策だった。
改革は失敗した。
そうやって、痛い目に遭えばいいんだ。
痛い目に遭わなきゃ分からないバカ曰く、まだ痛くないらしい。
そういうバカな奴に、本当の痛みを思い知って欲しい。
お願いします。
11thシングルを購入しないでください。
YouTubeのMVも再生しないでください。
それで絶対に全員選抜に戻してくれるとも思わないけど。
安易ではない、もっと考え抜かれた姿に変化、いや進化する日向坂が見たい。
今の日向坂46は、ウォーグレイモンになる前のスカルグレイモン。
暗雲立ち込めるこの空がすっきりと晴れ渡って、もう一度グループが優美に舞えるように。
僕は、呪います。
僕は、祈ります。
僕にだって、僕自身の幸せを願う権利ぐらいありますからね。
日向坂46が僕の理想通りに羽ばたいてくれる未来を、今という地獄の底から。
いつか、また会いたい。
僕は、本当は日向坂46の味方でいたい。
もう一度、日向坂46が僕のことも優しく照らしてくれるその日まで。
祈りましょう。
呪いましょう。
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