【翻訳】「地獄での1年」

ボーランドの11 bit studiosが制作したThis War of Mineは、兵士ではなく、戦争に巻き込まれた一般市民が主人公の戦争ゲームです。

『This War of Mine』のプレーヤーはエリート兵士ではありません。敵に包囲された都市で必死に生き残ろうとしてる一般市民です。食料と医薬品の不足に苦しみ、狙撃手や敵対するスカベンジャーに常に狙われています。このゲームでは、まったく新しい視点から戦争を体験することになります。(Steamの商品説明より

シンプルでわかりやすいゲームシステムとその斬新な視点から多くのゲーマーに絶賛され、数々のゲーム賞を総なめにしました。発売から2年が経っていますが、新たなダウンロードコンテンツがリリースされるなど、依然根強い人気があります。

この革新的なゲームに大きなインスパイアを与えたのが、「地獄での1年 (One Year in Hell)」というボスニア紛争下での手記でした(This War of Mineと「地獄での1年」がどのように影響しているのかについては日本語のこの記事を参照。同記事で言及されているスライド資料はこちら)。

ちなみにこの手記を一体誰書いたのか、どういった経緯で発表されたのかといったことは、ネットを見た限りではよくわかりませんでした。

以下、同手記の翻訳になります。

オリジナルはこちら:
http://docshare02.docshare.tips/files/20707/207076969.pdf

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地獄での1年

俺はボスニア出身だ。知ってるだろ、92年から95年まであそこは地獄だったんだ。1年間、俺はそこで生き抜いた。6000人の街が、水も電気もガソリンも医療も配給も、あらゆる種類の基本的なサービスもなく、中央政府の支配もない状態だった。

俺達の街は軍に包囲されていた。1年もの間、街での生活はまったくとんでもない有様だった。俺達を守ってくれる軍隊も警察もいなかった。そこには武装集団しかいなかった。自分たちの家と家族を守るために武装した連中だ。

すべてが始まったとき、俺達の家族はまだ準備していた方だった。近所の家のほとんどには、たった2~3人分の食料しかなかった。ある家族の家には拳銃が、そして稀にAK47かショットガンがあった。

ひと月かふた月経った頃、ギャングが活動し始めた。あらゆるものを破壊し始めたのさ。例えば、病院は虐殺の場所になってしまった。警察なんて、まったく存在していなかった。病院スタッフの80%は既にどこかへ逃げてしまっていた。俺は運がよかったよ。その時、俺のところは結構な大家族だったんだ(大きな家に15人が住んでいて、拳銃6丁、AKが3丁あった)。そして俺達は生き残った(俺達のほとんどだ、少なくとも)。

アメリカ人は包囲された街を助けるために戦闘糧食(MRE)を10日ごとに投下してくれた。これは決して十分ではなかった。ごくまれにだったが、家庭菜園を持っていた家もあったな。餓死しそうな人間がいるという噂が最初に広まったのは、3か月ほどたった頃だ。俺達は、誰も住んでいない家からドアや窓のフレームを取り払い、床のフロアーを引っぺがし、暖を取るために家具を燃やした。多くの人が病気のせいで死んだ。特に水の問題でだ(俺の家族の中からも2人の人間がそれのせいでやられた)。俺達はだいたいの場合は雨水を飲んだ。鳩やネズミでさえ食べた。

現金はすぐに意味のないものになった。俺達は物々交換の世界に逆戻りさ。ツションカの缶詰(ソビエト製のスパムみたいなもんだ)1つで、女を抱くことができた。それについてはあんまり話したたくないが、本当のことだ。自分の体を売っていた女性の大半は、悲惨な境遇にあった母親たちだ。

武器、弾薬、ロウソク、ライター、抗生物質、ガソリン、電池、それに食料。俺達はこういった物資のために動物みたいに争っていた。そんな状況がすべてを変えてしまった。男は怪物になった。ほんとに酷い状況だった。

強さとは数だった。1人暮らしの男が殺されて、物資を奪われれるのは時間の問題だった。たとえ武装しててもだ。

いま、俺たちの家族は十分に準備している。武器もたっぷりある。俺には経験がある。

未来に一体どんな厄災が来るか、そんなことは関係ない。地震、戦争、津波、宇宙人の襲来、テロ、経済の崩壊、暴動。なんだっていい。大事なことは、何かが起こるということだ。

ここに俺の経験がある。お前さん一人ですべてをやることはできない。家族と離れ離れで住んではダメだ。一緒に準備をすること、頼れる友人を選ぶことだ。

1.街の中でどうやって安全に移動したのか

街の中は、通りに沿って小さなコミュニティに分断されていた。俺達の通り(15~20の家があった)では、武装した5人の人間が毎日見張りに立った。ギャングや俺達の敵になる奴らに備えるためだ。

物々交換のすべては、通り沿いで行われた。5キロ先向こうの通りでは、あちこちで取引が行われていた。よく組織化されていた。しかし、そこに行くのはあまりにも危険なことだった。スナイパーがいるからだ。盗賊に襲われることもありえた。俺はそこにたった2回しかいかなった。本当に貴重なものが必要な時だけだ(様々な薬、特に抗生物質。フランス語のオリジナルのテキストでは薬の各種種類が書かれている)。

街の中では誰も車なんか使わなかった。道は瓦礫や遺棄された車でブロックされていた。ガソリンはとても高価だった。もしどこかへ行く必要があったなら、移動は夜だ。決して1人で移動してはいけない。集団でもダメだ、目立ちすぎる。いつも2人か3人かで移動していた。全員武装し、影の中をすばやく動き、廃墟をぬって道路を渡る。開けた道を通らずにだ。

10~15人くらいの屈強な男たちのギャングがいた。ときには50人くらいのデカい集団もいた。しかし、俺やあんたみたいな普通の人間もそこにはたくさんいたんだ。父親や祖父、そんな連中が人を殺して、モノを奪っていた。いい人間も悪い人間もそこにはいなかった。ほとんどの人間はその中間で、最悪なことをする必要があっただけさ。

2.木はどうだったのか?あなたの街は木に囲まれていたのではないか。なぜドアや家具を燃やさなきゃいけなかったのか

街の周りにたくさんの木はなかった。街はとても美しいところで、レストランや映画館、学校、空港まであったんだ。街の中にあったあらゆる木 -公園の中にあったやつもすべて- は最初の2か月で燃料として切られてしまったよ。

電気がない中、料理をしたり、暖をとるために俺達は燃えるもなら何でも燃やした。家具、ドア、フローリング。こういう木材はすぐ燃えてしまう。俺達には街の外に郊外や農園なんてものはなかった。敵は街の郊外にいた。俺達は包囲されていた。街の中でさえ、誰が敵でどこにいるかなんて誰にもわからなかった。

3.包囲されている間、どんな知識が役にたったのか

苦しい状況を想像してみてくれ、石器時代に逆戻りしたような状況だったんだ。

例えば、俺は家庭用ガスをボンベ1つ分持っていた。でも俺はそれを暖をとるために使わなかった。そいつがあまりにも高価だったからだ。俺はボンベに自家製ノズルをつけ、ライターにガスを注入した。ライターは貴重だったからな。

誰かがガス欠のライターを持ってきたら、俺はガスを入れてやる。そして缶詰かロウソクを代わりに貰うってわけだ。

俺は衛生兵だった。こんな状況では、俺の知識は宝物だったよ。モノ知りであれ。スキルを身に着けろ。こういった状況だと、モノを直すスキルは黄金よりも価値のあることなんだ。

モノはいつか無くなる。しかしスキルがあれば飢えることはない。

俺はこう言いたい。モノか靴か、もしくは人を治せるスキルを学べ。

例えば、俺の隣人はランプに使うケロシンの作り方を知っていたよ。彼は飢えで苦しむなんてことは決してなかったな。

4.今から3ヵ月間準備する時間があるとして、あなたは何をする?

3ヵ月?その国から脱出するかな(冗談だよ)。

今になると、物凄い速さで何もかもが崩壊してしまうってことを俺は知っている。俺はいま、6カ月分の食料や衛生用品、電池の備蓄がある。

俺は今すごく安全な家に住んでいて、しかも街から5キロ離れた村にシェルター付きの一戸建てを持っている。住んでる家とは別に、シェルターの方にも6カ月分の備蓄が置いてある。そこは小さい村だ。そこの村の連中も同じように備えている。戦争から我々が学んだことさ。

俺は4つの銃を持ってるし、それぞれの銃ごとに2000発の弾を用意している。

家庭菜園もあるし、ガーデニングについても勉強した。そして何より、俺は優れた本能を持っている。わかるだろ、周りの連中が「何も問題ない」なんて話しているような状況だったとしても、何もかもが崩壊してしまうことを知っている。

俺は自分の家族を守るために必要なことを実行する強さがある。わかるか?すべてが崩壊した時、自分の子供たちを生かすため、あんたの家族を守るため、あんたには「悪い」ことをする覚悟が必要だ。

自分の力だけで生き残るっていうのは、事実上不可能だ。(あくまで俺の考えだが)武装した上で準備万端であろうと、もしもあんたが1人ぼっちだとしたら、あんたは死んじまうだろう。俺はそんなやつをいっぱい見てきたよ。

よく備えがなされ、様々な分野についてスキルや知識をもっている家族や集団。それがベターな選択肢だ。

5.何を備蓄すべきか

場合によるな。もしあんたが物取りで生きていこうとするなら、まず何より武器と弾薬が必要だ。たっぷりの弾薬がね。

そうじゃなければ、より多くの食料、衛生用品、電池、蓄電池、小さな交換用の物品だ(ナイフやライター、ライター石、石鹸)。長持ちするタイプのアルコールもだ。安ウイスキーなんかは、良い交換用のアイテムだったぜ。

多くの人が、衛生用品が不足したせいで死んだ。あんたは大量の単純でシンプルなモノが必要になるだろう。例えば、ごみ袋。大量のごみ袋だ。それにトイレットペーパー。使い切りタイプの皿とコップ。こういったものは大量に必要になる。そんなものはまったく手に入らなかった。

俺についていえば、衛生用品の確保は食料を得るよりも重要だった。鳩を撃つことはできるだろう。食べれる植物を見つけることもできるだろう。だが、消毒薬を見つけたり、撃ったりすることはできない。

消毒薬、洗浄液、除菌剤、石鹸、手袋、マスクとかだ。

傷を洗浄し、焼結止血するといった応急手当のスキルだ。あんたは医者を探すかもしれんが、医者に代価を払うことなんてできないだろう。

抗生物質の使い方を学べ。抗生物質を備蓄するのは有効だ。

武器はもっとも単純なやつを選ぶべきだ。俺はグロック45を携帯している。俺はこいつが好きだ、だがグロックはここではレアな銃だ。そんなわけで、俺は2丁のトカレフも持っている(トカレフは誰もが持っていて、弾があちこちにある)。

俺はカラシニコフが好きじゃない。だが何度も同じことを言うようだが、誰もがカラシニコフを持っている。だから俺もそうする。

小さくて、目立たないようなアイテムを持つべきだ。発電機もいいが、例えば1000個の100円ライターはもっと良いアイテムだ。もし何かトラブルがあったとしたら、発電機は目立ってしまうだろう。でも1000個の100円ライターならコンパクトで安い、そしていつでも交換に使える。

俺達は4つのドラム缶に雨水を集めていた。それを沸騰させて使うんだ。近くに小さい川があったが、そこの水はあっという間にすごく汚くなった。

水を貯めるための容器を持っていることも大切だ。ドラム缶やバケツとかでいい。

6.金や銀は役に立ったのか

イエス。俺も家にある金をすべて銃の弾薬のために交換したよ。

時には紙幣を入手することもあった。ドルとかドイツマルクとかだ。俺達はそれを使って何かを買ったが、これは珍しいことだった。モノの値段は天文学的な数値だった。例えば、豆の缶詰1個が30ドルから40ドルもした。ローカルの紙幣はすぐに無価値になった。必要なものはすべて、俺たちは物々交換を通じて手に入れたよ。

7.塩は高価だったか

イエス。しかし、コーヒーとタバコはもっと高価だった。俺のところには大量のアルコールがあり、それをほかのものと問題なく交換した。アルコールの消費量は増加した、平和な時の10倍くらいには増えたろう。おそらく、今ならタバコやライター、電池なんかを備蓄したほうがもっと役に立つだろう。あんまりスペースもとらないしな。

この時、俺はサバイバルの専門家ではなかった。俺達には準備する時間などなく、事が始まる前のほんの数日しかなかった。政治家たちはテレビの中で「すべては予定通りだ、心配する必要はない」と繰り返していた。俺達の頭の上に空が降ってきたとき、自分に出来ることをするだけだった。

8.武器を購入することは可能か?武器や弾薬のために何と交換したのか

戦争が始まった後、どの家にも武器があった。戦争の最初の頃に警察は大量の武器を押収した。だが、武器のほとんどを俺達は隠していた。いま、俺はきちんと免許のある合法な銃を1丁持っている。法のもとでは、それはコレクションということになっている。いざ何事かが起これば、政府は登録された銃のすべてを差し押さえるだろう。そのことを忘れてはいけない。

ご存知のように、合法な銃を持っている人間はたくさんいる。そして合法な銃が差し押さえられたのに備えて、非合法な銃も持っている。

もし取引に使えるいいアイテムを持っているなら、タフな状況でも銃を入手することができるだろう。しかし覚えておくことだ。最も困難な時は最初の日なんだ。自分の家族を守るために必要な武器を探すための十分な時間なんてものはない。破滅的な混乱とパニックの最中に武器がないという状況は、いいアイデアとは言えないな。

俺の場合、ラジオに使うための自動車用バッテリーが必要な男がいたんだ。彼はショットガンをいくつか持っていた。俺はバッテリーを渡して、2丁のショットガンを手にいれた。食料のために弾薬を交換し、2~3週間後には弾薬のために食料を交換した。自分の家で取引をやっては絶対にダメだ。そして1度に大量の取引をすることは避けろ。

ほとんどの人間は、俺が何をどれだけ家に持っていたのかということを知らなかった。

一番大事なことは、スペースとお金の許す範囲内で可能な限りたくさんのモノを備蓄しておくことだ。結局のところ、事が始まって初めて何が価値があるのかを理解することになるだろう。

モノを収集すること。俺はいつも武器と弾薬に一番の価値を置いた。二番目は何かって?ガスマスクやフィルターかな。

9.安全はどうだったのか

俺達の守りは、とても原始的なものだったよ。何度もいうが、俺達はまったく備えをしてなかった。だから使えるものなら何でも使った。窓は粉々になり、爆撃の後で屋根は悲惨な状態だった。土嚢や岩なんかを使って窓を塞いだ。

瓦礫やゴミでフェンスを作り、入り口をブロックした、はしごで壁を登れるようにした。俺が家に帰ったときには、俺は中にいる仲間に声をかけて、ハシゴで家の中に入った。同じ通りの隣人に、自分の家の周りにバリケードを張り巡らせたやつがいた。彼は隣の家の廃墟につながる穴を壁に1つ作った。秘密の抜け穴ってわけさ。

たぶん奇妙に聞こえるだろうが、一番ガードが堅そうな家が一番最初に襲われ、破壊された。街の自分の住むエリアの中で、壁があり、番犬がいて、アラームがあり、鉄格子付き窓がある綺麗な家がいくつかもあった。人々は、そこを最初に襲ったのさ。持ちこたえた家もあったが、そうじゃない家もあった。家の中にどれだけの人間や武器がいるかで運命が変わった。

守りはとても重要だと思うが、人目につかないようにしなければならない。もしあんたが街の中いて、クソみたいなことが起こったら、必要なモノはシンプルだ。大量の武器弾薬、それに目立たない家だ。

どのくらいの弾かって?可能な限りたくさんだ。

自分の家をできる限り、魅力的じゃないようにしろ。

いま、俺の家には鋼鉄製のドアがある。だがそれは大混乱の最初の波を防ぐだけのものだ。それを凌いだら、俺は街を離れ、俺の家族や友達が集まって作る大きな集団に合流するつもりだ。

戦争中にはいろんな状況が訪れた。細かいことはどうでもいいが、圧倒的な火力とレンガの壁が常にあるようにしていた。

俺達は通りを見張る人間をいつも置いていた。ギャングが襲撃してくるようなケースでは、組織力が最も重要なんだ。

街では銃声がいつも聞こえていた。

俺達の家の周辺は原始的な囲いで守られていた。すべての出口にバリケードを張り、そこには銃を出すための小さい穴を設けていた。どんな時でも、少なくとも5人の人間が戦闘に備えて、家の中で待機していた。それに通りにはシェルターに隠れた仲間1人、通りを警戒していた。

日中はスナイパーを避けるために家の中にいた。

一番最初に最も弱い者が死に、そして残りの人間たちが闘う。

日中の間、通りはスナイパーのせいでモノケの殻だった。

家の守りは、ショートレンジの戦闘に備えているだけだった。もし大勢の人間を情報収集のために外に出したら、たくさんの人間が死んだだろう。俺達にはまったく情報がなかった。ラジオもない、テレビもない。ただ噂があるだけだった。このことを覚えておくことは大切だ。

組織された軍隊なんかはいなかった、すべての人間が闘っていた。選択の余地はない。誰もが武器を持ち、自分を守る必要があった。

街の中では価値あるアイテムを身に着けたりしてはダメだ。誰かがあんたを殺して、そいつを奪ってしまうだろう。「かっこいい」長物の武器なんか持っていてはだめだ、目を引いてしまう。

ちょっと言わせてくれ。クソみたいな事態が明日はじまるとしたら、俺はみすぼらしいかっこになるな。ほかの連中と見分けがつかないようにするのさ。悲惨で、恐怖におびえ、たぶん少しばかり叫んだり、泣いたりしてみせるだろう。

いかす服は全部捨ててしまう。真新しいタクティカル装備を着て「叫ぶ」ために外に出歩いたりはしないだろう。「俺が来たぜ!てめらみたいな悪漢をやっつけにきたぜ!」。ありえない、俺はよく武装し、よく準備し、息を殺して、生き残る可能性を高める。自分の親友や兄弟たちと一緒にな。

スゴイ防壁、スゴイ銃なんてものには意味なんかない。もし誰かがあんたのモノを盗まなきゃいけないと考えたとする、あんたに価値があると考えたとする。やつらは必ずやるだろう。それはただ単に時間や武器や人手の問題ってだけだ。

10.トイレの状況はどのようなものだったのか

俺達は家の近くにショベルで穴を掘っていた。不潔そうだって?そうさ。川の水か雨水を使って洗い流していた。だが時間が経てば経つほど、そいつはあまりに危険になっていった。トイレットペーパーはなかった。もしあったとしても俺はそいつを物々交換に使っただろう。

「汚い」お仕事だったさ。

ちょっとしたアドバイスをあんたに送ろう。まず第一に銃と弾薬が必要だ、そして第二にその他すべてさ。文字通り全部だ!あんたがどれだけのスペースとお金があるのか、それに応じてだが。

もし何かを忘れたとしても、その何かを交換するやつは必ずいる。

しかし、もし武器と弾を忘れたら、あんたが物々交換でそれを入手する方法はない。

大家族は食わせる人数が増えるだけと、俺は思わないな。大家族だってことはより武器があり、より強いってことだ。その基盤があるからこそ、全員が自分のことに集中できる。

11.病気やケガになった場合はどう対処していたのか

ケガの大半は銃撃によるものだった。負傷した人間がたとえ医者を見つけたとしても、専門家や専門の機材がなければ助かる確率は30%というところだった。

現実は映画ではない。人々は死んだ。たくさんの人間が何てことのない傷から感染症になって死んだ。俺は3~4回分の抗生物質を持っていた。もちろん家族のためにだ。

人々はくだらないことでほんとによく死んでいた。薬がなく、しかも限られた量の水しかない状況だと、単純な下痢でもたった数日で命を落とすことになる。

皮膚疾患や食中毒もよく起こった、、、これは何てことはない。

多くの人は薬草とかエタノールを使っていた。短い間ならそれで充分だが、長期間となるとそれだけでは役不足だ。

衛生用品はとても重要だ。同様に可能な限りたくさんの薬を持っていることもだ。特に抗生物質だ。

〈了〉

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