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#142 明和地所はなぜ建設を断念したのか? ⑭ 真理とは?

 海老名市の内野市長は、市議会の場で吉田みな子市議会議員から相模国分寺跡隣接地に明和地所が高層マンションを建設する計画がある件で質問された際、以下のように答弁している。
「私も市会議員を16年間やってきて、マンション建設反対運動を何回もやってまいりました。そのなかで、十何件のマンション紛争の関係で建たなかったことは1件もありません。結局建てられました。これは何故かと言うと、私ども、景観条例を作っております。しかしながら地方自治法ってあります。建築基準法って。そのなかで景観条例と建築基準法だと上位法の方が上ですから、当然、建てる権利、そういったものが優遇されます。そのなかで、どういった地域住民と建築士が折れ合いをつけるかという問題が一つのポイントで、階数を下げたり、いろんなことをやってまいりました。で、建たなかったことはありません。
 そういったなかで、私も今回は史跡地の隣だという問題がありますけれども、これは文化財保護法に則っておりますので、法律があります。これについて神奈川県が試掘の関係の届け出を出して、どういった指示を出すかという問題がありますけれども、海老名市はそういったなかでも景観条例、或いは町づくり住みよい町条例のなかで手続きを淡々とやるということが、一つのいわゆる問題でありますから、これについてはこういった形で進めていくということであります。」

 つまり、内野市長は建築基準法があるから建設を止めることはできないと言っている。企業の利益か市民の利益か? との葛藤は内野市長に見られない。その姿勢に住民・市民は大きな失望をもった。国立マンション訴訟の判決もあり、建築基準法を満たしているのだから、高層マンション建設を阻止することはできないという空気が一部の住民・市民の間にも流れた。

 しかし、何か変だ。
 単純に比較することはできない国立マンション訴訟の判決と建築基準法の2つのみによって結論を出してよいものなのか?
 例えは悪いが、何だか、過去のデータを掻き集めただけの程度の低いAIが作った文章をそのまま使っているような、割り切れない、腑に落ちない思いになった。
 勿論、前例に基づいた判決や一定の手続きによって作り上げられた法律は尊重する。しかし、人間社会の営みの真理は、この2つのみによって構成・判断できるものだろうかとの躊躇いはもつべきだ。
 内野市長はこのような疑問をもつことはなかったのか。答弁する際の判断に躊躇いをもたなかったのか。
 判決、法律に加えて、文化、学問、景観、歴史、美意識、幸福感、環境、SDGs、平和、失ってはならいないもの、次世代にわたすべきもの、…。このようなものも含めた真理というものがあるはずだ。

 住民・市民は上記ような真理を真剣に考えるようになった。そして、「相模国分寺跡の景観を守る会」が発足した。

 明和地所や内野市長の感覚と住民・市民の感覚は大きく隔たっていった。

(24.6.25)

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