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sanpo02精神探究録 #5『一瞥体験・神との合一』

今回は一瞥体験・神との合一というテーマで話していきたいと思います

一瞥体験とは何か。結論から言うと究極のエクスタシーであり、一体感の事です。つまり忘我状態になっているときの体験です。これまで無と一体化するとかゾーンに入るというようなことを言ってましたが、実はこのようなときに言語化される以前の純粋な体験として忘我状態で強烈な恍惚があらわれています。なので、これを体験するために意識の拡大を目指しているという側面は大いにありますので、興味を持ってもらえるきっかけになればと思い、この体験について紹介していきます。

このような体験をするには、まず外側の事物を分析的思考によって注目している日常的な意識から離れ、自分とは何であるかというような内面的な回顧から入ることが重要です。ただし、外側との関わりによって経験した感情や理解を無視するというわけではなく、むしろこの経験を自身の内側で統合と昇華させていく作業に入っていくこととなります。これは普段からやっていることではありますが、意識をそらさずにじっくりとやっていくという事です。

この統合と昇華の作業で自分の内面に向き合い記憶を回顧していくことになるんですが、当然つらい記憶も見ていくことになりますので、決して無理せず行ってください。この時に一つ一つ受容と赦しをしていくことで統合が成されていくのですが、これが出来ないと無限ループに入ってBAD体験で終わってしまうことになります。そこで認知や意識の拡大と、現れている全ての個の共存により高次に創発されているという認識を使うことで受容と赦しを可能にしていきます。なので、この意識の拡大と共存認識はかなり重要なカギとなりますので、普段の心がけとしてあると良いです。

このようにして記憶の統合を行っていくと、それに付随した様々な感情も統合していきます。例えば、悲しいけど嬉しいといったようなこのような複雑で絡み合った高度な感情になって感動するみたいなものです。これが回顧した記憶の分、無数に統合していくことになります。つまりこれにより今までに味わったどの感動よりも強烈で大きな、もはや言葉の域を超えたある種のエクスタシーのような忘我状態の恍惚になっていくという事になります。これに伴い、身体もエネルギーの流動として、下から上に突き上げるような衝撃と共に意識もろとも天上へ飛びます。

この時に外界の刺激に関係のない内側からの強烈な光がやってきて、その光に触れることで神と会うことになります。この神は基本的に、記憶回顧の時に意図的に性質と方向性を定めない限り、全てを愛し全て肯定する存在となって現れます。この究極の全肯定に触れることで、自分がしてきたことやこれからすること、人にされたことやしたこと、自然や万物のとの関わり方などの過去・現在・未来の全てが巨大な愛に包括され祝福されていた事に気づき、本当に心の底からの歓喜と浄化が起こる経験を得ます。そして完全に神と合一していきます。

この経験と一体感が十分に満たされるとやがて脳の機能が再開し言語的な記録をし始めるので、徐々に現実に戻ってこの一瞥体験が終了します。このようにして戻った後に、神と合一していた我を思い出し、現実に居る自分や見えるもの全てがそれであったと認識することで、最強の自己肯定感と存在への感謝を獲得します。

このような経験が一瞥体験になりますが、より高度な話をすると、記憶を見て回るときに特定の記憶を選んだり、見る記憶を事前に捏造して用意したものを自己洗脳みたいに本当の記憶として再生したりすることで、現れる神の性質を変化させることも出来ます。また、記憶回顧せずとも身体のエネルギー的な感覚から一気に意識を飛ばすやり方もありますが、より技術的な側面が強いです。さらには、このような神との合一にはその先があって、そっちは死を超えて無と向き合うことになりますので、少し異なる体験となります。
という感じで、突き詰めると色々ありますが、このような一瞥体験は個人的に人生を変える程の最高な体験だと思っていますので、この凄さが伝わればいいなと思い動画にした次第です。これもまた、人によっては危険性はあるので、無理はせずにゆっくりやってみてください。
ということで、今回は一瞥体験・神との合一でした。

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