「他県ナンバー狩り」は差別か。釈明の余地はない?


はじめに


他県ナンバーをつけた地元住民の車が傷をつけられたりバンパーを壊されたりといった被害を受ける人が増えているそうです。これを聞いたときに、「なんてひどい奴らだ」、と思う人が大半だろうと思います。

しかし、いったん立ち止まって考えてみよう。はたして、このような差別的な行為は、まったくの釈明の余地がないといえるのか。


なぜ立ち止まるか。それは、感情に基づいて善悪を断定してしまうということは、無意識に差別をしている人々と同じ思考回路になったしまうからです。


差別的な行動に釈明を与えるとすると


以下に、「他県ナンバー狩り」をする人達の気持ちを代弁したものを列挙する。皆様はどう思われるだろうか。


①他県のナンバーだから、自粛を無視して他県から来たのだろう。

②人として間違った行動に対しては、何か罰を与えなければならない。

③地元住民だとは知らなかった。

④他県から自粛を無視してくるのは、絶対に許されない。

⑤行政が罰を与えないなら、自分が罰を与えよう。そしてその行動は正しい行動だ。

⑥他県からくることは、コロナを広げてしまう行動だ。

⑦他県から来た人のせいで、コロナが広まってしまったらどう責任をとるのか。責任が取れないのに軽率な行動はするな。


いかがだろうか。いや、確かにもっともだと思うかもしれない。しかし、ここで声を大にして言いたいのは、これらのすべてが実は偏見であり、このような正義感によって危害を与えてしまうことは差別である、ということである。


これらが偏見である理由を一つ一つみていく。


↑の見解が偏見であるということを書いていく。


①他県のナンバーだから、自粛を無視して他県から来たのだろう

●理由:そもそも他県ナンバーだからといって必ずしも他県から来たとは限らない。もし仮に他県から来ていたとしても、不要不急ではない理由(例えば、親の介護や仕事の都合など)で来ていたのかもしれない。さらに、不要不急な外出であったとしても、政府や自治体が求めているのは、自粛要請であって、法律違反ではない(もちろんこの点については道徳の問題なので賛否はあるだろうが後述)。

②人として間違った行動に対しては、何か罰を与えなければならない。

●理由:①でいったように、そもそも間違った行動ではない可能性がある。確かに道徳的に自粛要請を守らなかったことが事実であった場合でも、法律に抵触しているわけではない。罰を与えるのは、個人ではなく司法だ。公正な裁判に基づいていなければ、罰を与えるべきではないだろう。また、もし仮に、不要不急の外出ではなく、自粛を守らなかった、ということが事実だとしても、それをどう事実として判定するのか。どのような行為を不要不急とするのか。不要不急という主観的な行為に基準を設けることはできるか。そして、もし仮にできたとしても、現時点では外出は法律的に認められている。海外のように外出規制に強制力・罰則はない。

③地元住民だとは知らなかった。

●理由:県外ナンバーというだけで、県外から来たと断定することはできない。もし仮に、例えば観光名所に立ち寄っていたとしても、その事実と県外ナンバーだからという事実のみでは、県外在住者であると断定できない。そして仮に、県外在住者で観光名所に立ち寄っていたとしても、自粛の要請には強制力もないし、その人がコロナ感染を拡大させるという根拠もない。確かに、東京や大阪など感染者数の多い地域から多くの人が移動してきた場合、感染拡大が懸念されるが、もしそのような事態が起こったとしても、規制を引かなかった行政のせいであって、個人の行動に公的な責任は認められない。

④他県から自粛を無視してくるのは、絶対に許されない。

●理由:①②③でも示したように、個人の行動に対して公的な責任は帰せられない。ただし、規制を引かなかった行政が悪く、自分は行政の代わりに必要な罰を与えているのだ、という見解に対しては、私刑の是非に関わるが、そもそもその罰が偏見に基づいてないという断定がどうできるかどうかはかなり疑問だ。つまり、県外在住者であり不要不急の外出であるということをどうやって判断できるのか。

⑤行政が罰を与えないなら、自分が罰を与えよう。そしてその行動は正しい行動だ。

●理由:④と同様だが、その行動が同情に値する場合とは、罰を与えようとする人が、県外在住者であり、その時点でコロナ陽性であり、不要不急の外出をしていて、マスクや咳エチケットなどを怠っているということが、明確な事実として証明できること、そして、なおかつ、罰を与えようとする人が行政に対して県外移動の規制をするように行政に不服を申し立てをするなどの意思があり、自分が私刑を執行しその行為が法律に反しているということを知っていて、もしその私刑で訴えられたとしてもなお、自分の行動は正しかったと裁判で無罪を主張するくらい意思が強いのか、とそこまで考えていたとしたら、同情に値するだろう。さらに、もしそれほどまでに、県外移動に対して規制を強化すべきという意思があるのなら、私刑ではなくて、デモや署名活動などの行動に出るべきだろう。

⑥他県からくることは、コロナを広げてしまう行動だ。

●理由:その人がコロナ陽性でないかぎり、事実上コロナを広げてしまうことはあり得ない。その人が陽性か陰性かということを県外ナンバーの車にのっているという事実のみで、判断できるだろうか。一方、自粛をしない県外移動をしないという倫理観や社会秩序を守ろう、という思いがあるならば、⑤でいったようなデモや署名活動といった啓蒙活動をするべきで、私刑に頼るべきではないだろう。

⑦他県から来た人のせいで、コロナが広まってしまったらどう責任をとるのか。責任が取れないのに軽率な行動はするな。

●理由:責任という言葉をどう捉えるか、ということにもなるとは思いますが、コロナ感染の因果関係というのは、証明が難しいということ理解べきだと思います。つまり、陽性者をしっかりと隔離しているという状況においては、ある個人がコロナに感染したことを、誰のどのような行為によって感染したか、というのは厳密に証明することは難しい、ということです。


釈明の余地はないか


上で見てきたように、「県外ナンバー狩り」をする人たちに釈明の余地はないといえるだろう。ただし、新型コロナウイルスの拡大については、行政側の効果的な政策や情報開示がなければ、国民が不安になってしまう、ということも事実としてあるだろう。


このような「県外ナンバー狩り」という事象が起こる背景には、人間の不安や怒り、ストレスを増大させるウイルスの恐ろしさというのがあるのと同時に、しっかりとした政府や行政の対応が求められると思う。


ストレスを感じたり正義感をもって制裁を加えたいという気持ちも分かるが、自分の行動が偏見に基づいた差別ではないかということをいったん立ち止まって考えてもらいたいものだ。


最後に


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