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走馬灯

「人は生死をさまようときに、今までの記憶がつぎつぎと思い浮かぶらしい」

誰でも一度はこんな噂を聞いたことがあると思う。「走馬灯」という言葉で知られるこの噂をわたしは中学3年生のころに実際に体験した。

「いやいや、走馬灯なんて噂の一つに過ぎないでしょ〜笑」と思って、これを閉じようとしたあなた。ですよね、わたしでもそう疑うもん。でも、あの日見たあれが走馬灯と呼ぶものじゃなかったのなら、なんと呼ぶべきものなのだろう。あの日からかなり時間はたったが今日より新鮮な記憶はないので、いまのうちに備忘録としてここに残そうと思う。

※このエピソードは、後半にすこし上品とは言い難いシーンがあります。そのシーンが重要な役割を果たしてくれたので略さずに覚えてる範囲で話そうと思います。


あれは中学3年生の夏。

バスケットボール部を引退したわたしは、少しずつ増えていく体重に危機感を募らせていた。そこで、ダイエットを本格的にはじめることにした。「いや、高校受験の勉強しろや」と思われたかもしれないが、通っていた学校が中高一貫ということもあり、そこまで勉強に注力する空気感がなかったのだ。

ダイエットを本格的にはじめるとは決めたものの、「ようやく部活での辛い練習から解放されたんだから運動はせずにできるだけラクに痩せたい」という頑固たる強い意志があった。そこでたまたま興味を持ったのが、半身浴だった。半身浴について一応確認のため説明しておくと、みぞおち程度まで湯を張って入浴する入浴方式だ。

もともと我が家では節約のために、バスタブにはみぞおちあたりまでしか湯を張らない。そのため半身浴をはじめやすかった、というか言うなれば知らないうちにすでに半身浴の英才教育を受けていた。これに気づいてから「いままでやってきた半身浴で目に見える効果がないのであれば、全身浴のほうが発汗作用があり、ダイエットの効果が出るのが早いだろう」と考え、ダイエットとして全身浴をはじめることにした。

さぁ、そんな流れで始まった全身浴1日目。バスタブを洗っていざ湯を張ろうとしたのだが、肩の辺りまで湯を張ったら倹約家な親に渋い顔をされるだろうと考えた。そこで、いつも通りバスタブにみぞおちあたりまでの湯を張ることにした。体を滑らせてバスタブの床に背中を合わせるような角度で肩までつかるスタイルで全身浴をし、そしていつの日か、より発汗作用を促すために風呂を蓋をしめるようになった。

※めちゃくちゃ危険なので、絶対に絶対にこのような入浴方法はお控えください。


そんな感じでほぼサウナ状態で入浴し、食生活も改善して数キロ落ちてきたころ。
その日も蓋をしたお風呂で全身浴をしてから、身体を洗おうと洗い場に移動しようとしたのだが、立ち上がった矢先にフラッと立ちくらんだ。たまに起きる症状だったのでいつも通りすぐに冷水を飲んだのだのだが、その日は冷水を飲んでから再度立ち上がった瞬間、予期せぬ大きめの立ちくらみが起こり、バランスを崩して受け身もとれないまま真後ろに倒れて頭を打ったようだった。そのまま意識を失ってしまった。

いや、「意識を失った」という言葉が正しいのかがわからない。夢のようなものを見たのだ。その夢とは次のようなものだ。


いつのまにか、螺旋状につづく階段のようなものを上がっていた(厳密には自分の意思ではないので上に移動していた)。その螺旋階段には、無色透明の壁にA3サイズほどの液晶画面が何枚も不定期に並べられている。階段をあがるごとにフワッと液晶画面上で昔から現在にかけての時系列順で人生のハイライトの場面が流れ出す。当時、14歳の若輩者だったとはいえ、数えきれないほど人生はハイライトの動画があった気がする。しかし、私が思い出せる液晶画面はひとつだけ。それは螺旋階段をあがって一番最後の液晶画面だった。

※冒頭にて説明した「上品とは言い難いシーン」は、以降の箇所です。

その液晶画面で流れていたハイライトとは、今日(倒れた当日)に学校で「いままでの人生のなかで一番痛かったエピソード」を友達4人で共有し合った場面。それが螺旋階段をあがって一番最後の液晶画面だったのは、いままでのハイライトのなかで一番最新のハイライトだったからなのだと思う。

共有したエピソードを覚えている範囲で話すと、

平均台を歩くように、ガードレールを歩いたら、バランスを崩して足を滑らし、そのままの勢いでガードレールにアソコを強打した友人の話


初めて行ったスキーで、雪の積もっていない氷剥き出しの場所でバランスを崩し、習ったばかりの「ハの字の姿勢」が誰目線の「ハの字の姿勢」か混乱した結果、他者目線の「ハの字」のポーズをし、みごとな速さで両足が開いて剥き出しの山なりな氷にアソコを強打した自分の話


ありがたくも4人とも平成時代の平和な日本ですくすくと育ったので、人生で一番痛かった話はどれも情けない内容で大笑いしたのだが(というかアソコが痛かった2人分の話しか覚えてなくて自分の記憶力のなさがめちゃくちゃ恥ずかしいなおい)、まぁとにかくそのハイライトが流れている液晶画面を見ている最中になんとなく気づいたのだ。

「え、いま、わたし痛くない?」と。

そこで、それまでずっと何も言葉を発することなく螺旋階段をのぼってきたのだが、その螺旋階段の最後の液晶画面のまえで、めちゃくちゃ声を振り絞って「痛い」と声に出してみることにした。そのとき、なぜか恥ずかしいと感じたのを覚えている(例えるならずっと無言で乗ってた静かな満員電車で「痛い」と叫ぶぐらいの規模のはずかしさ)。

勇気を出して螺旋階段の最後の液晶の前で「痛い」と声に出してみたら、どうやら現実世界でも「痛い」と声を出していたようだった。自分の声で意識が戻り、目を覚ますと洗い場で仰向けになっていた。

以上が、わたしの見た走馬灯。

たまに考えるが、もしその日、友達4人といままでの人生のなかで一番痛かったエピソードを共有しあって大笑いしていなかったらどうなっていたのだろう。きっと螺旋階段の最後の液晶画面には違うハイライトが流れていて、自分が現実世界で置かれている危機的状況に気づかなかっただろう。仰向けで意識を失ったまま数分後に帰宅した母親に発見されて、救急車で運ばれていたのではないかと思う。本当に危ない経験だった。

ここ最近、「死の直前に人が走馬灯を見る理由は、今までの経験や記憶の中から迫りくる死を回避する方法を探しているから」という一説を耳にした。どうやら鬼滅の刃で胡蝶しのぶというキャラクターがこの一説を話すシーンがあるらしいのだが、生意気ながら、その一説はあながち間違いではないと感じる。

※しつこいですが、みなさんも絶対に蓋をした湯船で長時間の全身浴は絶対にしないでください。

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