なぜ悪人を守るのか

    重大な犯罪がニュースになるたび、幾度となくこの問いが繰り返されます。こうした批判の矛先は、ときにこんな形で弁護士にまで向くこともあります。 

「どうしてあんなやつを弁護するのか」

    人々はときに暴走します。犯罪者に人権など必要ないという人もいますが、そうした意見に流されることなく、適正な手続を保障することで、然るべき刑に処するべきだからだ、というのはよく見る説明です。弁護士が国家権力を監視することで、刑事裁判を全うに機能させるのだという解説もよく目にします。     
    もちろん、これらの説明は正しいものです。しかし、私も実はこのタイプですが、理念として受け入れていても実感は伴いにくいのではないでしょうか。犯罪者の権利などさっさと剥奪して厳罰を与えるべきだと考えれば、弁護人なしで裁判所が決める刑が「然るべき」刑であり、したがって弁護人は必要ないどころかリソースの無駄だという結論に至ってしまうことになりかねません。

    この問題について、ある弁護士が面白い説明をしているのを見かけました。というのも、きちんと被告人に弁明の機会を与えなければ、被告人があとから身勝手な言い訳をするのを許しかねないというのです。
    弁明の機会なく刑を決めてしまえば、あとで被告人が勝手なことを言い出しても否定する材料がありません。実は犯人は宇宙人だ……というのは突拍子が過ぎますが、裁判官が予想もしない言い訳は裁判でも検討されません。刑の重さを左右する事情として、裁判官が知りもしない主張を始めたような場合も同じです。
    ですが、被告人と弁護人が死力を尽くして主張を繰り広げたのなら、他に言うべきことは残っていないはずです。弁護人の弁護があれば、裁判官は、被告人に有利な言い分も全て聞いた状態で判断をすることができます。 

    適正な刑であるためには、重すぎても軽すぎてもいけません。被告人や弁護人に言い訳をさせ、それをつぶさに検討してはじめて、被告人を無罪やより軽い刑にするべきではなかったかという疑いを否定することができます
     つまり、弁護人は、被告人の刑が重すぎないようにする役割と同時に、検察官とは別のやり方で、刑が軽すぎるのではないかという疑いをなくす機能も持っています。こう考えると、この問題も少し納得しやすくなるかもしれませんね。

画像1


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?