見出し画像

セントポーリア賞は何かの登竜門

  学生時代、私の愛読書は競馬ブックであった。当時はグリーンチャンネルもましてYOU TUBEも無い時代なので、ブックに書かれた馬柱や追い切りの時計、先週のレース結果のデータを見ながら、脳内で妄想を繰り返しいた。

  その中に新馬戦のダート1800mで大差勝ちを収めた馬がいた。当時は、今よりも馬の能力差は大きかった気がするが、それでも着差2、0秒というのは中々の破壊力であった。コイツは次走間違いないと思い、パチンコで貯めていた金を持って、馬券を買いに行った。

  その馬の名前はチョウカイキャロルである。父ブライアンズタイムは、今ではダートのイメージがあるが、当時はロベルト系の血で芝の長距離の印象だった。母父ミスタープロスペクターも底力のある血統で、一介のダート馬ではないと確信。

  競馬場に着くと、オッズプリンターでオッズを確認。すると、まさかの2番人気。美味しすぎる。倍プッシュ。かなりの大金を単勝にぶち込んだ。

  ドキドキのレースがスタートする。思ったよりチョウカイキャロルは先行できていない。それでも、4コーナーを回る時は2番手集団の外につけていた。先頭はエイシンミズリーでなかなか抜けない。モミモミしている間に外から一瞬で抜けてきた馬がいた。

  オフサイドトラップである。    嗚呼ああ、、あまりにあっという間でチョウカイキャロルもその後、2着を死守するのが精一杯だった。

   かなり自信があったので、チョウカイキャロルが負けたのが信じられなかった。その後、チョウカイキャロルはフラワーカップも負け桜花賞も出れなくなるが、オープン勝ちをしてオークスに出走。晴れてオークス馬になる。

  オフサイドトラップもその後紆余曲折苦しむが、最後に秋の天皇賞勝ちをする。ファンの中には高齢まで走った苦労人みたいなイメージをオフサイドトラップに持っている人もいるかもしれないが、セントポーリア賞を勝った時のオフサイドトラップはキレキレの秀才のイメージだった。

  また、オフサイドトラップの父トニービンもこの2世代目あたりから府中へのズバ抜けた適性が指摘されるようになった気がする。

  私はこの時の教訓を活かし、前走で大きな着差をつけて勝った馬が1番人気なら逆に2着付、あるいは単穴を狙うという馬券法を確立する。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?