日々分かったことを分かったようなつもりで上から順に書き足していくページ

人間の「度合い」ってやりたいことをどこまで我慢できるか、ってことなんじゃないか。どこまで我慢できないでやってしまうか、ってことなんじゃないか。

教わったことの数よりも、それを使って考え出したことの方が間違っていても尊い。たくさん知っていることだけでは何の役にも立たないこともある。教わったことというのは教えたものによって正当化の手順を踏んだことばかりだから。

正しいことを言っていれば、あるいは言い方が正しければ嘘でもいいんだ、というような嘘みたいなホントのことがまかり通っている。

歌唱力、というものさえも時代によってその中身や価値が変わっていく。マイクとインイヤーモニターを使うことで成立している歌唱力が現在の世界の大半を包んでいる。

正しいことしか言わず、間違ったことをしないようにする人間は魅力がないし、人の期待に応えられない。

日本の民主主義は「反対意見を時間切れまで蹴散らかせば勝ち」というルールで成り立っている。本当はAとBという意見を交わしてCという結論を得るのが議論というものである。

社会的なコンセンサスが取れているものはコストがかからない。取れていないものをやろうとするとそのコンセンサスを取るためのコストが多大なので、一般の人はやりたがらない、そんなリスクは取らない。つまり余計なことはしないということ。しかしその固定化されたコンセンサスは時代によって大きく崩れ、変わることもある。
例えば「お金になることをやる」というのが社会的なコンセンサスで、儲からないことだけどいいことを進めるのには社会的コンセンサスに従わないというコストがかかる。

いいものがいいんではない。数を持っているものがいいとされる世の中で、この先これが世の中の質にどう影響を与えていくかは未知数である。

急激に起こった変化や出来事は、あとでゆっくり調べていくと悪事をはらんでいることが多い。

いざというときに周りと同じような行動をとって安心してしまうのは、偏に知性の未熟からくるものである。

東京の世界に冠たる主要駅は、基本的に雨漏りがひどい。無謬を愛している国民性があるのかと思っていたが、実は経済の名の下にはそうではない。目先の小さな無謬を求め、いつかは大きな崩壊を招くことに気づかないふりをしているのか。

とっとと考えて結論出して「はい次」と片づけていくことと、じっくりと考えて見えてくるのを待つというのは、同じ「考える」という言葉を使ってはいけないくらい別物である。

中途半端な教養は、自分を正当化するための飾りボタン程度にしかならない。正当化しないと正しくないということだ。

これだけ言動に政治的な正しさを求められるのであれば、遠慮会釈なく一度に大量のお客を相手にする時代は終わっていくかもしれない。小さく小さく伝えていくことがよいのかもしれない。

めんどくさがりの人は、そのことが他人に面倒をかけていることに気がつかない。

これからを生きるものの嗜みとして、ハラスメントにならないようにパワフルな、セクシャルな、アルコーリックな会話の考え方を会得しておくことが大切である。

西洋文化と日本文化を現代において比べたときに、日本は一人で何かをすることが容易な建て付けになってきている。パートナーを必要としない場面が多い。

教える、とは自分が教えたことがクソの役にも立たないということも想定して教え込むことである。

ありがとう、という言葉を多用することは必ずしも日本の本来の感謝に対するプロトコルではないのかもしれない。モンゴルや中国の人たちは親しい間柄に「ありがとう」は言わないようだ。

得た情報よりも、得られなかった関心がなかった読み飛ばした情報に思いを致そう。

とにかく日本が書類をたくさん書かせて手続きが煩雑なのはそうやって力を削いで懐柔させる「参勤交代」に端を発しているのではないか。

SNSの匿名アカウントと実名アカウントは言っていいことと悪いことの水準が違うので実名が折れない限り会話は成立しない。

他者に親切にすると言うことと、他者を放っておくということは同じ理由やスキルでやり遂げねばならない。従ってどちらかしかできないのは誤りである。

外国に行くということは、日頃自分が当たり前だから忘れていることの輪郭をまた思い出すことだ。

自分の気持ちを素直に表現しても、そこに難癖をつけてくる人がいる。自分は難癖だと感じても、向こうはそう思ってない。

彼岸花は球根で増えるので、自然界で他の場所に個体を増やすためには災害の力を借りる必要がある。

竹原文楽、について調べたくてもWikipediaのページすらない。

非常時のことを考えると、新幹線のチケットの買い方は「EXプラス」一択というのが現状である。

新幹線遅延時の駅アナウンスはよく聴いていると、少しずつ状況の変化が言外に伝わってくる。


ここはわたくし柳家三之助を一番そばで応援していただくためにある場所です。それなりの覚悟を持って参加していただければ、一番のおもてなしをいたします。よろしければぜひご参加ください。