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アダルトチルドレンが親になって読んだ『人格形成は3歳まで』

こんにちは。
科目習得試験の結果が出ずそわそわしているぴぃです。
出たらその振り返りをまた投稿したいと思うのですが、その前に。
今年の3月からテキスト以外でも毎月1冊は本を読もうと考え、先月読んだコチラの感想を書きたいと思います。
(今回は産能や通信大学系の記事ではないです…自分の備忘録ですスミマセン)

本の感想に入る前に、少し自分のバックを振り返らせてください。
私は中学から少し不登校気味になり、高校では精神科に行ってみたりと学生生活をあまり楽しめずに過ごしていました。そして短大くらいで、自分がアダルトチルドレンなのではないかと認識し始めました。
私が小学2年の時、父の奇妙な行動が始まりました。仕事から帰ってきた後、「スーツを完全に脱ぐまでは父の通った廊下は汚いから拭き掃除が終わるまで立ち入り禁止」という謎ルールを設けられたのです。私は「はぁ?」と思いながらも言葉の意味は理解できましたから、近寄らなかったのですが、そんなことはわからない3歳の弟が父が帰ってきたとニコニコで迎えようとするとすごい剣幕で「来るな!」と一喝する。弟は訳も分からず泣く…。父は手がボロボロになっても何時間も手を洗い続けたり、駅で4番の改札を通ろうとすると「縁起が悪いだろ!」と怒り散らしたり。そんな訳の分からない日々を過ごしました。その間両親のどちらからも「パパとママ離れて暮らすことになったらどっちに来る?」とも言われたし、目の前で喧嘩するのはしょっしゅうでしたが、私はとりあえず喧嘩の間弟が不安にならないように一緒に遊んでいました。その後、中受した女子校は友達はできたものの皆「穏やかな家庭の子」という雰囲気がありなじめなかったこと、父と喧嘩した際「自分の体で稼げ」と言わたことでエスカレーター進学はせず公立高校を受験。偏差値60くらいの高校の特進クラスに3年間在籍したものの、自分に価値なんてないし早めに家出て適当に遊んで30歳前のまだ若めなうちにこの世からいなくなれたらなんて思ってました。それで勉強する気力もなく、勉強も部活も頑張るクラスメイトとは一線を置きより自ら「ダメな奴」になっていきました。

長くなってしまいました。簡単に言うとちょっと残念なティーン時代を過ごしたということなんですが、短大卒業して自分で生活費を稼げるようになったり、親が近くにいない関西に引っ越したりしたら私の中で楽しめることが増え、結婚も子どもにも恵まれました。お先真っ暗と言われる日本ですが、それでも、あの時死ななくて良かったなと思います。それでもひねくれた考え方が染みついて必要以上に頑張るとか激しい自己否定をしてしまうとか、未だに生きづらさを感じることはよくあります。本を読んだり、自分なりにワークして改善されてはいるけど、育ってきた環境は簡単に自分の中からなくせるものじゃないと実感しています。だからこそ、そんな自分が、子どもにどう接してあげたらいいんだろうとよく悩んでしまいます。

では本題。この『人格形成は3歳まで 最新凶悪犯罪分析に基づく子育ての参考書』は、阿部元総理や京アニなど凶悪事件の犯行を犯した人物たちの背景を著者阿部憲仁さんが「推測」しています。そして著者が米国の凶悪犯とやり取りした内容なども含めて事件の再発防止法や子供の心に闇を作らない接し方を提唱しているといった感じ。この本を読めたことはよかったし気になる方は一度読んでみてほしいとも思うからnoteにしているのは事実として
第一の感想は「推測が多すぎる!」です。犯罪を徹底的にパターン分析し法則化したとありますが、正直こじつけでは?と感じる部分が多々。というのも著者は米国の凶悪犯とは直接やり取りをしたそうですが、取り上げられている日本の事件の犯人と話したわけではない。また犯人の幼少期の話も出所は?という部分も。「長年の私の知識から、この犯人はこういう環境でこういう感情を持ったに違いない。」これが多用されすぎていてウーン、、、と。本書は最終章に子育てマニュアルを書いているが、具体的な接し方や考え方ではなく表面的な心構えのようなことが並べられていて、これではマニュアルにはならない、子育ての参考書とは言いづらい…というのが個人的な感想です。(だってもし「接客マニュアル」だったら具体的な声掛けだったり流れだったりを書きますよね?「お客様に誠意を持って対応しよう!」とだけ書いてあっても???となりませんか?)
ですが、本書のまえがき・あとがき部分、これは刺さりましたし、実際に犯罪心理がある程度パターン化されているというのは納得できました。
著者は「親が子供に望むのはやさしいこころが育つことだけでよい」「親の夢は自身で叶える。そのうえで子供は自分の生まれ変わりのように、自分なら親にどう接してほしかったか想像しながら日々暮らしていく」と言っています。技術の進歩に乗り遅れないように。自分の子供が苦労しないように、立派な人間になるようにーーー。多くの親は一度はこのように考え、子どもをよりよい環境で育てたいと思うはずです。でも、その考えすらも「子供の心を無視するネグレクト」になりえるのだと。子どもを守ろうという思いは「ただの過保護」になりえると。親はまず、何よりも子の心と本気で向き合わなくてはならないと。この言葉は簡単に言えるけれども実際はとても重く、できている「大人」はどれくらいいるのだろうと考えさせられます。確かに私も母から完璧でいるよう求められて苦しかった。いつも母の顔色を伺っていた。自分の子供は絶対そんな思いをしなくていいようにと頭では考えていてもちゃんと甘えさせてあげられているのかと内省しました。

子育ての参考書とは言いづらい。と先ほど言いました。それでも私は子を持つ親、親になろうとしている人、それ以外の方にもこの本を一度手に取ってほしいと思うのは凶悪犯罪者・犯罪は決して「他人・他人事」にはならないと考えるからです。どんなに良い先生や友達がいても家庭環境が悪かったら人格は歪むかもしれません。でも「あいつは変だから」で腫物扱いしてしまってはその人はどこで安らぎを得たらいいのでしょう。優しさに触れることなくいなくなってしまうのでしょうか。無差別の犯罪があって「何ておぞましい。自分の身を守らなくては。早く裁かれてほしい。」で終わるのは、結局寂しい気持ちや苦しさを抱える子供を無視しているのと変わりないのではないでしょうか。負の現象に蓋をするのは負を止めることにはならない、と思うのです。悲しい事件などをTV報道のようにネタとして消費したり否定・評論して正義を翳すのではなく、それを受け止め、自分の他人との付き合い方を見つめなおし誰かを気づかうことを皆が再確認することが必要なのではないか。優しさってなんだろうと自分の行動を振り返り、子供への目線を変えるきっかけになる本だと思います。

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