ミリオンライブ 11thライブと主演公演へのネガティブな思い込み

はじめに

ミリオンライブ11th liveの詳細が発表された。
ロコと百合子を主演に立て、タイトルからグッズから全て主演の色に染まった華々しいライブだ。
いままでになく目を惹くものだし、この後の想像も掻き立てられる。
いろんなアイドルの主演公演も妄想する。
激しかったり和やかだったり元気だったり華やかだったり、それら一つ一つは絶対に楽しくて良いものだろう。
なぜなら、ひとつひとつに気持ちがこもり、良いものにしていくに決まっているのだから。
その気持ちのまま、それを想像することを決してやめないで欲しい。
これから吐き出すネガティブな事には、そういう「絶対に楽しいし楽しむ」という気持ちが一番薬になるのだから。
出来るのであればそうやって、今辛いと思ってしまう人たちを助けてあげて欲しい。

懸念1:始まるまで待望するかもしれない

配信でロコと百合子を全面に押し出したコンセプトアートが出てきて、コメント欄は物凄く沸き立っていた。
さながらフェスアイドルやリンケージアイドルが発表された時のように、特に担当プロデューサーはもう言葉がなくなるくらい叫び倒して喜んでいた筈だ。

これがあと20回弱、ライブに対して起きる。
同じように沸き立つのか、同じように喜ばれ歓迎されるのか。
その沸き立ちは、10thまでに起きたライブと同じように喜べるものなのか。
そこに「今回もあの子ではなかった」、「この子とこの子が組み合わせられなかった」、「この子なら別にいいや」という落胆は混じらないのだろうか。
これにそんなことは起きないと断言できるプロデューサーは沢山いると思う。
だがそれは全部じゃないし、これまでよりは絶対に増える。増えてしまうと、自分は今の時点では思い込んでいる。そこから抜け出せない。
それがライブで起きるのだ。ガシャや周年や、もっとスケールが大きくても楽曲ユニットのような、長くたって数年で次の機会が来るもの――だと信じるに値するコンテンツだと示してくれていた――ではないのだ。
選ばれた時、そのような気持ちがどこかにある事に耐えられるのか。

絶対に、そんな気持ちは相手にするべきではない。
無視して、こんなに楽しみでこんなにわくわくする、と声高に叫ぶべきなのだ。
主演なのだから!

懸念2:終わったあとに失望するかもしれない

39人を1周させるのに39公演が必要だ。これは膨大な数で、10th Act4までとほぼ同じ公演数だ。
これらの公演には、もちろん時期やコンセプトや地方があり、会場規模も公演規模も様々だ。
この様々な公演でアイドル一人一人が主演にあたる。
それはKアリーナかもしれない、地方の5000人規模のホールかもしれない、ライブハウスツアーかもしれない。
建設中のバンダイナムコのライブハウスで定期的に行われるのかもしれない――それらひとつひとつに主演がつき、11thと同等のものとして!
それらを「毎回11thや10thの規模ではないだろう」と切って捨てるとき、ではどのアイドルが「11thではないほう」にあてがわれるのか。誰が、あてがわれることをよしとするのか。

ライブ一つ一つは全力で作り上げるし、とても輝いたものだろう。確信を持って言える。
だが、それは本当に同じ価値を持つ主演公演だと、本気で胸を張れるのだろうか。
地方公演でその地にゆかりのないアイドルが主演をして、それを凱旋公演と本当に「同じく相応しい」と言えるのだろうか。
どうしたって一番良いものに対して見劣りする箱、見劣りする規模、そこに宛がわれるアイドルのことを想像できるのか。
一公演一公演の全員が主役だった時と同じように、同じだけの人がいいライブだと言えるのだろうか。
公演ひとつひとつにアイドルの顔があるときに、それぞれがすべて良いライブだったと全員が本当に思えるのだろうか。
これを「シアターの定期公演のようだ」と、最後に見渡して本当に誰しもが言えるのだろうか。

絶対に、こんな懸念は相手にするべきではない。
担当アイドルの主演が――他のライブがすべてそうであるように――一番楽しくて輝いていたのだと大声で伝えるべきなのだ。
主演なのだから!


おわりに

いままで「主役全員で」支えあって払拭していったライブへの不安が、今後十数年はアイドル一人二人の肩に乗ることになる。
その不安はもちろん担当プロデューサーにも降りかかる。
それらを楽しみたい。最後に楽しかったと言わせて欲しい。
こんな記事、数年で手のひらを返して下書きに追い込んで欲しい。
ひとまずは11thライブだ、楽しもう。全力で!

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