「重版出来」についての続き。修整(なおし)は辛いよ。でもね。

あと、これはこのきに乗じて言っておこう。

今回の重版出来の東江さんの問題は漫画をどれくらい「自己表現として捕らえているか?という問題と、どれくらい「戦略的になれるか?」という問題でもある。

前者が大きく後者が少ないと、そら辛い。

ボクは広告業界からの依頼で幾つかの漫画のシナリオを書いたが、それらは厳密に言うと広告媒体なので、作品ではない。

当然、クライアントや代理店の直しが入る。中には、これが重役の名前リストだから似た名前は避けてくれ。とか空想で書いた会議のシーンに「本当にこういうやりとりがあったからやめてくれ」という割と納得のいく指摘や「この実在のクラブが偉いさんのお気に入りだからママとこの女の子を登場させてくれ」とか苦笑を禁じ得ない物。

クライアントだけではなく電力会社の話に代理店担当者の「どうしても盲目の紳士と若い女性がワルツを踊るシーンを入れてもらいたい」とか、「ああ、あの映画観たのね。でもなんでそんなシーンがどうしても欲しいの?」とかむちゃくちゃな物もあった。

商業誌でも父親と息子の確執のテーマで書いたら担当編集者が「絶対にイヤだ」と訳を聞いたら担当者のお父様がガンで余命幾ばくもない。から。とか、まぁ気持ちだけは分からないでもないが・・・とか、このアクセサリーを出してくれと言われて出したら、それを担当者の愛人がつけていたとか。

一つ一つの台詞ばかりか、「てにをは」の一つ一つまで直しておくれ。と電話で言うので、電話する手間をかけるなら、そっちでやればいいのに。と思ったりしたこともあった。

広告、商業媒体にかかわらず、同人誌で無い限りは、納得のいく直し、いかないなおし、苦笑して飲み込むなおし、戦ってでもはねつける直し、どれも、ままあるものよ。

それは、戦いながら、なんとか飲み込みながら「自分の線」を作り、それでも形にしながら、つどつどにやっていくしかない。

「重版出来」のツイート見ると悲鳴とヤスケンさんへの怨嗟の声が多いけど、

ヤスケンさんは単なるビジネスマンで「つぶしの」なんて異名を取っているけど、代理店とかメーカーではあっちが普通だよ。

下請け業者に付き合って正月まで働く人なんていないよ。

つきあう編集者がいる出版業界の方が珍しいんだよ。

商業誌の編集部には、広告部や代理店より、もうちょっと作家の立場に立って親身になって欲しいのはやまやまだし、いたら嬉しいけど、僕らは零細個人業者でもある。受注したからには個人責任もあるのだよ。

ヤスケンさんくらいの人やなおしは「まま、あること」だと思うし、チャンスをくれるだけ「ありがたい」編集者だとボクは思うけどね。

これまでも、つぶそうと思ってツブシたわけじゃないんじゃないかな。

まぁもう少し「助っ人アシスタント投入」とか

「海外からでもメールか電話」くらしてもいいかとも思うけど。

ボクはこれまでの担当者さんと比べても責められはしないな。

僕ら作家には少なくともそのあきらめと覚悟は必要。

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