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算命学余話 #G47 「引き立て役」/バックナンバー

 前回の余話では、怜悧冷徹との評判高い算命学には似つかわしくない「愛情」に関わる見解について述べましたが、やはり総合的に見れば、算命学は人間を冷ややかに断じる思想と言って良いかと思います。そこに感情論はなく、あるのは「こういう星並びだと感情に訴えやすい性格を形成する」といったシニカルな判断です。
 鑑定者がこうした星並びの依頼人に遭遇した場合には、その感情に同調するのではなく、感情を冷ややかに突き放して自分自身を眺めた時に、どういう解決策が見えて来るのかを相手に伝えることです。結局のところ、依頼人本人が自身の人生問題を直視し解決しなければ、開運には至りません。感情に同調して慰めたところで、愚痴を聞いてもらった依頼人の気分が幾分すっきりするくらいで、事態は堂々巡りするだけ、何ら解決の糸口は掴めないと、算命学は考えています。従って、人の身の上話に涙するタイプの人は、算命学の鑑定には向いていないとされています。

 さて、今回の余話のテーマは、算命学本来の冷徹に立ち戻って、人生における「引き立て役」です。
 人間誰しも、自分の人生においては自分が主役です。しかし他者から見れば自分は脇役に過ぎない、という冷酷な事実に気付いている人はあまりいません。どんなに魅力的に輝いている人だろうと、大金持ちだろうと、有名人だろうと、他者から見れば誰もが脇役です。しかしその脇役の輝きが大きいことによって、当の主役すなわち自分自身の輝きが霞んだり、容姿や能力が劣って見えたりして、あたかも自分自身が脇役かのような錯覚を起こすことがあります。或いは逆に、優れた脇役の輝きを浴びることによって、自分が実力以上に輝いて見えることもある。更には、自分の輝きが際立って見えるように、わざと劣った脇役を周囲にはべらせて、主役を気取るという人もいるでしょう。
 いずれの場合も、一方が主役になるなら、もう一方は脇役になるしかない。両雄は並び立たない。主役にとって脇役とは、自分の輝きを高めるための引き立て役である。実に算命学らしい論法です。

 夜空に目を向けると、無数に輝く星々の中では、大きな星ほど目につきます。そして小さな星やぼんやり見える星団には目が留まりにくい。しかしだからといって小さな星や星団がなければ、大きな星の巨大さは実感できないし、その位置すらも確認できずに見過ごしてしまうかもしれません。脇役にはちゃんと役割があるのです。
 夜空に散らばる星々は、我々の立つ地球から見ればA星が大きくてB星が小さく見えるけれど、実際のA星とB星のサイズがその通りの比率とは限らないし、逆方向から見ればB星の方が大きく輝いて見えるかもしれない。我々は自らの立つ立地点を考慮して星を眺め、宿命を論じなければなりません。

 前々回の『算命学余話#G45』で取り上げた「従生格」は、「完全格」でした。しかし完全格が成立する宿命は極めて稀で、そうそう巡ってきません。その代わり、「一カ所だけ条件にそぐわない完全格」というものがあり、こういう宿命を「一点破格(いってんはかく)」と呼びます。この一点を譲歩しただけで、該当する宿命の数は一気に増えますが、これを完全格と同等と見做して良いものかどうか。そして守護神はどう取るのか。今回のテーマの「引き立て役」に結びつけて考えてみます。今回も「初心者向け」説明を省いた内容になります。

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