読んだ本#1 『勉強の哲学 来るべきバカのために』(全部読んでないのに感想を書く)

とりあえず、noteの使い方も全く調べていないので何も分からないのですが、なんとなく書いてみます。何事も「ちゃんと準備してからやろう」と考えてしまうと先延ばしてやらずに終わってしまうような気がするので、適当にやることが大事だと思って生きているような気がします。
これでも昔は考えすぎるタイプで、座右の銘を「案ずるより産むがやすし」にしていたこともあるくらいは慎重な人間だったのですが、最近の自分に関してはよく分かりません。

noteを書いてみた経緯はここまでとして、これから『勉強の哲学 来るべきバカのために』を読んで思ったことなどを書いていきたいと思います。


本書のはじめにでは、「深く勉強するというのは、ノリが悪くなることである」というように勉強をディスるところから話が始まり、いまのままでも十分に楽しい人は「深く」勉強する必要はない、ということまで言ってしまう。私が勉強をしてきた人間であると考えた場合、たしかに、勉強をするとノリが悪くなるというのは何となく分かる。一々物事について不必要な部分で引っかかってしまう。それが恐らく、ノリが悪くなるということだと思う。

昔『アルジャーノンに花束を』を読んで頭が良いことは本当に幸せなんだろうか、と考えたことがある。物語の内容としては、知的障害を持つ主人公のチャーリイが手術(実験?)によってめちゃめちゃ頭が良くなるという話。この手術により、かつては仲間だと思っていた人が、実は自分のことをいじめていたということに気づき、人間とは醜さを持つ生き物であるのだと主人公が気づくシーンが印象的だった。

まあ、当たり前ではあるけど、頭の良さと幸せかどうかは関係がないだろうし、以前に読んだ哲学の入門書の序盤も「哲学の本を手にとってしまった不幸なあなたのために」みたいなノリで書いてあったので、「深く考えること」と幸せは相性が悪いのかもしれない。

『勉強の哲学』はざっくり言うと、勉強を通じて新たな自分にトランスフォームしていこうぜ!!でも万人には推奨しないよ!みたいな感じの本っぽい。でも最後まで読んでないので続きはまた今度。覚えていれば。


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