勧善懲悪はどこへやら

29歳の時、中学テニス部の同窓会が行われた。出席者は顧問の先生、同級生、一つ年上の先輩たち。なぜか女子はいない、野郎だけの会だった。

私たちの代のソフトテニス部は、男女総勢50名は軽く超える大所帯だった。練習は、先生が決めたグループに分かれて行っていた。団体戦にも出場するいわゆる上位メンは、先生の監視下で練習に励み、場所はクレーコート。対して、個人戦のみ出場の下位メンは、学校から道路を隔てたハードコートで自主練するというきまり。先生が見にくることもあったが稀であった。そう、私は下位メンだった。

ここでフェンスに囲まれて、同じ時を過ごしたある先輩の話がしたい。容姿はトンガリ頭で切れ長の目、肌の白さが特徴的な男だ。彼は突然キレだして、ラケットで思いっきり打った球を人に当てる奴だった。彼も私と同じ下位グループ。つまり先生の目が届かない環境下のため、彼を制止できるものがいなかった。いや、それは言い訳で球の矛先が自分に向くことを恐れていたのだった。なぜなら、球を当てられる人は常に決まっていたからだ。それは、トンガリ頭と同学年の丸顔の先輩。いつも怯えて背中をこわばらせていた姿が記憶に残る。丸顔の先輩は、同窓会にいなかった。

トンガリ頭は出席していた。昔の悪ガキも大人になって、今や県庁職員。近々結婚するそうだ。なんだかグレードの高い会場で式をやるらしい。酒が進み羽目を外した先輩たちの会話が聞こえてきた。
「いや〜まさかトンガリ頭が年上と結婚するとは思わなかったよ」
「遊ぶなら年下だけど、結婚は年上っしょ!」
ずいぶんと人生を謳歌されているようで。

一方で、頬のそばかすが素朴さを醸し出す温厚な先輩。彼は上位グループだったので、そんなに話をしたことはなかったが優しい先輩であることは印象に残っていた。同窓会の帰りで一緒になった。二人で夜道を歩いていると、私の仕事について聞かれた。「サンド君は正社員?」特に脈絡もなく聞かれたので不躾な質問だなと感じた。まあ酔っているからかなと思い「そうです」とだけ答えた。すると「そっかあ。サンド君も頑張ってるし、みんな頑張っているんだな。俺も頑張らないと!」と語気を強める先輩。先輩が熱くなっている理由がわからなかった。しかし、数年後に理解した。温厚な先輩は工場で働く派遣社員だった。何で知ったか。同級生から聞いた。作業中、重しの下敷きになってしまったという訃報とともに。

私の性格は、自他共に認めるあまちゃんです。エンタメでは、勧善懲悪の作品を好んでは観てきました。だってそうでしょ。良い人は報われて、悪い人は罰を受ける話の方が、理にかなっていていいじゃない。そういう作品ばかり観て育ってきた影響もあるのかな。悪いことをする奴にはしっぺ返しがあって、当然だと思っていました。神様が見ているぞ!って。だから、人が行う善悪に対しての処遇を神様が調整してくれていると信じていたわけ、心の片隅で。

でも、さすがにこの一件で疑念を抱ずにはいられなかった。この世に神様なんているのかなって。そりゃたった一夜の会、先輩の一部分だけを見て知ったような気になって善悪を決めつけるのは早計も甚だしいよ。そもそも自分みたいなもんが判断できることではないし。それでも、神様が存在するのだとしたら、なぜこのようなむごい仕打ちをしたのかは理解ができませんよ。

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