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人生の経過を楽しむことで歴史の尊さを知る

先日、劇場版『名探偵コナン 迷宮の十字路』を観ました。物語に源義経の話が出てきます。そこで、弁慶って義経の家来なんだと思いました。観るのは5回目くらいなのですが、記憶に定着しません。なぜなら、歴史に苦手意識があるからです。と言うよりは興味がない。過去のことを知って何の意味があるのだろうか。偉人のことを学んでも会うことはおろか肉声すら聞くことができない。だったら、今活躍している人のことを知るために時間を使いたい。そもそも、歴史って本当に事実なのか確かめようがない。不確実なことを学ばなければならないことに煮え切らない思いを持っていたからです。

ところが、ワンピースのニコ・ロビンが語った台詞に考えを改めさせられました。場面は空島編。古代都市の遺跡を破壊する敵に対し考古学者であるニコ・ロビンが、

『あなたには、先人の足跡を尊ぶ気持ちが全くない様ね』
「私は過去にこだわらない質なのだ!!」
『愚か者は極まってそう言うわ』
ONE PIECE 第264話「戦士カマキリvs神・エネル」より引用

と言うのを読みグサっときたのであります。学生の頃は、そう思えませんでした。しかし、大人になって少し視野が広がった今ならば…。先人の行いから現代があり、その足跡を辿ることは大きな学びへとつながっていくことに気づきはじめています。

学生の頃は歴史に興味が持てなかったのですがその反面、公民には興味・関心が強くありました。日本国憲法の三大原則、国民の権利・義務など今適用されているルールを知ることができる。学ぶことの意味をすぐに実感できて嬉しいし面白かった。教科書をめくるのが楽しいと思えたのは、公民だけだったように思います。

ふと思い出したのが、アダム・スミス『国富論』の中で提唱された「神の見えざる手」であります。別名「価格の自動調節機能」と言われる市場原理の仕組みの話。ざっくり言うと、消費者と売り手がどうあがこうと最終的には互いが納得せざる得ない価格に落ち着くという市場の流れを表した用語のことです。のんびり屋の自分にとって、どう行動しても行き着くところは同じだという結果にどこか自由さを感じて印象に残りました。

この考え方を人生に転用できないのでしょうか。運命には抗えない。どう行動しても、GOALは決まっている。そうなると分かっていれば、もっと好きに自分勝手に生きられる様な気がします。いや、逆かな。人生の行く着く先を知ってしまったら何もしない、何もできなくなってしまうかも。いずれにしても、人生は経過を楽しむことが大切なのかもしれません。結果は決まっていても、そこに至るまでの道のりを楽しめれば無駄なことにはならないはずです。そう信じたい。経済と人生は違うんだ。このように考えることができれば人類の来た道、経過を遡る歴史の尊さをより認識できるかもしれません。

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