見出し画像

野獣から人間になること。人間になってしまった井芹仁菜。

ディズニーの「美女と野獣」で、野獣にかけられた魔女の呪いが解けて人間に戻るシーンについて、スタッフはそれまで時間をかけて視聴者に形成された野獣への愛着をどうやっても越えられないことに苦しめられたそうです。実際、人間に戻った王子より野獣形態の王子の方が好きな人がほとんどだと思っています。

「犬王」では、平家の呪いにより異形として生まれてしまった犬王が、能楽の舞いを通じて少しずつ呪いを解いて人間へと近づいていく物語が描かれます。私は異形の手が、足が、胴体が、そして最後に顔が人間に変わっていく犬王を見ていて、どんどんつまらなくなっていくと感じていました。犬王自身の舞いも最初は異形の身体を活かした奇妙な舞いだったものが、人間の割合が増えていくにつれて人間的なものに変わっていきます(劇中では時代考証を無視した現代的なダンスで表現されていますが)。そのため、物語上で一番盛り上がるはずの最後の舞い、完全に人間の姿を得た犬王が能面を外すシーンの時には、私の心は完全に離れていました。(ただしこれは制作者の意図通りの可能性があります)
最終的に犬王は帝の権力におもねることで時代をしたたかに生きる道を選び、後世に名を残します。実に人間的な振るまいです。

この記事はガールズバンドクライの話です。前の記事でガールズバンドクライが面白すぎると書いたばかりなのですが、9話と10話を観て急速に自分の興味が失われているのを感じています。以降の話では10話までのネタバレが含まれます。

ガールズバンドクライ10話では、熊本に帰省した井芹仁菜とその家族の和解が描かれます。井芹仁菜視点では無理解と断絶の象徴のようであった父親が、実は父親も悩み、娘を理解し、変わろうとしていたことが明かされ、両者の間にある対立は解消されます。この熊本パート自体は単体として見た場合はとても良い物語だと思いましたし、自分の今の境遇とリンクするところもあり、感情を揺さぶられました。家のルールも変わったね。

しかし私がガールズバンドクライを面白いと思っていたのは、心に鬱屈を抱えた井芹仁菜が周囲を振り回しながらその衝動を放出する姿でした。心に獣を飼う井芹仁菜がバンドメンバーと出会って、傷の痛みに由来するその無軌道なエネルギーに指向性を持たせられるようになる姿でした。

でもさー、親と和解しちゃったらそのトゲが抜けちゃうんじゃないですかって思っちゃったんですよね。トゲが刺さったままの井芹仁菜がどうなっていくのかが見たかったんですよ。昼間の川崎でキラキラした光に包まれてメンバーと合流してたら、それはもうトゲナシトゲナシじゃないですか???

今回井芹仁菜は親との和解を通じて作詞ができたって話になっていますが、これまでの話の作りだと和解しちゃったらむしろ作詞ができなくなるのが自然だと思うんですよ。仮に11話以降でなんかバンドのノリが変わっちゃって上手くいかないねって話になるなら手のひらをクルクル返す用意はできていますが、まあそんな話にはならないでしょう。

思えば9話から予兆はあったんですよね。河原木桃香と通じ合った井芹仁菜がギターを練習して、それを智に酷評されても、それで練習やめるのって聞かれて「なんで?」ってキョトン顔するんですよ。ああ、井芹仁菜の無自覚キョトン主人公顔は見たくなかったなって思ったんです。井芹仁菜がどんどん獣から人になっていく。

これはものすごい勝手で趣味の悪い話で、野獣も、犬王も、井芹仁菜も、人間になることを望んでるんですよね。そのキャラクターの望みが叶ってるわけですから、基本的には視聴者としては喜ぶべきところでしょう。でも私は、野獣や犬王や井芹仁菜が人間になれずに苦しみながら生きてる姿を見たいなって思ってしまいます。酷い。

終わり。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?