欠落と美しさ

 あなたには劣等感、コンプレックスがあるだろうか。おそらく無いと答えるような完全無欠の人間はそういないだろう。
 人というものはとかく生きづらいもので、どんなに美人だ、かわいいと言われても、やれ鼻が気に入らない、やれ出目だ奥目だ、やれ骨格が気に入らないなどと自らの容姿を嘆き続けるような人がSNS上で散見する。他にも性格、収入、家柄、嘆きの対象を数えあげたらきりがない。
 SNSの隆盛に伴い、誰もが自分を演出し、また誰かの演出が否応なしに目に入る時代になった。そうやって誰かと比較し、誰かに憧れ、誰かを羨む。しかし、そうした羨望の先にある満ち足りた誰かは演出された誰か、つまり虚像に過ぎないのだ。
 むしろ全てを持っている、満ち足りた人がいるとしたらその人は恐ろしくつまらない人なのだろう。何かが足りないから人は言葉を紡ぎ、絵を描き、歌い、音を奏で、身体を動かし、表現するのではないだろうか。何かが足りないから遊び、考え、学び、誰かに恋をし、誰かを愛するのではないだろうか。そうした欠落こそが人の本質であり美しさだと私は思う。
 翼を持たないから飛行機が生まれ、速く走るような脚を持たないから自動車や電車が生まれた。太古の昔から人の進化や発展は欠落からはじまったのではないだろうか。きっと人が翼や強靭な脚を持っていたら世界はこんなに小さくならなかった。人がずっと満ち足りていたらあなたがこれを読むこともなかった。
 きっとあなたも何か足りない。だからあなたは美しい。

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