雅号と謙称、あるいは字(あざな)

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明楽庵散人の【晴功雨読の日々】
『内家拳の組立手順書』で「我、明師を目指さん」と書きました。
明師「いつもニコニコ明るい顔で明望している老師」なんだな、と認知して貰えるように、「“少~し” 明るく、楽しく、快適に、過ごせるチップス (Tips)」を発信して行きます。
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少し前に、キマイラの新刊だけでなく、旧刊もKindleでまとめ買いしました。
で、チラッと読んだら、「62歳の真壁雲斎を老人と書いてしまった」云々とありました。
『幻獣少年キマイラ』は1982年7月発行だから、42年前。
当時30歳(私は25歳)の獏さんの考え得た理想の老人像なのかな、と。
そうか~、真壁雲斎より年上になっていたのか、、、。(^_^;)

まあ、なんでそんな話をするかというと、雅号(庵号や斎号)ないし字(あざな)を名乗りたいな、と。
最近小説家で号を名乗っている人って記憶にないですけどね。
先輩の武術家のアレ、今度号なのか字(あざな)なのか聞いてみようかと、、、。

斎号で思い浮かぶのは、「真壁雲斎」と「無明斎(横山光輝『闇の土鬼』)。
庵号で浮かぶのは、「だばだ~」の「狐狸庵先生遠藤周作」。
1972年のCMだから、15歳の時ですね。
庵号はわかりやすいけど、斎号は「“書斎”からわかるように、元来部屋の意味」というのを今回知りました。
つまり、「雲斎」とは、「雲のような自由人の住む部屋」という意味になる?
庵よりも更に小さな、一部屋だけの小屋、に住む自由人なのかな、と。
小説では違うけど、、、。(^_^;)

候補にあったのは、「お気楽庵」「気楽」「明楽」「明興」
一瞬、「興」の時には、「興味:おもしろみ」「興業:起こす」があるので、「明るく、楽しく、活き活きと」に合致していいかなと、思ったのですが、「分かり易いのが一番」と考え直しました。
「お気楽庵」は軽い感じが気に入っていたのですが、「茶化している」と取られやすい。
「気楽」は「氣(チー)を楽しむ」等の、別の意味で解釈されてしまうリスクがある。
「お気楽庵便り【晴功雨読の日々】」というタイトルは、気に入ってたんですけどね。

結果、「明楽庵散人」に

遠藤周作は「狐狸庵山人」と号していたそう。
で、今回「山人」という、「謙称」の存在を知りました。

島生まれなので、「島人」というのもアリかな?と一瞬思いましたが、
・散人:世の中に振り回されない人
・迂人(うじん):世の中のことに疎い人 
どちらかと迂人の方かもですが、ゴロの良い散人のほうに。
「散打の人という意味?」と聞かれそうだけど、ソレはいいかなと。(^_^;)

そういえば、「獏さんに、勁の理解が間違っていると指摘した中国武術関係者」だと多くの人に思われていた時期があったなぁ、と。

タイトルは、「晴耕雨読」をもじっているワケですが、単純に「功」は“体に良いこと”、「読」は“脳に良いこと”です。
“少しばかり”「明るく楽しく快適に」過ごす為のTips(ノウハウ・ハック)を発信します。



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