技工士だった頃に味わったリアル
僕が歯科技工士になったのは、20歳の時。
地元で陸上部を中高6年間やって、
進路も決め切らずに、親から勧められた技工士の仕事をなんとなく良さそうだと思って
専門学校に入った。専門学校の謳い文句は「手に職」「国家資格」「独立できる」
と書いてあって、まぁ手先も不器用ではなかったし
人と関わらなくても良さそうだし、景気にも
左右されないから、という理由で入学した。
今思うとよく考えもせずに入ってしまったと思う。
そこはすごい反省している。
学生時代は、ただただキツかった。
オープンキャンパスの時はあれだけ良い顔をしていた
初老の男性と女性教諭がものすごく厳しい、というか
デキる生徒にはえこひいきし、それ以外はゴミ扱い、罵倒
というような、わかりやすい人たちだった。
現に他の生徒からも嫌われていたし、
そんなクラスでまともな人間関係ができるはずもなく、
派閥ができギスギスしていた。
(特に一軍的なグループでは、派閥なのができていて、
1人いなくなるとそいつの悪口を言うような、
そんな感じだった。ちなみに僕は当時
同じクラスの女の子にフラれ失恋していたため、
もちろんカーストは最下位。常に浮いた存在だった。)
そんなこんなで楽しくもない学校生活と
特にやる気のない技工の勉強して、
でもそんな僕でも受かるくらい国家試験は
めちゃくちゃ簡単だった。
たぶん、3ヶ月みっちり勉強すれば誰でも
受かると思う。
その後僕は横浜の技工所に入った。
今は珍しい有限会社で、社長以下17名の従業員、
うち10名はパートの人たちという会社だった。
専門学校に求人を出していた、もともと違う歯科医院に
見学を申し込んだ際に「ついでに見ていけよ」と言われた
ラボだった。
(ちなみにその歯科医師は朝霞の歯科医院だったが、
初老の頑固そうな爺さんで、偉そうだった。笑)
で、そのラボに行った際、すごくアットホームな雰囲気で
みんな仲が良く、成績の悪かった僕に対してもすごく親切にしてくれた。
から、入った。
今考えると本当にバカ以外の何者でもないと思うが、
当時学校のストレスで憔悴しきっていた僕にとっては、
その優しさが、まるで宗教の勧誘のようなノリで
沁みてしまったのだ。
そしてその会社は、クソみたいなブラック企業だった。
まず入社したての頃、社員の1人がパート従業員の女性に
ストレスに耐えきれず刃物を向けると言う暴行事件が起き
その社員が謹慎処分となっていた。
(ちなみにその人の謹慎も形だけで、その後人手が足りずに
すぐ謹慎解除され、代わりに3ヶ月のトイレ掃除という
小学生みたいな処分に変わっていた。)
その後僕は模型作り(被せ物を作るための土台)の仕事を
3ヶ月やり、そこから仮歯やインプラントの土台作り、
メタルコアやファイバーコア、保険のインレーやクラウンを
作る仕事をしていった。
が、作業量は膨大で、連日深夜まで仕事していた。
入社前にはアットホームな雰囲気に見えていたが、
実は社員も相当ギスギスした人間関係になっており、
それをバカな社長は気づきもせず、
クソ忙しいのに会社でBBQや飲みに行ったりなど
無駄なことがたくさんあった。
もちろん、仕事が終わらないので
酒が入った状態で仕事をすることもあった。
(まず、医療職でそんなことやるのは絶対NGだろう。)
同時期に、役員の数人が立て続けに辞めるなんてこともあった。
そして僕も次第に病んでいき、ミスが増えていき、
そこで先輩の30代の女性に全員の前で叱られ、
そこから会社内での居場所がどんどんなくなっていった。
本格的に転職を考え始めたのはこの頃で、
もはや仕事に対するモチベーションは0だった。
なんというか、仕事に対して極めて不真面目な業界だな、と思っていた。
こういう業界は往々にしてイジメが起こり、
僕の会社もそれはあった。
(社長や古参社員のイエスマンは残され、それ以外は
排除されるみたいな陰湿なイジメはあった。)
酒を飲んで仕事することもザラだったし、
忙しいのにアットホームだの家族ごっこだのを持ち出す社長も
経営の才能はないんだな、と思っていた。
ある時、僕が他の社員に言っていた愚痴をリークされ、飲み会の場で
古参社員に怒鳴られるということがあった。
僕が辞める最後の引き金となった出来事なのだが、
今思うと、それもすごい気持ちが悪かった。
コンプライアンスもルールもない、
もはや”会社”じゃない、ただただサークルの延長線上のような世界。
自分たちだって技工士を惰性で続けてきたのに
辞めていく賢明な若者を後ろ指差して罵倒して、
否定しないと立ってられない、
そんな彼らに憧れる理由は、もうなかった。
だから、僕は心療内科で半ば病んでるフリをし
(実際病んでいたのだが)
適応障害の診断書をもらい
休職した。その診断書を出すときも、
件の古参社員は
「普段から大盛りのペヤング食べすぎてるからじゃないの?笑」
と薄笑いでバカにしていたが、押し通して休職した。
社長にも社員にもたいそうびっくりされたし、
ものすごく引き止められた。
「相談して欲しかった」とか
そういうことも言われたが、
言うわけがないだろう。そういう考えが回らない時点で
彼らはものすごいバカだなと思った。
そして休職中にハローワークや若者支援センター、
就労移行支援などにいきまくり、
その後キモいぐらいの引き止めを振り切ってやめて、
今は晴れて外資系の大手企業にエンジニアとして
転職できた。
聞いた話だが、僕が辞めた後に退職ラッシュが続き、
そのラボも経営が危ういらしい。
僕を叱った女性の先輩も結局辞めて
歯科医師の学校に入ったが、
彼女のFacebookは投稿がずっと止まっている。
例の古参社員のその後も知らない。
技工士の頃は偉い先生やら技工士などが
偉そうにしていたが、一旦他の業界に出てみると
偉そうにしないと立ってられないバカにしか見えないのが
滑稽だった。
ああなる前にやめてよかったと、今では思う。
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