離婚後共同親権について

最初に書いておきたい。離婚後共同親権が何か問題を解決することなどないだろう。けれどそういう流れになっている。

現在の日本民法では、結婚している間は共同親権である。つまり子供に対する居所指定権や財産管理権や監護権を共同してでなくては行使できない。しかし、離婚の際は、父母のどちらかを親権者と決める(単独親権)。子供は親権者となった親と普通は同居して、別居している親とは定期的に面会し、また別居している親も、子供にかかる費用は負担する(養育費)。それが今の民法の定めである。これでうまくいっていればなんの問題もないのだけど、離婚後、子供が別居している親となかなか会えないということや、別居している親が子供の費用を送らないということから、このままじゃいかん、ということになってきた。

だいたい、子供の費用を送るということは、子供がどんな学校に進学したかとか健康なのか病気や怪我をしていないかということと無関係ではあり得ないし、子供の意向だって大事だ。つまり養育費は形式的には同居親が請求するけど、その本質は子供が別居している親に対して有する扶養請求権だからである。他方、親同士がどれほどの泥沼の果てに離婚したとしても、親同士は離婚すれば他人だが、子供は別居親と他人にはなり得ない。子供が会いたいと思えば(ここに難しい問題があることは後述する)、会うことができなくてはならないのは児童の権利条約という国際条約の9条2項に明記されていることでもある。しかし、泥沼化の末の離婚した相手といまさら連絡も取りたくないという理由で、子どもと同居する親が別居親と子どもを会わせないということが、しばしばある。

そんな現実を背景に、離婚後共同親権が主張されるようになった。実はお隣の韓国では、離婚時に、任意で離婚後も共同親権でゆきます、と定めることができるようになったという。しかしその定めをしているケースは半分にも満たないということである。たしかに、子供のために協力できる親同士もいるのだが、いがみ合いや、果ては暴力(DVというやつだ)の果てに離婚した夫婦であれば、共同親権は危なくてやってられないということだろう。

ともあれ、日本のように離婚後単独親権だと、離婚手続は多くの場合、親権者をどちらが取るかという争いになる。そして、法律は、親権者となるのは、子供の利益になる方の親だという理屈の立っている。離婚は子どもにとって多くは不幸な出来事である。いずれにしても心の痛手は避けられない。とすれば、離婚の際も出来るだけ痛手を少なくするには、それまで子供の養育に主として関わってきた方の親にするのが良い(主たる監護者)。これを誤解して、子どもをとにかく手元においた方が勝ちという俗説が生まれた。実際は裁判所だって馬鹿ではないから、それまで主として養育に関わってきたのはどちらかを確認する。また、子供が自分なりの意見を表明できるなら、調査官もこれを調査して資料にする。またどちらかの親が、子供に虐待を加えていなかったか、加える恐れはないかももちろん確認する。

ところで、離婚に先だって、夫婦が事実上別居する場合が多い。その場合に、子供を残しておけないと考えた親が子供とともに実家に戻るという現象が見られる。これは子のためになる場合も、ならない場合も両方ある。そして、これを「子の連れ去り」と呼んでことさらに非難しようという風潮がある。これは実際には家庭裁判所で「監護者指定申立て、子の引き渡し」という事件として争われる。子どもの連れ去りに対して、引き渡しが認められる場合も、そうでない場合もある。いずれにしても、子どもの利益の立場から判断される。

で、注意してもらいたいのは、これは離婚前の「共同親権」の状態における別居中に起きている事件であるということ。だから、離婚後共同親権になれば、こういう争いがなくなるかといえばそうとも限らないのだ。もちろん単独親権でない分「親権者」にこだわる必要は無くなるだろうけれど、争いは続く。

そして「共同親権」自体も甚だ面倒な面はある。共同、とは双方が同意しなければそうはならないということだ。そして夫婦間で揉める夫婦とは、どちらかあるいは双方が、こだわりが強く独自の主義主張があって、妥協しないタイプの人であることが多い。典型はアスペルガーの人なんかの場合であるけど、そうでなくても、そんなタイプの人は、多い。例えば、子供の輸血に絶対反対という信念を片方の親が持っていたとして、それでも輸血を受けさせるには極端な話、反対する親の主張は子供の利益にならないとして親権を停止する裁判手続を申し立てて、仮処分なり本案なりで裁判所に認めてもらう必要が出てくる。これに近いような話は、しばしばある。こだわりが強いというのが家族に向く時は、自分の思い通りの理想の家庭にしたいという思いが強すぎて、家族に対する虐待の近いことになる場合もある。そんな親とは、子どもの側も離婚をきっかけに絶縁してしまいたいと思うかもしれない。しかし、親権は、現在の理屈では子の転居・住民票移動、転校など子についての重要な事柄を決める権利を含むので、子は離婚後もそんな親と関わりを持たざるを得なくなるし、意向次第で振り回されたりもする。共同親権は、そんな形で子の利益を害する場面を拡大する側面があるから、先に述べた親権の停止などの制度をより活用する必要、つまり紛争が続くということなのである。

もちろん、現実には同居親がひどいケースもある。戦後の面会交流のリーディングケースの一つは親権者となった父親が、子を実の母親と会わせずに「お前の母親は今の母親だ」と思い込ませようとしたというケースだった。どんな人であれ、子どもには自分のルーツを知る権利がある。しかし、面会交流にあたって、子どもの意向すら聴かせない母親がいる。ある母親はこう言い放ったということだ。「調査すれば子は父親と会いたいというでしょう。でも、絶対に会わせません」。こんな現実があるから、流れは多分、少なくとも共同親権に近い方向に行くだろうと思う。そして、父母間の紛争は、離婚したあとも、子供が父母の争いに左右されなくなる年齢15歳くらい)までずっと続くことになるだろう。それは、父母のどちらの遺伝子を受け継いでいる子にとっては文字通り血肉を分ける紛争として、子の心を傷つけることになる。だから、少なくとも、覚悟すべきだ。共同親権では何事も解決しない。それは、強い葛藤を抱えている夫婦にとって、第二ラウンドの始まりを告げるゴングだ、と。





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