2023.8.30ぽてさらちゃん単独

に行ってきた。大体ぽてさらちゃん。のステージはいつも正面からぶつかってこられて圧倒的に負けて感動して終わり、ということになっているけど、今回もそうだった。なぜ、こんなにスゴイ人が商業的に売れていないのか。それは一つには彼女が自認しているように、男性とも女性ともつかないポジションで作品を作っているため、売りにくいのではないか。男性シンガーソングライターは男の歌を、女性シンガーソングライターは女子っぽい歌を歌うのだが、ぽてさらちゃん。の主人公はどちらにもなれるし、どちらにもなれない人である。
ぽてさらちゃん。は学校時代、男になりたいと思い、実際、かけっこでは学年だかでトップだったという。バク転側転自由自在の抜群の運動神経は、「ミュージカル虎の穴」ミサミュージカルスタジオで鍛え抜かれてきたからだけでもなく、元々天性のものなのだろう。
ただ、その背景には、男性でありたいという思いがあったのかもしれない。思い出すのは、東京ラブストーリーの原作者の柴門ふみがお茶の水漫研時代「ケン吉」名で描いた作品に、男の子になりたかった女の子の話が出てくる。だから、思春期の女子にとってはそういう思いというのはある意味珍しくないのかもしれない。
そういう性的なアイデンティティの揺れというのは、しかし本人の身になってみれば苦痛な面はあるかもしれない。初期の曲である「晴れの土曜日」には、「僕はまだキャッチボールをした朝に追いつけないまま」というフレーズがある。そこには、性別などを気にせずにいられた思春期前の自分、への思いがある。そんな彼女であるから、現実の自分であるよりも、お芝居の中で男性なり女性なりの役を演じている方が楽であるかもしれない。実際、ぽてさらちゃん。のそういう芝居は素晴らしい。岡本崇監督の「ディスコーズハイ」では、女性に性転換したもと男性を好演していた。「僕の君の詩」では女性の幽霊の役だったが、役であれば、女性を演じることも造作ないのだろう。

もう一つの特徴は、独特な感受性や表現にあるように思える。ミサミュージカルスタジオの音楽の先生は、ぽてさらちゃん。を独特な表現の子、伝わりにくい面もあると言い表していたように思う。歌詞の世界には色がよく出てくる。夜プールやみどりいろなど、感覚が色に結びついているようで、興味深い。しかし、ぽてさらちゃん。も過去述べていたように、他人が作ったものを歌ったり演じるのではないシンガーソングライターとしてのぽてさらちゃんは、「綺麗な嘘がつけないのだ」ということである。全部本当にあったこと、と彼女は語る。以前、音楽的同志であった斧出拓也のことを「綺麗な嘘がかける人」と評していたが、「私は嘘がつけない」と語っていたように思う。しかし、産業としての音楽産業は、商品としての歌を売る世界でもある。注文仕事の面もあるのだ。自分の独特の感受性をも含めて本当のことを書こうとすると、一見伝わりにくくなる。その辺にも売りにくさ、があるのかなと思っていた。
もっとも最近はぽてさらちゃんは、劇団乱れ桜の舞台のテーマソング「ニセモノたちの革命歌(サイラ)」みたいに、頼まれ仕事の中に自分を表現していくやり方を発見できたようであり、「嘘をつかない」で、なおかつ「要求に合う」佳曲を送り出している。それはぽてさらちゃんの抜群の和声や魅力的なメロディラインを生み出す音楽センス(彼女は以前、「国際的ビルボード歌手」に扮して、小森亮汰をギターに迎えてピアノで歌うライブをやったこともある。)によるところが大きいのだと思っている。

で、そんな彼女が売れる機会はこれまで何度かあったように思う。元々インディーズ時代の眉村ちあきと対バンをやった因縁から、メジャーデビュー直前の眉村ちあきと「西のぽてさら東の眉村」というライブをやったり、心斎橋のライブハウスで単独ライブをやり、ハウスの最高動員記録を作ったり、並行してミュージカルの舞台をこなしたり、ミューディアという音楽コンテストの地方予選を勝ち抜いて東京大会で弾き語りアーティスト唯一の審査員特別賞を受賞し巨大音楽フェスの舞台を踏んだりした。しかし、そういう活動は熱心なファンを生み出したが、商業的に注目されるところには至らなかったように思う。

ただ、今となってはそれが良かったのかもしれないと個人的には思っている。商品としての楽曲を注文に応じて生み出せる器用なアーティストではない。嘘がつけない、自分自身の表現にこだわり続けるアーティストである。その意味で、現在のように、映画で俳優業をやったり、劇団乱れ桜でシリアスな舞台のみならず、コント(座長のとだただし氏は、スパンキープロダクション所属の芸人でもある)の舞台に立ったり、どの仕事をしても、ぽてさらちゃん。らしいという仕事ができればいいのではないかと思う。
最近の彼女は、人の書いた曲を歌うのが楽しい、という。それは自分から離れて、役になりきれるから、なのだろうと思う。

昨晩、そんなぽてさらちゃん。の一応平成30年の初単独以来という(実はそうではなかったが)単独ライブ「なつもぼくもしんでしまえっ!☆」に行ってきた。これまでのいろんなぽてさらちゃん。の姿が随所に蘇る思いだった。これまで彼女が続けてきた試行錯誤やジャンル横断的な活動が、全て「今」につながっていると思わせるライブだ。
音程(ピッチ)が合ってない歌は聞くのが辛いと言ったこともある彼女は、当然、極めて正確な歌唱力を持つし、そこにミュージカルで鍛え上げた表現力と、嘘でないことの持つ迫力が加わるため、聞き手を圧倒する。独特な謎かけのようなところもある歌詞(本人はなるべく自己の感覚を正確に表現しようとしているのだと思うが)は、理解しづらい部分もあるけれど、時に詩のように心を刺してくる。ミュージカルスタジオでやっていたアイドル活動をやめて、ギターを持って弾き語りを始めた頃はたどたどしかったギターの腕前も、ライブ活動で出会ったシンガーソングライターたちの影響を受けてか、今では時に力強く、時に繊細に、歌の力を絶妙にアシストする。路上で、ライブハウスで、ホールで、いろんなところで戦ってきた彼女の戦友であるモーリスのアコースティックギターは今や風格すらある。彼女の衣装はまるで竜宮城の乙姫のような、これもミュージカルセンス溢れるものだ。

ギターを持ったり、ピアノの前に座ったりしながら、結局110分間も彼女は歌っていたようである。その間音を浴びて、完全にノックアウトされて帰途についた。ヘトヘトだったけれど、楽しかった。現実には色々としんどいこともあったというが、そういう過去の自分に「死んでしまえ」と呪文をかけて、未来につなげてゆく、そんな思いが伝わってくるライブだった。

(なお、本文中の内容は、筆者の不確かな記憶や、勝手な憶測も含んでいて、ぽてさらちゃん。本人の了解をとっているわけではないので、ご了承ください。)




ミュージカルで鍛えた音楽センス、歌唱力、ダンス、運動神経、総合的な表現力など、全てがぽてさらちゃん。という一人のアーティストの中で結実しているのに驚かずにはいられない。

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