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「不運」と「不幸」は違うと思える日がくるまで

こんにちは、Sanaです。
今日はSNSの世界のどこかでみた
「不運」と「不幸」を同じに考えてはいけないという
言葉について考えたことを書いていきます。

この言葉たちとの出会い

いつかは覚えていないけど
息子が病気になってからなのは確実。

息子が病気になって
できないことばかりを考えて
他の子と比べてなんてかわいそうなんだろう
なんでうちの子がこんなことにならなきゃいけないのって
まさに不幸のどん底にいた時に
目に入った言葉。

手帳に書き留めていなかったのに
私の心の中に残っている。

「不運」と「不幸」は同じではない。

きっと違うんだ、と思いたかったから
気になっていたんだと思う。

「不運」と「不幸」それぞれの定義とは

まずそれぞれの言葉の意味について
辞書で調べてみました。

ふ‐うん【不運】
読み方:ふうん

[名・形動]運の悪いこと。また、そのさま。「―をなげく」「―な身の上」⇔幸運。

デジタル大辞泉より引用

ふ‐こう〔‐カウ〕【不幸】
読み方:ふこう

[名・形動]

1 幸福でないこと。また、そのさま。ふしあわせ。「―な境遇」

2 身内の人などに死なれること。

デジタル大辞泉より引用

ぱっと見、似たような言葉だけど、違う。
運が悪いこと、と
幸せでないこと。

事の大小はあれど
きっとみんな経験することだ。

不運と不幸は同時にやってくる

まさに、息子の病気がそうでした。
それまでほとんど病院にお世話になったことがなく
(まぁインフルエンザにはかかってたけど)
割とタフな方だよね〜なんて話してたのに

急な発熱からあっという間に地域の大きな病院へ。
そこで聞かされた病名と治療期間に
血の気が引いた感覚。
あの頃は「不運と不幸が同時に存在」していた。

突然の事故にあった時もそう。

不運と不幸は同時にやってくる。
なんの前触れもなく。

不運はきっと変わらない

原因がはっきりしないことについて
自分自身を納得させるための言葉の一つとして

「運が悪い」がある。

息子が病気になったこと。

これは今現在の医学で考えると
運が悪かった、と思うしかない。

誰も悪くないから
誰かのせいにもできない。

ただただ現実を受け入れるしかない。

残念だけど、不運という事実は
変えることができない。

私はそう思っています。

不幸は変えられる

不運は変えられないけど
不幸は違う。

幸せか、そうでないか、は
自分自身の捉え方で変わると思う。

何も分かっていない人から息子は
あんなにたくさん薬飲んでかわいそう、まだ若いのに
見た目随分変わっちゃったわね
将来どうなっちゃうのかしら

まるで不幸の塊のように見られているでしょう。

でも
きっと本人にはそうじゃないと思えることがある。

病気になったから
出会えた人がいて

病気になったから
できるようになったこともあって

病気になったから
考えたことがたくさんある。

私自身も
息子が病気になったことで
気がつけたことがいっぱいある。
家族も、きっとそう。

病気になったことは不幸かもしれないけど
視点を変えれば幸せなこともある。

だから不幸は変えられる。

どこに着目するか、で人生は変わると思いたい

不運で不幸、な時もある
でも
不運だけど今、幸せだよって思えるようになりたい。

もしかしたら
その時真っ只中では思えないかもしれない。
思えなくて当たり前だし
無理して前向きになんてなる必要もない。

でも
振り返って思い出した時
あぁ大変だったけど楽しかったなぁ
あの大変さがあったから今があるんだよなぁって
少しでも思えたらいいなぁと心から願う。

自分は不運だ、不幸だと思い
嘆くばかりの人生ではなく

不運と不幸を切り離して考えて

まずは
不運だけど幸せ!を目標に

それから
不運だけどすっごく今幸せ!最高!

まで辿り着けたら
ほんとに幸せ。

今は自信なくて言い切れないけど
そうなれる日が来ることを願って。


では、また書きます。

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