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ちょっと重たい話と私がスタジアムに足を運ぶ理由

私は慢性疾患といわれる病気をいくつか抱えている。
でも、具体的な病名を見ず知らずの人に明かすほどの勇気は今の私にはない。
勤務する会社にも具体的な病名を伝えているのは上司などのごく数名しかいない。

ひとつは甲状腺の病気。もうひとつは呼吸器に関わる病気(喘息ではない)だ。
それ以外も抱えているものはあるけれど、今のところ生活に支障はきたしていない。
なぜ、今さらこんなことを書こうと思ったのか自分でも分からない。
分からないけれど、私がいま応援しているサッカーを仕事にする大好きな選手の影響が大きいのかもしれないなと書きながら思った。
私がその選手の立場だったら知られたくないと思うようなことまで包み隠さず自身の言葉で表現する。そして、彼が綴る文章はいつもやわらかい。読んでいるといつの間にか引き込まれてしまう。

学生時代は健康に自信があった。風邪などで学校を休んだ記憶もほとんどない。
では、いつからこんなに病気に苦しめられることになったのか…
甲状腺の病気とはずいぶん長いつきあいになる。
東京にあるその疾患では有名な専門病院に通い始めてかなりの年月が経った。
その病院があるのはハイブランドや流行りの飲食店などが立ち並ぶエネルギーに満ち溢れたキラキラした街。でも、私がその街に行くのは通院のため…
学校を卒業後に正社員として働いていた会社で、やっと希望の部署に異動ができて間もない頃にその病気を発症した。
最初は、朝起きて電車に乗って会社に行けないほどのひどい下痢が何日も続いた。
その時点では自分が甲状腺の病気を発症したことなど思いもしなかった。
とりあえず、子どもの頃からお世話になっていた近所のクリニックに行った。
過敏性腸症候群も疑われたが、その先生は甲状腺の病気の疑いを排除せずに最初から血液検査の項目に追加しておいてくれていた。
甲状腺の病気は人によって症状も違い他の病気と間違えられることもよくある話だ。
診断がつくまでに時間がかかることも珍しくない。
最初からそれを疑って検査に回してくれた先生には感謝している。
発症して間もない頃は、なぜそうなったのか考える余裕もないほど体調も悪かった。
水を飲むのも痛いほどの口内炎も口角炎も続いていた。
安静時でも全力疾走をしたかのように1分間の脈拍が120や130ということが日常だった。
だからとにかく疲れる…
なぜ発症したかというより何が引き金になったのかと考えれば思い当たる節はあった。
異動して間もない頃、ゴールデンウイークの頃だったか休日に同僚から家に電話がかかってきた。
「実は・・・●●課長がお亡くなりになりまして」という訃報。
お通夜にも参列した。その時はまだ若くてお通夜に参列したのも初めてだった。この時点では死因はまだ知らなかった。そして、間もなく死因を知ることになる。自死だった。
現場を発見したのは電話で連絡してきた同僚を含めて私の数少ない同期入社の男性社員だったことを知った。そのふたりとも数年後に転職した。私も転職したけれども…
幼い子どもと奥さまを残してその悲しい選択をした直属の上司。いや、選択をしたというよりもそんなことを考えられないほどきっと追い詰められていたのだろう…
おそらく当時の役職者としての業務や責任など、あまりにも一人に負荷がかかっていたのかもしれない。
その悲しい選択をする前に何らかのサインが出ていたのではないか…
当時の私は異動したばかりで仕事を覚えることに必死だった。年齢も若かった。何らかのサインが出ていたとしても見抜けなかったのかもしれない。悔やまれる。
この急激なストレスが病気を発症する引き金になったのかもしれないなと思っている。
そして、会社という組織は突然誰かが欠けてもやらなければいけない業務がなくなるわけではない。課内で部内で、ときには部に関係なくフォローしながら業務を回していく。
デスクに置かれた先輩社員が持ってきたカサブランカの花を見ながら仕事をした。
薬を何年も服用してもストレスなどの影響で数値が悪化することも増え、途中アイソトープ治療も視野に入れることをすすめられたがなかなか決断できなかった。まだ治るという可能性を信じたかっただけなのかもしれない。でも、その数年後には身体にかかる負担を考えてアイソトープ治療を受けることを決断した。これで薬を飲む生活とサヨナラできると思ったが、今度は亢進症から低下症になってしまった。
現在も甲状腺ホルモンを補う薬の服用と定期通院は続いている。

もうひとつは呼吸器に関わる病気のこと。
こちらは6年前のある日、高熱が出る前日も今までに経験したことがない何とも言えないだるさを感じていた。夜もなかなか寝付けなかったことを覚えている。
そして日曜日の朝、39℃近い高熱を出した。これまでインフルエンザもかかった記憶がないのに…
会社でもインフルエンザにかかって休んでいる人はいたから、うつったのかもしれないぐらいに考えていた。
でも生憎の日曜日。かかりつけの病院(甲状腺の病気のファースト診断をしてくれたクリニック)は休診。仕方なく行ける範囲の日曜診療をやっていた内科に行った。インフルエンザの検査をやったが陰性だった。予防投与としてタミフルが処方された。陰性だったが1週間は会社を休むように言われたため、会社にはそのように伝え休んだ。
タミフルのほか処方された薬を服用しても熱が下がりきらなかった。その1週間の間に何回かタクシーを使ってその病院に通った。微熱が続いていた。
さすがにおかしいと思い1週間後の土曜日にかかりつけのクリニックに行った。先生はインフルエンザの検査はせずに私の話を聞いて、すぐにそれを疑ったのかレントゲンをとってくれた。
「こっちが健康な人の肺ね。ほら(あなたのは)真っ白でしょ?」とレントゲン写真を見せられた。自分がこの年齢にして肺炎にかかるとは思いもしなかった。すぐに紹介状を書くから午後からCTが撮れる大きな病院に行きなさいとだけ告げられた。
その日は2017年J1リーグ開幕戦の日だった。楽しみにしていた開幕戦。行く予定だったけど断念した。
午後、紹介状とレントゲン画像のCD-Rを持って病院に行ったら、その場ですぐに入院手続きをとられた。えっ?即日入院なの?1週間も会社休んで周囲に迷惑かけちゃったし、せめて週明け会社に行って説明してからでもいいかと聞いたが許されなかった。結構ひどいよと。自宅に一度帰ることも許されずに病室にそのまま車いすで連れて行かれた。
あなたはまだ若いから1週間ぐらいで退院できるようにしてあげたいと伝えられて入院生活が始まった。
抗生剤などの点滴治療がすぐに開始された。でも数日経っても微熱は続いていた。
途中抗生剤の種類を変えての治療を受けた。それでも悪くはなっていないけど、よくもなっていなかった。
入院時に肺炎の原因菌を調べたが一般的によく聞くようなものは検出されなかった。
当初予定の1週間は過ぎていた。入院中の主治医は内科や消化器が専門であって呼吸器の専門ではない。入院中もナースステーションに行っては先生の話を聞きに行ったりしていたが診断に迷っているようだった。
1週間に一度大学病院から来る呼吸器の先生に治療方針について相談をしていたことを知った。結果、入院初日の治療計画書にある急性肺炎ではなかった。
私は恥ずかしながらその種類の肺炎は初めて聞いた。
やっと治療方針が固まりステロイドによる治療が始まった。
入院中はずっとベッドの上で点滴を受けていたから食事の時間以外は何もできず、肺炎で体力もないから動き回ることもできない。
最終的に告げられた病名をスマートフォンで検索してみた。
絶望的なことしか書いてなかった。
えっ?私はあと何年生きられるの?
このまま一生病院のベッドの上で過ごすのか?
運良く退院できても、また入院を繰り返すようになるのか?
将来的には酸素ボンベが手放せない生活になるかもしれない…
ただただ怖かった。
ステロイド治療に切り替えてから少しずつ快方に向かっていった。
その間に本当は行くはずだったサッカーの試合が地元テレビ局で放送があり、病院のベッドに座って観ていた…
結局、約3週間ほど入院をした。
退院時には、風邪などの感染症には注意するようにと先生から伝えられた。
この病気は風邪などの感染症によっては急性増悪することがあるのだ。
たかが風邪と軽くみてはいけないのだ。
それから数年、今の感染症の爆発的な流行は本当に怖い。
出来る限りの予防と健康管理は常に欠かせない。
大好きなサッカーの試合もコロナ禍で制限付き開催をしていた時も感染するリスクが怖くてスタジアムに行けなかったこともあった。
その頃とは応援するクラブも変わったけれど、病気を理由に外に出ないのはのはあまりにもつまらない人生になってしまうと思った。
今は通院のたびにレントゲンやCT検査、血液検査で新たに炎症がひろがっていないことが分かると少しほっとする。
ステロイドの毎日の服用も欠かせない。ステロイドを飲み続けることも最初の頃はとても嫌だった。副作用も怖かったし、むくんだり体重コントロールが難しいのも嫌だった。
治療の過程でステロイドを一時中断したときに少し再燃したこともあってやはりステロイドは欠かせなくなった。
いろいろなことを諦めたら少しだけ楽になった。
もちろん出来る限りの予防と健康管理をしながらリスクが高い行動はとらずにスタジアムで観戦している。
新幹線を使ってホームゲームにも足を運んでいる。
自分自身のことも考えたら、もしかしたら今日でその選手のプレーを見られるのは最後になるかもしれない…とか、プロサッカー選手という職業柄、選手自身も常にいろいろなリスクと隣り合わせで不安も抱えながらプレーしている。
そんな大好きな選手のひたむきなプレーが見られることを願って私はこれからもスタジアムに足を運ぶだろう。

遠方であるが故に練習場に頻繁に足を運ぶことができずにいたけど先日初めて見学することが叶い、練習後には大好きな選手からユニフォームにサインをいただくことができました。
ホームゲーム開催時の選手が投げ入れるサインボールも持っていないので、大好きな選手の唯一のサインが入ったもの。もったいなくてなかなか着られなくなりました。

私の宝物












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