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グーのこと

愛するグー(ビーグル、オス)が2023年12月22日正午に死んだ。
16歳と2か月と10日の生涯だった。

彼が旅立ちの場所として選んだのは、慣れ親しんだ訓練フィールド。
12月22日の朝、グーは病を抱えていたけれど普段通りに起床し、お風呂で下半身をシャワーし、良い便を排泄して車椅子に乗って朝ご飯。食欲は、普通。

さて、いつものように訓練フィールドに行こうねと車椅子から抱き上げたら…頸ががくりと折れた。
わたしは動じなかった。さぁ行こうねとグーを抱え上げクルマの助手席に乗せる。いつものように。そしてフィールドに向かって出発!
冬晴れの午前中の光に包まれて、軽く渋滞しているいつもの道。いつものようにクルマを走らせる。

助手席のグーにずっと話しかけながら運転。
ねえ、グー、混んでるね。ねえ、グー、フィールド行こうね、楽しみだね、今日も練習するよ!ねえ、グー、いっぱいいっぱい練習したよね、まだまだうまくなろうね!
グーは息を吹き返し、水を要求してきた。さすがだ。強い仔だ。
赤信号で停車すると、これまたいつもの計量カップで横になっているグーの口もとに水を注ぎこむ。飲んでくれた!
次の赤信号で大好きなさつまいもを蒸かして潰したおやつを差し出すとこれも食べた!なんて犬だろう!

渋滞を抜けた。もうすぐフィールドだよ!

2007年10月12日の午前10時頃、今も住んでいる自宅のリビングでわたし自身が取り上げた犬がグー。

母ルーと生後2週間のグー

前の投稿でも触れたが、グーは犬なのにひとりっ子というハンディがあった。しかし母犬ルー、12歳歳の離れたビーという先輩犬が居た。生育環境は悪くなかった…(と思う)。にもかかわらず噛む犬に。

生後5日
生後2週間

わたしを含む家族に牙を剥くだけではなく、側に居るだけの母ルーに転嫁行動(噛む)をすることもしばしばで途方に暮れた。最初に習った犬のプロには「ママ(わたし)がしっかりしていないから」と言われ、問題行動は治らない。誰にも託せずどこにも預けられず、わたしとグーは片時も離れぬ16年間を過ごすことになった。

若犬の頃はしつけ・訓練に苦労奮闘。その一環としてモデル犬にも挑戦した。飼い主バカで恐縮だが、グーはなかなかのハンサムだったし訓練が入っているので性質に問題があったにもかからずたくさんのお仕事をいただいた。
さまざまな現場を経験したことはわたしとグーの大切な思い出、そして貴重な経験値となった。

中村陽子先生撮影
docomo
Doh Huggy
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グー7歳のとき意を決して訓練を習う師を替わったことが功を奏し、シニア期を迎えてから遅咲きの訓練犬として頭角を現し表彰台の常連に。同時に問題行動も改善へと向かった。
このことから、犬のプロにもさまざまなレベルがあり、ハイレベルなプロに出会うことは偶然ではないということを学んだ。

ハイシニア期は難しい病との共生。犬だけれど、波乱万丈な生涯だった。
そんな彼との全てが鮮やかな記憶としてわたしの中に深く刻まれている。

ビーグルオーナーでカメラマンの中道さんの作品
訓練犬であるグーの、わたしを真っ直ぐ見上げる視線を愛している

13歳 前立腺移行上皮がん
グーの母ルーは血管肉腫で亡くなった。その闘病は壮絶で今もわたしの記憶に深く刻まれていて消えることはない。

母ルーと富津公園にて

息子グーはがんに罹患させたくない、その一念はかなりシリアスなもので、10歳を迎える頃から3カ月ごとのエコー検査を欠かすことはなかった。

2021年、グー13歳の初夏のエコー検査日、かかりつけの若いドクターが「気になる箇所が」と。前立腺にがんが見つかった。ごく初期だった。
わたしの決断は早かった。かかりつけ医と相談の上執刀医を決め、がんが見つかってから1週間後の7月7日に入院~オペ。泌尿器を全摘した。

2021年7月15日
術後8日、入院中のグーと面会

膀胱も尿道も切除するので一生おむつ生活になる。そんなことは全く問題ではなく、グーの命が助かることが何よりも大切だった。
JASMINE総合どうぶつ医療センターで行ったこのオペはのちに裁判沙汰まで発展する質の低いものだった。別記事で詳細を記録したい)
わたしが執刀医の選択をミスし、執刀医の技術レベルが低かったことに加え、信頼していた担当獣医師はそれを隠蔽しようとする。
がんの切除はできたのかもしれないが予後が非常に悪く、3度も麻酔下でオペを受け入退院を繰り返し、果てに尿毒症に罹り一時は死の淵をさ迷う。全く受け入れがたい想定外の出来事だった。

転院
わたしは転院を決めた。老獪でクレバーなJASMINEの女医、S担当獣医師はほっとしたに違いない。
転院先のDVMsどうぶつ医療センターの渡邊獣医師はJASMINEと裁判になることを想定した上でグーの状態を丁寧に診て、裁判で戦うための文章にまとめてくださった。心強い。
その後JASMINEは裁判を諦めた。弁護士を雇うと採算が合わないのだろう。
渡邊獣医師には以降2年半に渡り2、3カ月ごとに丁寧な検診をしていただき、グーの健康を見守っていただいた。感謝でいっぱいである。

充実した2年半の日々
予後が悪いことで知られている犬の前立腺移行上皮がんだが、13歳のグーは克服した。DVMsの渡邊獣医師やかかりつけ病院の主治医の話しでは前立腺移行上皮がんを切除するオペをして、抜糸するころにはすでに再発しているケースも珍しくないという。
幸いなことにグーはずさんなオペによる予後回復にかなりの時間を要したものの、再発することなく、やがて気力と体力が戻って来た。

2021年11月10日
新横浜公園

健康を取り戻し訓練の自主練に励み、オペから4か月後の2021年11月に訓練競技に復帰。復帰第1戦は2度目のメジャーポイントを狙って「服従スペシャル」に挑戦。課目を1つ落としメジャーポイントには届かなかったが病後とは思えない作業を披露してくれ、とても嬉しく感慨深かった。コロナ禍と重なり表彰式が割愛されていたので、一緒に表彰台に上がることは叶わなかったが、その後競技会で何度も入賞を果たしわたしにリボンをプレゼントしてくれた。

9歳年下の妹犬ルルと常に一緒に自主練。勝気なグーはルルに負けたくないその一念で年齢を感じさせないパフォーマンスを見せて、わたしを喜ばせる。大会に出れば常に大会最高齢、上席に食い込むこともたびたびで皆さんに褒めていただき、グーもさぞ得意だったに違いない。

祈り
ビーグルの15歳~16歳といえば、ヒトの80歳前後と考えるのが最近では一般的。季節をひとつ過ごすごとにグーとの別れを意識する自分がいた。
それは今に始まったことではなくとっくの大昔から意識したりイメージしたりしているのだが、2022年10月に15歳を迎えて以降、よりリアリティが増してきた。
いくら元気に過ごしていても、いつ別れが訪れてもおかしくない年齢に達していることは明らかだ。
意識すると同時に見たことも会ったことも信じたこともない神さまに「どうか穏やかに」と祈る。

中村陽子先生撮影
ルルとグー

2年半前、がんによる入院~オペ、飼い主と離れ入退院を繰り返す辛い闘病を経験しているグー。母ルーのようにその生の終わりに病で苦しんで欲しくない。しかしそんな理想を現実とするための決め手などなく、食事や運動、メンタルヘルスなどに気を配り、元気に過ごすグーを見ながら胸の奥で常に祈っている、そんな日々だった。

ドッグトレーナーとして
2022年の終わりに許可を得て、2023年に遅まきながらドッグトレーナーとして開業した。


ビーグルのためのドッグスクール/びーぐるびーぐる

わたしはビーグル犬の訓練しか経験していないので、仕事としてはかなりニッチだがビーグル専門のトレーナーとなった。一般的にはしつけや訓練が難しいとされているビーグル。うまくパートナーシップが構築できず悩んでいる飼い主さんもいらっしゃる。

人間との共同作業を業としない犬種であるビーグル。訓練競技や他のドッグスポーツにビーグルと共に挑もうとするとうまくいかないことも多く、わたしもそうだったように、悩んでいるハンドラーも少なくない。
噛み犬グーとの出会いがなければ、犬のしつけや訓練、ましてやトレーナー業とは無縁だったと思う。自分の経験が少しでも役に立てばとても嬉しい。

2023年9月18日
こたろうくん、五右衛門くんと

わたしのトレーナーデビューと同時にパートナーとしてグーもデビュー。常に同行し、必要に応じて妹ルルとともにデモ犬としてわたしを助けてくれた。共に働くことができたのは短い間だったが、グーとともに新しいスタートを切れたことは人生における大切な節目となった。

2023年夏のwoof
2023年の夏は過去に例のない猛暑で犬の運動や訓練をする時間や場所に本当に苦労した。
グーを涼しい高地に連れて行って暑さに疲れた身体を癒してやりたいと思ったが、炎天下、クルマでの長距離移動も高齢のグーにとっては負担なのでなかなか思い切れないでいた。
9月になってもちっとも訪れない秋。もう限界。
比較的近い山中湖、行き慣れているwoofであれば…と考え、思い切ってグーとルルを連れて9月28日~29日と1泊の旅行へ。
たった1泊だったが、涼しい山の空気を吸い、2頭はじゃれながらドッグランを楽しみ、ルルはプールも満喫。2頭とひとりでゆっくりと部屋で昼寝をし、レストランには行かず水入らずで初秋の夜を過ごした。

2023年9月28日 woofの森のドッグランにて
涼しくて快適 笑顔のグー

今思えば、このwoofへの訪問がグーにとって4本脚で出かけた最後の遠出となった。


ルルとグー

予感
2023年のものすごく暑く長かった夏、そしてやっと訪れた秋。
春先までは感じたことのない妙な予感がしていた。胸がざわつくような説明のつかない感覚。
グーにはますます時間を大切に過ごさせてやらなければと、暑い暑い夏の日々も暗いうちから起き出して、場所を選び、バラエティに富んだお散歩を工夫し、1頭ずつ出来る限りていねいに自主練をした。

8月13日
日産スタジアム

夕さんぽは暑くて行かれないので、毎日のように夕方のおうち自主練を楽しんだ。

9月14日
おうち自主練


もちろんグーも秋に出陳する予定の競技会を意識して練習を積み上げた。真剣じゃない練習などグーはお見通しで、グー自身もあからさまに適当に振舞う。常に真剣勝負。それがわたしとグーの前提条件だった。

2023年8月27日
大黒埠頭

やっとのことで涼しさを感じるようになると、時間が無くてもちょっと無理をしてでも、毎日必ず2頭引きでご近所の夕さんぽを楽しんだ。グーが好きな場所を漫勉なく回る。行けるときに行けるところへ!やれるときにやれることを!
胸の奥に重たい感覚を抱えながら、ようやく訪れた秋を2頭と存分に楽しもうとわたしは一生懸命だった。

訓練士会の練習リンク
2023年10月7日、埼玉の秋ヶ瀬公園で開催された多摩川訓練士会主催の練習リンクに参加。
わたしとグーは11月4日の秋の本部展にエントリーしていた。春の本部展では思うような競技ができなかったので、そのときの自分たちを上回る競技がしたかった。そのための練習リンク参加だった。

このときは想像もしなかったけれど、この練習リンクがグーの競技犬としての最後のリンクになった。

グーの作業は思い描いた理想の動きではなく、課題が残る出来栄えだった。練習不足だ。これを踏まえて明日の練習はこうしよう、とわたしはいつものように意気込んでいた。そう、グーの動きは本番に向けてまだまだ練習を積み上げることが当たり前の、年齢を感じさせない活気に満たされていた。

リンク脇でウォーミングアップ開始のタイミングを計る私
ウォーミングアップの出来栄えが何よりも大切!

本番の競技だろうが練習リンクだろうが、グーが高齢になってからはいつも「これが最後」という覚悟が付きまとっていた。このときの最後のリンクも、課題を克服するために精一杯挑んだ。グーも分かってくれていたと思う。きっと…

16歳に
2023年10月12日、グーは16歳の誕生日を迎えた。2021年、13歳の夏に罹患した前立腺移行上皮がんから生還、3カ月ごとに丁寧な検査をして迎えた16歳。


16歳にはとても見えない、活気と意欲に満ちたわたしのグー。妹犬ルルと朝陽を浴びて訓練フィールドを走る。13歳の夏にがんに罹患したとき、まだ彼の寿命だとは思えなかった。なんとかあと2年、3年一緒に居たいと願った。その願いを叶えてくれた16歳のグー。とてもとても嬉しかった朝。


誕生日のこの日ももちろん自主練。競技面での課題はいくつかあったけれど、グーの持ち味である力強い脚側行進は健在!練習後はご褒美の大好きボール遊びを全力で楽しむ。食らいついたら離さない、噛み犬グーのパッションとパワーは16歳になっても変わらない。(ドロップと言えばボールやおもちゃを放すこともちゃんと覚えてくれた)

気温が高くなったこの日
自主練後のおもちゃ遊びで息が上がった

この日、わたしはたくさんの写真や動画を撮った。グーが年齢を重ねるにつれ日々撮影する写真や動画が増えていくのだが、16歳の誕生日のこの日はさらに撮影枚数が増えた。
次の誕生日は17歳。迎えたいな、その思いはもちろんとても強かったけれど、17歳を迎えられるかどうか、確信などない。犬の17歳がいかに稀有な年齢か、犬を飼ったことがある人なら誰でも分かる。だからこそ、16歳の誕生日のこの日はたくさんの記録を残したかった。


フィールドから帰宅してお昼寝

跛行
忘れもしない2023年10月16日、秋晴れのこの日は室内で犬と過ごせる施設を借りていて、訓練友のパピヨン、ショパンと過ごす約束をしていた。
グーとルルの2頭は通いなれた施設、グーは母ルーとも何度も利用させていただいている、とても好きな場所。
この日はショパンと訓練の自主練をしたり、フィットネスエクササイズをしたりして楽しく過ごした。

ショパンママさんの手による
美しくておいしいバースデーケーキ!

そしてなんと、プロ料理家であるショパンのママが16歳になったグーにバースデーケーキをプレゼントしてくださったのだ!
美しくって、もちろんめっちゃ美味しい(であろう)ケーキにグーは大喜び。ショパンのママに食べさせてもらって幸せいっぱい。

そんな楽しくて思い出深い日。グーは、ショパンのママにジャッジ役を務めていただいてCD2の練習をした。先日の練習リンクで得た課題を解決すべく自主練を頑張っていて、その成果を感じたことを記憶している。

自主練が終わって、グーがわずかにびっこを引いていることに気が付いた。
どこが痛むのか?特定できるような症状ではなく、ほんのわずかな跛行。ショパンのママに「グー、びっこ引いてない?」と聞くと、「ううん、ちゃんと歩いているよ」と。
飼い主のわたしにしか分からない、ちょっとしたグーの動きの変化。
段差などで脚が上がっていなくてぶつけたのかな?
犬に異変があるとすぐに獣医に駆け込むのが常だが、この日は様子を見ようと思った。
それほどほんのわずかなわずかな跛行だったのだ…

室内施設で遊んだ翌日はホームの日産スタジアムの広場へお散歩に出かけた。スタジアムに到着してグーをクルマから降ろしお散歩し始めてすぐに跛行が酷くなっていることに気付いた。足先やパッド、肘や膝を刺激してみても痛がる様子はない。

排泄をさせて広場に着いたがグーの自主練は休ませることにして、ルルだけ自主練。グーは自主練無しでは気持ちが治まらないので、脚を使わずに済む「吠えろ」で発散してもらう。

なんとか満足させてクルマに戻るためグーを歩かせる。跛行がまた酷くなっているように感じた。
午後からかかりつけへ通院。主治医も痛む箇所が特定できず、投薬で痛みが治まるかどうか観察することで合意し、痛み止めが処方された。

このときのわたしは、まだ多少のんきに構えていた。きっと外科的な症状だろう。何しろ高齢なのだから、脚を捻ったか、打撲か、神経系の症状か…投薬と休息できっと良くなる…

通院
3日間痛み止めを飲ませたが、跛行は酷くなるばかりだった。
加えて、グーは痛みを訴えて泣くようになった。これは、おかしい…でも、外科的症状だろうという考えは変わらなかった。跛行しているのだから、脚のどこかか、腱か、神経が痛むのだ。

10月19日、23日、27日とかかりつけに通院・診察を受ける。
21日には鍼治療を受けに行った。鍼治療は機嫌良く受けたが跛行は改善しなかった。鍼の先生も、首をかしげていた。

2023年10月21日
センター南動物病院で鍼治療を受ける
治療前、やはり右重心である

レントゲンにもエコーにも異常は見当たらない。通院のたびにグレードの高い痛み止めが処方されるが、症状は改善せず、ついにグーは痛みで眠れないほどに悪化していった。

かかりつけ医の主治医は、腫瘍の専門医。27日の通院時、「左肩の骨の後ろに何かあるのかもしれない」と言った。
何かって、なに?相変わらず外科的疾患だと思っている私は腑に落ちない。

主治医:「肩の骨の後ろに悪いものができているかもしれないです」
悪いものって??外科でそんなことがあるの?

CT検査
麻薬に近いレベルの痛み止めも効かず痛みに苦しむグー。可哀想で可哀想で見ていられない。
それでもルルと同じようにボールで遊びたいと意思表示する。なんて犬だ。訓練って、遊びって、犬にとって、グーにとってどれほど大切なんだろうか。

2023年10月23日
大黒埠頭
跛行しながらもルルと同じようにボールで遊びたいと訴え、遊ぶ

今日こそは痛み止めが効くのではないか、毎夜グーに添い寝し、目覚めるたびにそう願った。
グーの母ルーを見送って6年、6年ぶりに物置からカートを出した。ルーが乗ったカートにナイトのように寄り添っていたグー。そのグーをカートに乗せることになるとは…

2023年10月24日
訓練フィールド
ルルと同じように自主練して遊ぶ
絶対に諦めない意志の強さを感じた

いつもの美容院に同伴。カートに乗ってわたしの施術を眺め、美容師さんにおやつをいただいたり、眠ったり、痛みはあったものの気分転換になったかな…グーに優しくしていただいてありがとうございました。

10月30日、跛行を認めてから2週間、痛みの原因を特定するため、麻酔下でのCT撮影に踏み切った。高齢のグーに麻酔をかけたくなかったが、そんなことは言っていられない状況であることはもはや明白だった。
グーをかかりつけ病院に預け、こたろうくんのレッスンに向かう。仕事だ。仕事を頑張ろう、それだけを考えようと切り替えた。

レッスンが終わり、私は車の運転席で主治医からの電話を受けた。
「左肩の奥に腫瘍がある」

事実だけを受け止め、感情は一切沸いてこなかった。あ、そう、腫瘍。骨肉腫かな。きっとそうだな。冷めた頭と身体で、私は運転席に座っていた。

感情に揺さぶられている余裕はなかった。
グーの命がいつまで続くか、それを考えて悲観したり泣いたりしている時間的猶予はない。目の前で痛みに苦しんでいる愛してやまないグーを救ってやらなければいけない。一刻も早く痛みを取り去ってやるのがわたしのやるべきことだ。

かかりつけ病院の主治医にCTの所見について説明を受ける
感情は閉じたままだった

かかりつけ病院の主治医にCT所見について説明を受け、報告書を持ってその足で2次病院へ出向きこちらの病院の主治医の診察を受け、断脚オペを依頼。その場でオペ日が決まった。2日後だった。

このnoteを書いている現在、このときのことを思い出すのはとても辛い。人生で一番辛い決断だった。でも、正しかった。間違っていなかった。天に居るグーは、必ずそう評価してくれていると信じている。

オペ前日も2次病院へ通院。術前の検査。麻酔下でCT検査をしたばかり、また麻酔をかけることになる。検査結果は問題なく、予定通り11月1日に左前脚を肩から断脚する。

検査のあとは病院からほど近いなじみの公園をルルとお散歩。カートから降りてルルと同じように歩くという。前夜は痛みで泣いていたのに…強い犬だ。

2023年10月31日
沢渡中央公園
断脚オペ前日。しっかりと四肢で立つグー。

グー、愛するグー。脚が1本あろうがなかろうが愛している。グーはわたしを信頼して任せてくれると確信していたので、一切の迷いはなかった。けれど、なぜ脚を失ったのか、犬であるきみに説明することはできない。それが辛かった…

左前脚を失う前夜のグー
痛みには波があり、落ち着いたときには愛らしい表情を見せてくれた

2023年11月1日、グーは断脚オペのため入院。グーと離れるのは2年半前の前立腺移行上皮がんのオペ以来のことだった。

入院前に昨日と同じ病院至近の公園をお散歩。16年生きてきて、4つ脚で歩く最後の地面。感傷に浸っているのはわたしだけで、グーは痛みに苦しんでいた。

2023年11月1日
沢渡中央公園
左前脚が痛み体重をかけられないので、右前脚がすでに変形してしまっている

オペは無事に終わり、面接許可が出て会いに行った。グーはいつも通りの不機嫌そうな表情で病室から連れてこられた。わたしの顔を見て嬉しそうではあるが、怒っていた。怒っていたが悲しみの表情はまだなかった。脚を失ったことに気付いていないのかもしれない。

看護師さんと歩行のリハビリを始めているいう。ご飯もしっかり食べているそうだ。わたしも、3本脚の彼を見て衝撃はあったが、今後のことで頭がいっぱいで悲しむとか嘆く気持ちにはなれなかった。時間的余裕が無いことは知り過ぎるほど知っていたから。

続きます。

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