太陽がのぼる街

 街頭の下に座り、道行く人々を見続ける。特別な目的は一つも無かったが、人を見るという行為そのものが、一つの目的だった。それほどまでに、此処には何も無かった。
 人の話に耳を傾け、人の営みに目を配る。何もする事は無かったが、それだけでも、楽しむ事は出来た。ただ残念でならないのが、それ位しか楽しむ物が無いという事だろう。
 街頭が街を照らし出してから何時間経っただろうか。太陽の代わりをしていたネオン達も、気が付けば半分以上が自己主張を止め、眠りについていた。

「潮時かな」

 一つ、詰まらない言葉を発し、重い腰を上げる。儀式的に大きく体を伸ばした。実際にはそんな事をする必要は無かったのだが、理由は有る。気分の問題という奴だ。

「今日はもう終わりか」

 声の発した方を見る。
 何時の間にか、自分のすぐ隣に少女が座っていた。視線は真っ直ぐと街を見ている。だが、自分に声をかけたというのは理解できた。

「すまんが、ちと聞きたい事が有る。時間を貰って良いかの」

 少女は立ち上がると、視線を街から自分へ移した。座って居るだけでも小柄である事はわかったが、お互いに立ち直すと、少女の背が自分の胸辺りまでしか無い事がわかった。

「ふむ、もう居らんのかの」

 突然の事に呆けていると、少女は顔の前で手を開き、ひらひらと手を動かした。

「ああ、ごめん。居るよ。ここに居る」
「ふむ、ではもう一度言うかの。聞きたい事が有るのだが、時間を貰っても良いかの」

 これで、帰る理由が無くなった。俺は一度頷くと、元居た場所へ、座り直す。少女はありがとう、と笑顔で言うと、俺の隣に座り直した。お互い、視線は街へ向けたまま。

「それで、どんな用なのかな」
「ああ、単純で詰まらない話だよ。ただ、人を探しとるだけだ。どうも見ておると、主はいつも決まって此処に座って街を見とった。もしかすると、と思ってな」

 これで三度目だ。此処に居ると、何もしていない事が逆に目立つのか、そういう事を聞かれる事があった。大概は、見はした、知らないという言葉しか返せない。自分は此処を動かないからだ。

「ええとだな。名前はみゆという少女だ。柳みゆ。眼鏡をしとって、髪型は三つ網。なんとも弱そうな雰囲気の少女だ。芯はしっかりしとるのだがの」
「ごめん、見て無いよ」

 饒舌になる少女の言葉を、途中で止めるようにそう言う。

「そうか、それはそれで、また一つだ。時間を取らせてしまったの。ありがとうだ」

 そういうと、少女は立ち上がった。少女に視線を送ると、少女は真顔で街を見つめていた。上手く表現が出来ないが、その表情には少しだけ柔らかさが有った。

「のう、主よ。これが朝日という物なのか」

 空が白んでいるのを見て、少女はそんな場違いな事を言う。

「この時間なら、日は昇るよ」
「私の世界には、夜が無かった」

 あぁ、なるほど。そういう場所も有ったはずだ。自分も一度経験した事がある。

「夜という言葉は知っているが、体験したのは今が始めてだ。同時に、日が落ちるという事と日が昇るというのに立ち会ったのも初めてだよ」
「ここは、一日で8回昼夜を繰り返すからね。割と珍しい事じゃないよ」

 少女は昇る太陽を無心に見つめながら、感動していた。

「いまどき昼夜の無い世界なんて珍しいね。どこから来たの?」
「教会だ。とある教会からここへ飛んできた。追い出されたと言った方が良いかもしれん。帰る術すら無くなってしまったよ。だから、私は此処に欠片を集めに来たのだ」
「かけら、ね。それがそのみゆって娘なの?」

 少女は、太陽を背にし、やわらかな無表情をこちらに向ける。

「ふふ、その為の欠片なのかも知れんな。私が探しているのは。正直な事を言うとな、元居た世界に帰れん代わりに、それらを見つけて安心したいだけなのかも知れん」
「君は、欠片が集まったら、どうするの?」
「集まったら、か。集まると思っとらんかったので、考えていなかったな。盲点だ」

 そういうと、腕を組み考え込む。どうやら、この少女は妙な口調の割りに、中身は見た目通りなのかもしれない。
 そんな少女を見て楽しんでいると、少女は顔を上げた。

「そうだな、そのままにして置くのが一番かもしれん。集めたいのでは無かった。見つけて安心したかっただけだったよ。集めた所で、あそこには帰れんしの。それに」

 少女は言葉を止め、顔を近づけて来た。

「主は人が死ぬ条件というのを知っとるか?」

 少女は、目の前でにこやかに恐ろしい事を言い始めた。人が死ぬ条件なんて、簡単だ。

「心肺の停止、だったかな」

 そういうと、にこやかだった表情が、途端に難しくなった。目の前にあった顔が離れ、元の立ち位置に戻る。

「詰まらん答えだ。まぁ、仕方が無いかもしれんがの」

 少女は、一つ小さな溜息をつくと。ゆっくりと、こう言った。

「忘れる事だ」

 少女の言葉は、極めて簡単で、重みの有る言葉だった。
少女は街へ視線を送る。

「見えるかい、この街が。朝日が昇るというのは良いかもしれんが、緑が一本も生えとらん。悲しい世界だ。私のおった世界はな、ずっと日が昇ったままだったが、季節は有ったよ。青々と生い茂る緑や、それが赤く染まるのも見る事は出来た。冬はちと寂しい風景になってしまったが。春には色鮮やかな桜が咲く」

 少女は空を見上げ、語り続ける。自分もそれにつられ、高い空を見上げた。先ほどまで白んでいただけだった空は、知らぬ間に真っ青な晴天になっていた。

「私の帰る場所はもう何処にも無い。あそこへ行く為の定期は失効してしまった。入り口はあっても門前払いだ。だがな」

 少女は、言葉を止めると僕の手を取った。僕の手を自分の胸へと持って行く。小さな鼓動と体温を感じた。

「私の此処で、世界はずっと生きているのだ」

 手から少女の温もりが離れると、少女は初めて僕の目の前に立った。キレイな笑顔だ。

「詰まらん昔話を聞いてくれてありがとうだ。私はもう行くとするよ」

 少女が踵を返すと、温もりを探したまま空を掴んでいた手が、少女の腕を掴んでしまった。

「なんだい、まだ何かあったかの」
「あ、ごめん」

 自分でも、自分の行為に驚き、すぐに掴んだ手を離す。
ただ、あまりに素気の無い別れが嫌だっただけかも知れない。
 なので、僕は少女に約束をした。

「その、みゆと言う娘を見つけたら、声をかけておくよ。なんて言えば良い」

 少女は、腕を組み考え始める。先ほどとは違い、直ぐに答えは返ってきた。

「私が居たという事だけ伝えてくれ。そうだな元気でやっとるという事くらいは付け加えても罰は当たらんかな」

 そんな、伝言のようで伝言じゃ無い事を、少女は笑顔で言い放った。

「えっと、それだけで良いの?」
「ああ、十分だ。私にとってみゆが欠片なのであれば、みゆにとっても私はその欠片だ。存在していると言う事柄だけで十分だよ」

 そう言うと、彼女は距離を離すと、キレイに礼をした。

「それでは、私は行くとするよ。今日は時間をくれてありがとうだ。またな」

 俺は立ち上がると、小さくなっていく少女をずっと見続けた。
 どれだけの時間が過ぎたのか自分でもわからない。だが、姿が見えなくなっても、背中を追うようにその方向を見続けた。

 そうだ、忘れていた。僕は体を大きく伸ばすと、同じ位置に座りなおす。人間観察の理由が出来た。それと同時に、この世界が終わるまで一人の少女を探す事になる。
一度だけ会った少女の為に。

 晴天だった空はもう夕焼けを迎えていた。

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