lo-fi music

 たった今、私は愛用していた音源が詰まったUSBメモリを折り曲げて、クラブから一番近い川に向かって投げた。それはなんというか、私にとっての卒業式みたいなもので、言い方を変えると退学かもしれないけれども。
「よし」私はそう口に出した後、後ろは振り向かずに歩き始めた。
 時計はてっぺんを回っていて、帰りの足なんか無いんだけれども、まぁ気合いを入れれば歩いて帰れない事もない。駅前の光が及ばない町の端、この場所でもコンビニはいつだって明るいし、99.99の新譜は最高の気分にしてくれる。
 いいじゃない、クリアアップル。フィオナアップルみたいだしさ。エーテル感じるみたいな。 下らない事を考えながら冷たくて身体を熱くするそれは、私を体現している様だった。
 夜の風も大分涼しくなってきた。お酒と共に歩くには気持ち寒いくらいが丁度良い。まぁ、空は曇ってて星を見ながら帰るなんて贅沢はここじゃ出来ないんだけども。

 二本目の缶が空になる。足元に放り投げて缶を蹴りあげようとするが今回も失敗し、カラカラと地面を缶が転がった。屈んで拾い上げようとすると酔いと足の疲れを嫌でも理解してしまう。
「やめときゃよかった」こう言う時は素直に口に出して言う事にしている。だってそういう事だから。とはいえ、漸く家まで着いた私は鍵を開けてドアをすり抜ける。

「あれ、どうしたの?今日イベントじゃなかったっけ」
 ミキの顔を見た途端に身体が恋しくなり抱きついてしまった。弱ってるんだろう。
「んじゃベッド行くよ」ミキは抱きついた私をそのまま持ちあげベッドに投げられた。掴んだ腕に力を入れるとミキは私と一緒にベッドの上に寝転んだ。
「なに、する?」
「しない。ていうかどうしたの。離れて」抱きついていた腕をひきはがすと、身体の重心の全部が布団に押し付けられる。
「ちょっと待ってて」立ちあがるミキの腕を不意に掴んでしまったが、どこにも行かないからと言われると離さざるを得なかった。思いの他参ってたのかもしれない。
「ほら、起き上がって」重い身体を起こすとエビアンのペットボトルを渡される。指先から伝わる冷たさは少し酔いを醒ましてくれた。同時に寝たまま鼻から飲んだエビアンを思い出すと強烈な痛みを思い出し、余計に目が覚める。
「で、イベントは?」
「んー、面白く無くなって卒業してきた。自分の番はちゃんとやったし手は抜かなかったよ。偉いでしょ」
 まぁまぁはフロアは盛り上がっていたし。嘘はついてない。
「もうやんないの?あなたのDJ私好きだったよ」
「んー」隣に座っているミキに寄りかかると、軽くかわされる。太ももの上に覆いかぶさってしまったが。これでいいや。
「当たり前でしょう。だってあなたの為にやってたんだもん」
 ミキの太ももからじんわりと体温を感じる。布団よりこっちの方がいいや。やっぱり。私の頭の上に置かれた手も一生心地よいんだろう。
「確かにそうだったかも、あなた私が好きそうな曲や私が教えた私の好きな曲結構使ってたし」
「なんかさぁ、私もっとクラブって音楽を共有できるもんだと思ってたのよ」
「共有?音楽は流してるでしょう?」
「そうじゃなくてさ、私はチカと音楽共有するのが凄く好きで、知らないバンドとかユニットとか。こんなの見つけた来たよ、あなた好きでしょうって教え合うのがさ」
 私の頭に置かれた手は優しく撫でてくれていた。
「ね、これ」携帯端末から静かにギターのノイズの様な音と、柔らかいピアノの音が流れてくる。
「なるほど、アンビエンス。今日はこっち方面なのね。すきすき」
 とにかくアンニュイな音と言葉が私たちを包んでくれる。
「笹川真生さんだよ。この前見つけてあなたに聴かせたいなって」
「覚えた。後で入れておく」
 こういうやりとりをずっとし続けてきた。でもクラブって場所は思ったよりもそういう場所じゃなかった。知ってる音楽しか楽しまなくて、知らない音楽には興味がないというか。
「なんていうかさ、もっとこういうやりとりができるのかなーって思ったんだけど。意外とそういうものじゃなかったの」
「だから卒業したの?」そう、一言いうと撫でてくれた手が止まる。寂しいんだけど。
「構ってもらえなくてわがまま言ってる子供じゃないんだから。L'indécisでも聴いて今日は寝よ」
 ミキは私の身体を持ちあげて布団に倒れ込んだ。携帯端末からはスロウテンポでメロウな音楽が流れてくる。
「ベタだよ。好きだけど」ミキの頬を触る。
「どっちが?」そういうとミキは私の頬に触れてくる。
「言ってて恥ずかしくない?」
「今日のあなたよりは恥ずかしくないと思うけど」
 お互い首に手を絡ませ身体を寄せ合う。お互いの呼吸が聞こえる。
 明日は新しいUSBメモリでも買ってこようか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?