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なんだかとびそう


道に煙草が落ちている。

吸い殻を連想した人がほとんどだろう。それは封の切られていない新品のアメリカンスピリットだった。

パッケージの中で、年々幅をきかせる喫煙リスクの警告文にとうとう肩まで浸かったインディアンが、悲しい歴史は繰り返すまいと辛うじて優雅に煙草を燻らしている。

レントゲンのない時代はアメリカンスピリットのパッケージが人の肺を映したという。
つまり僕は喫煙者だ。

非喫煙者の場合はおそらく「インディアンもっと詰めろ」「発言力あるお前がリスク提唱しろ」「私に煙草ではなく警告の吹き出しを咥えろと?やないねん」「我々インディアンは煙を吸って名言を吐く、やないねん」「どんだけ吸ってもラッキーの体力ゲージぐらい減らんから食べてます」等になる。

背景の日の丸から、アメリカンスピリットを大和魂の当て字と捉えるか、日米安保条約を念押すサブリミナル効果と捉えるかは見る者の思想に左右される。

話が横道に逸れた。

道に煙草が落ちている。
それは封の切られていない新品のアメリカンスピリットだった。落とし物だろうか。

昨晩降った雨に濡れたようすから少なくとも日付を跨いだとわかるそれは、恣意的に強く握られたのであろう上から推定55㎜35㎜55㎜と想像を掻き立てるボンキュッボンであった。

ただ歩くために歩いていた僕に彼女の誘いに乗らない手はない。文字通り手に取る。

歪なパッケージの形状に沿って指を這わせ、しっくりくる形で留めるとやはり思っていたより強く握りしめる形になった。(〈やはり思っていたより〉は矛盾を孕んだ表現だが、僕の想定の範囲は結果次第でモクモクと姿を変える。想定外などない。)

退屈な予定調和だったが、実際に落とし主の行動を辿り対象に込める思念を慮ることは、独りよがりな推理への確信を深めた。

これは禁煙の決意だ。
これは単なる紛失ではない。
これは強い決意を持った人間の犯行だ。
これはこれはこれは

遺留品が元あった場所(いつのまにか白いテープで縁取られている)に軸足を乗せ、逆足を一歩踏み出し、コンパスの要領でぐるるりと回す。

半径約70㎝の円周上のどこかにある禁煙の第1歩を求めよ。果たして。

ここで二歩先のガムに気づく。
禁煙期間の口寂しさをガムで紛らわせることがあるのは経験から知っていた。

煙草からガムまでの中点が禁煙の第一歩だ。踊るように二歩進む。

ガムが飛んでいく。
正確にはカナブンが飛んでいく。
詰んだ。マジで恥ずかった。
今思えばあの光景にカナブンが馴染みすぎる。いや、手元にはまだ煙草がある。
煙草も飛んでいった。
煙草はプロペラ出してパラパラ飛んでいった。
もう全部忘れていい。詰んでる。

すべては想定の範囲内。
タイトルはすべて書き終えてからつけるものである。

家賃にします