要するにお題における縛りのリスクの話

「人が良し悪しだと思っているものはほとんど好き嫌いに過ぎない」と私は考えてる
絶対的数値的尺度のないエンタメに属するものの評価に目を向けるときにココが1番難しい
自分の好き嫌いを完全にとは行かないまでもある程度外した視点を作らないといけない
だから定量的に見れるところを探すのは自然で妥当
「要素」が多いとか少ないとか、2要素お題だからコレはベーシックだとか、そーゆー話に行きがち
この傾向自体はお題作りを良くしていこうってマジに考えたからこうなったんだろうなって所で界隈全体に対するリスペクトを抱く

でもこの「要素の量」の話はまだイマイチ本質に踏み込めてない気もする
具体的に言うと「要素」と呼んでしまっているモノの中にある「回答の材料」という側面と「表現に対する制限」という側面の影響力の比率が、この話をするのに必要なレベルで意識されてないことが多いように思う
(ただコレはコミュ力激低の私の体感なので、そんなことねえよって思うならもうこの話は必要ないです。こんな話をするまでもなく界隈の中の話し合いは高レベルに達してます)

↑材料の側面強め
 〜戦隊の特徴 江戸時代の〜 みたいなやつ
 劇場版名探偵コナン〇〇 みたいな穴埋めお題
 闇堕ちマッチョ「〇〇」 みたいなセリフお題
 替え歌、歌詞お題
 カルタお題の頭文字指定
 575で、川柳俳句お題
 絵回答限定お題
↓制限の側面強め

ざっくりとこんなイメージ。
で、「材料は重ねて増やしてもそんなに問題ない」ケド、「制限は重ねない方がイイ」という特性がある
特に「カルタお題を絵回答限定で答えさせる」なんて、特にイメージしやすくてちょっと角度を変えたお題混ぜてみようくらいの軽い気持ちで作っちゃいそうだけど、かなり答えるの難しくなっちゃう
回答思いついても「頭文字これじゃない方がイイのに」「下手な絵使うくらいなら文章で提示して聞き手の好きな絵柄でイメージしてもらった方が良いのに」とかが発生しがち
もちろん頭文字を指定されたからこそ出てくる変な単語とか絵で表現するからこそ提示できるカメラアングルとかあるけど、せっかく思いついたそれももう片方の制限に邪魔されることが多め
出されても別に抗議する程じゃないけれど、お題と向き合う人ほどやりづらくなるとは思うし、回答数減って固まりがちにはなるし、「あの人全然答えねーじゃん」ってヤジきて大凹みしたこともあるくらいは出来れば知っておいてほしい
で、コレは「制限強めの要素複数重ねてるかどうか」という定量的に考え易いチェックで、自分の好き嫌い得意不得意に依らずに直したり出来る所だと思う
多分作る側はそこまでキツいつもりのない何気なく加えられた制限が回答者にとっては実はドギツくなってしまうリスクを避ける方法論として頭の片隅にでもあればお題のクオリティ少しはあがるのではないかと

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