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シャウエッセン

「とりあえずシャウエッセン茹でとくね」
小腹が空いたと駄々をこねる僕に妹はこう言った
私にとって一番、素朴なランチとは
シャウエッセンと目玉焼き、そしてご飯と海苔という組み合わせなのだ
それをとあるFFに話すと
「ブルジョアかよ」
と言われるのだ
「え?なんで?」と問いかけると
「シャウエッセンは贅沢品だ」と言われた
僕はスーパーの食料品売り場が大っ嫌いだ
寒いし退屈で疲れるからだ
妹と母が食料品を見ているあいだ、僕は化粧品売り場でじっーと限定もののコスメを見ている
なので、シャウエッセンの横にある特売激安ウィンナーの存在など知る由もない
僕は贅沢を贅沢とは思ってもおらず当たり前だと思っていた
しかしそれってみんなそうなのでは?と思った
とりあえずと言って買っているものはきっとどこかの誰かにとっての贅沢なのかもしれない
けれどそんなこと考えてもいないことって多いのではないか?
とりあえず白米だなんて当たり前っぽいけれど、江戸時代の農民にとっての白米は贅沢品だったはず
白いおまんまなんてとてつもない贅沢であるけれど、そんなこと1ミリも思わず炊飯器で炊いた白米を食べる
けれど現代人からしてみればお釜でたいたご飯なんて贅沢で…
結局人間、ないものねだりで贅沢を求めているのだろう
けれど今ある贅沢はきっと当たり前なのだ
手元にみんな同じ額があったとてみんなそれぞれの贅沢をしどこかを妥協して、無い物ねだりをする
きっとそうなのだ
それの繰り返しだ
あなたの当たり前がいつかの時代のどこかの誰かさんにとっての贅沢なのかもしれない

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