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最強の一般人

最強の一般人

わたしは一般人です。有名でもないし、特別な人生を歩んできたわけでもないし、特殊な記録や賞を得てきたわけでもないし。

さて、物事には表裏があります。これはすべてのことで。つまり、いいところも悪いところもあるということです。

一般人 vs 有名人

 一般人と対比される有名人や業界人。
 多くの店は一般人を対象に商売しています。もちろんターゲティングしているでしょうが。ターゲットとして有名人や業界人を相手に商売することもあるでしょうが、マイノリティですのでニッチです。つまり、一般人であるわれわれは多種多様な商品やサービスを選ぶ事ができるわけです。市場が大きいので色々な商品やサービスのターゲットに入っているのです。
 有名人は有名であるからこそ、パブリックイメージがつきまといますし、私と公の自分との乖離に苦しむひともいるかもしれません。レピュテーションリスクもあるでしょう。本来自分はひとりしかいません。多くの人は多くの役割を渾然一体として演じています。一方でパブリックイメージとしての自分を演じることが期待され、かつ、そのイメージが毀損されないよう気をつけ続けないといけません。もちろん有名だからこそ味わえるメリットもあるでしょう。知名度によって信頼を得やすい場面もあるかもしれませんし、優遇される場面もあるでしょう。
 メリデメありますが、どちらを選びたいかという問題です。多くの一般人は知名度を必要としないでしょう。

一般人 vs 公人

 一般人と対比される公人。
 たとえば政治家や一部の公務員。彼らは公に仕えることが義務付けられています。彼らが私益を追求すると非難されることがあります。
 一方で、一般人は私益を追求しても誰からも文句言われることはないですし、公益に資することがあれば褒められます。公人が公に奉仕することは義務であり当たり前なのにも関わらず。
 公人は公(政府、官公庁、地方自治体、その他公的機関)に守られるというメリットは当然ありますね。ただし、それは公に仕えると言う従業員としての保護なのです。
 私人と一般人はマジョリティであるからこそ最大多数の最大幸福を享受しうる位置にいるのです。

一般人 vs 超富裕層

 お金については「一般人」と言う概念と紐づけていません。つまり一般人でも色々な階層の人がいる。と言う定義です。つまり、お金持ちの一般人、貧乏な一般人の両方いるでしょう。
 そのため、超富裕層との比較検討がちょっとやりづらいです。わたしの身の回りに超富裕層の人がいないので経験的に言えることもないですし。ただ、一つ言えるのは文化や倫理の多くは一般人に向けて作られたものなので、超富裕層はそれらの文化や倫理から逸脱していると思われがちだろうな、と言う点です。
 その点において物理的に資産があると言う点で生きやすい一方で、精神的には(文化的・倫理的には)普通に暮らすと生きづらい点があるでしょう。(と想像します)

結論

 ここまでみてきたように比較をすると一般人の優位性が見えてきます。

  • 受けられるサービスやほしいと思える商品の幅が広い。選択肢が多い。

  • 自分であることを邪魔されない

  • 私的欲求を追求しても文句を言われない

  • 公的サービスや民間サービスを受けやすい

  • 一般的な倫理感・人生観が実際の生活に即していることが多い

逆に言うと、一般人だからこそのこういう優位性を活かさないともったいないのです。

  • 選択肢の幅を狭める

    • 特定のサービスや商品じゃないと楽しめないと思い込む

    • 経験がないことにチャレンジしない

  • 自分を過小評価しすぎる。あるいは自分を

  • 私的利益を得ることをバカにする

  • 一般的な倫理や人生観から無駄に外れる

 もちろん一般人も多種多様です。その中で一般人としての武器を正しく認識して、最強を目指して力を蓄えて思う存分発揮していこう!人生を楽しもう!と言う人間讃歌(荒木飛呂彦先生!)が「この最強の一般人」のテーマです。

そこんとこヨロシク。

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