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ホンネシリーズ デジタル化する政治

 これから話すのは、かつてどこでも話したことがないものです。利害関係のない一般人だからこそ言えるホンネといえばそうでしょう。ただ、別に面白くないと思います。


政治とデジタル

政治とデジタル

 政治のイデオロギーというものがありますよね。いろんなことに対して賛成とか反対とか批判とか。人権とか尊厳とか、日本人とか外国人とか、公益とか、福祉とか、強者と弱者とか、抑圧とか、勝ち組とか、階級とか貧困とか富裕層とか。
 わたしはこう思います。政治に背負わせすぎ。政治はただ機能なのです。ただひたすら人間と世界のために機能的であればあるほどよいものです。かつ、思想とはまったく切り離して考えればよいものです。

付託しすぎ

 複雑なもの、抽象と具体を両方いっぱい考えなければいけないものに、人はいろいろ期待したり、付託したり、いろいろ解釈しちゃいます。かつて天動説と地動説の争いがあったとき、それとはまったく関係ない人間観や宗教観が付与されて議論されました。関係ないんです。ただ地球が動くのか天が動くのか。それだけです。0か1かデジタルです。それと政治は同じです。政治の目的をデジタルに果たせばそれでよいのです。思想を織り込まなくていいんです。

政治と時計は同じもの

 テレビは映像を映します。時計は時を知らせます。政治はただその機能を果たせばよいのです。ただ、人間は複雑なもの、抽象的なものに機能以上の期待をかけてしまうのかもしれません。麻雀や将棋には戦略や人生観があります。野球監督にも哲学があります。複雑だったりランダム要素があるものには哲学や思想が入り込む余地があるのかもしれません。
 未来、政治の公式が人口に膾炙されたり科学されたら、きっとイデオロギーは消えてなくなるでしょう。アナログ要素は霧散するでしょう。
 ただいまの世の中で権威付けられた人たちが難しく話すから一般人はいろいろ考えたり考えなかったりします。いま地球の自転を述べる教科書や書籍には神学者が入り込む余地はありません。そういう本は売れません。

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