伝説の禅僧 村上光照老師を訪問
一週間前になるが、7月1日に静岡の村上光照老師の庵を訪問した。
熱海の土石流被害が起きる二日前のことで、川の増水に危機感を持って慎重な道行きとなった。被害にあわれた方々に心よりのお見舞いを申し上げます。
サンガでご縁をいただいている村上光照老師がしばらく静岡の庵に止住されていることは先から伝え聞いていて、一度お伺いしたいと思っていたのだけど、昨年からのコロナ禍でその機会を逸し続けていました。
ではあるのですが、老師のご体調やご様子をもれ伝え聞くと、どうしても一度お目にかかりたいという思いが募っていたところに、作家の田口ランディさんとライターの森竹ひろ子さんが老師を訪問すると聞き、わたくしもご一緒させていただくことにしたのです。
村上光照老師とは
老師の存在をはじめて知ったのはサンガにゆかりの深い編集者の池谷啓さんからだったと思うのですが、直接のお付き合いをさせていただいたのは、田口ランディさんとの対談をサンガジャパンに掲載するとこになったときからでした。
村上老師は1937年に香川県に生まれ、名古屋大学から京都大学大学院にすすみ、湯川秀樹博士のもとで理論物理学を研究されていた。研究者として研鑽を重ねる傍ら、曹洞宗の禅僧・澤木興道老師のものとに参禅して修行をし、研究者の道には進まず、仏道修行者となられた。NHKの『こころの時代』には3回出演されているが、表舞台にはたたず、伝説の禅僧として人づてに語られてきた方です。御年84歳。
老師と初めてお会いしたのは、対談取材の取材の下準備(だったと思うのですが詳細を失念。もしかしたら、ただ会いましょうということだったかもしれないです。)として、石神井公園を一緒に散策した時です。その時のことはまた別の折に。
そしてサンガジャパンに登場いただいたのは、Vol.12「無常」特集で、田口ランディさんとのご対談でした。それまで大乗仏教とヒンドゥー教とテーラワーダ仏教の世界観が、いまひとつ腑に落ちていなかった私の理解が、老師のお話を伺って、明瞭になった、個人的にエポックな対談なので、よろしければサンガ新社始動の折には記事をお読みください。
山奥に一人住まう伝説の禅僧
さて、7月1日の訪問では、梅雨に入ってしばらく音沙汰の無かった雨が、この日から急に振り出して、老師の住む山の中は、土砂崩れを警戒する天気になったのでした。
老師の止住する庵は山奥にある(撮影:筆者)
老師は基本的に旅の僧で、一所不住、一所不定の修行僧として生きてこられました。そして博覧強記の老師は、行く先々のその土地の歴史に深く根を張る物語を大切にしていて、サンガのイベントに出席していただいた折り、会場となったサンガのビルのまえにある太田姫神社にお参りして、祠の縁起を食い入るように読み、90度にお辞儀をされていたのが印象に残ります。土地の霊に挨拶をしていたのでしょう。
老師の庵の様子は聞いていたのとはだいぶ違い、年季の入った山奥の一軒家といった風情で、十分に「あばら家感」はありますが、とても味わい深いものでした。ともに初めての訪問の森竹さんと、意見一致です。
急斜面を上った先に老師の庵がある。階段はなく滑りやすいので、上り下りには用心が必要。脚下照顧ともいえる。後姿は田口ランディさん(撮影:森竹)
老師の庵(撮影:森竹)
老師はこの家に一人でいます。数年前に足を怪我されてから、移動がやや不自由になり、あまり外出はされないそうです。生涯を頭陀行にささげてきた方が、晩年において一所にとどまるというのも、何かの縁なのでしょうか。
仏壇には、老師の師である澤木興道老師のお写真が安置され、いかにも老人の一人暮らしといった、雑然とした室内にあってそこだけは静謐な気配を漂わせていました。
仏壇に安置されている師である澤木興道老師のお写真。この一角は透徹した気配が支配していた(撮影:森竹)
老師のお話は、その博識から、話し出すとつぎつぎとテーマが展開して、終わらない、という趣があるのですが、久々の訪問客だろう私たちをまえに、とめどなくお話をしていただきました。テーマは主にクラシックの作曲家の話ではありましたが、そこに禅的な意図をくみ取ろうとする私たちをはぐらかすように、「あなたご存じ?」と問いを投げてこられるので、到底知識量で追いつかないで答えに窮していると、さらに次々と話を展開されていったのでした。
外出には不自由されているが身心は壮健でいらした(撮影:森竹)
「坐禅とは仏の姿形になること、すなわち、心が仏になれば形も仏になる」
老師の言葉をランディさんがキャッチしていました。
「坐禅とは仏の姿形になること、すなわち、心が仏になれば形も仏になる」
ランディさん曰く、
「以前も、坐禅は形から入るが、三昧に入ってからの心の修行が大変で、心が仏になれば形は現われる……ようなことをおっしゃっていました。仏さまと同じ姿勢になることが坐禅だと、言うのは何度も聞いたのですが、同じ姿勢になるために心も必要なようで、その心の在りようというのが、村上老師独特の解釈があって面白いところなんです。
さすが物理学者……って感じですが、意識が仏さまと同じ状態になると、意識は量子的な光になって地球の裏側まで尽きぬけるような慈悲の波動になる……みたいなことをよくおっしゃいます。」とのこと。
「突き詰めれば存在はみな粒子で、波であり粒ですからね。坐禅とはブッダが悟った時の姿だ、という老師のことばは、私はけっこう納得します。」
老師の宿る家
雨が降りやまない中で、帰りの足を気遣ってくださり、一緒の外出はできませんでしたが、その分親密に、老師のお姿に触れ、その存在を身体で感じることができた、大変貴重な時間でした。
辞去する間際、田口ランディさんがおっしゃった、「いま、この家と老師は一体化しているんですよ。この家に老師が宿っているんです」という言葉は、理屈を超えて、今この空間にいる感じを言い当てているように思いました。
老師の身体の一部と化したような使い込まれた坐布(撮影:森竹)
その二日後、熱海での土石流のニュースが飛び込んできました。
すぐ横を渓流が流れる山の急斜面にやっとへばりついているような庵でしたから、万が一のことがなければよいと案じ、急いでお電話をしました。
電話にお出にならないので、心配になりましたが、しばらくして折り返してくださり、胸をなでおろしました。そして一昨日の訪問のお礼を申し上げたところ、老師からも感謝の言葉を頂戴するとともに、とてもクリアに会話の歯車が合い、先生と生徒の関係、特に先生、師の在り方の話をひとしきりいただいたのでした。
サンガ新社では、老師の近況と、これまでにいただいているご法話を、お伝えしていきたいと思います。
どうぞお楽しみに。
右手前より時計回りに、今回の訪問をコーディネートしてくださった田口ランディさん、村上光照老師、森竹ひろこさん、筆者。(撮影:田口竜三)
帰りの道行きで富士山を見ることができました。(撮影:森竹)
※表写真撮影:森竹
(文責:川島)