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私の知っているビルゲイツ、その1

マイクロソフト株式会社を1986年に立ち上げた頃には、ビルゲイツは日本に年2から3回ほど訪問していたと思います。 いつも成田空港へ迎えに私が行っていたのですが、彼が来日するときには同行する秘書もお付きの人間も無く、いつも一人で空港に到着していました。 さすがに、「一人でリムジンバスか成田エクスプレスに乗ってきなさい。」というわけにもいかないので、空港の到着待合室で彼を待つのでした。 その当時ビルが使っていたカバンは、Lark製の小ぶりのスーツケースと皮製のトラベル用スーツケースどちらも10年以上使い込んだもので、多分革製のものは父上から譲り受けたものでないかと思われるほどの年季ものでありました。 ハーバード大学に入学したときその革カバンに身の回りの品を詰めて寮に入ったのだそうです。 あの当時、海外旅行のスーツケースといえば、ハードケースはサムソナイト、ソフトケースはLarkとお決まりであったような気がします。黒いスーツケースの角が少し丸くなった手持ちのスーツケースで、クリーム色のストラップに緑と赤のストライプが入ったものです。最近、全く見かけなくなりましたが、Larkの代わりにTUMI、COACH、LeSport、吉田カバンなどに市場動向は変わってきたのでしょうか?

このネタは、別にビルゲイツのカバンに対する愛着と趣味ということではなく、彼は当時既に上場して金持ちになったと言われても、昔から愛着のあるスーツケースを大事に使い続け、一人で旅行していたのだというポイントでありまして、さらに同行するお付きや秘書の人が彼のカバンを持って後ろから追いかけてくる、なんてスタイルは嫌いでした。

成田で落ち合った時にいつもビルゲイツは空港送迎ゲートで二つのカバンを床に置いて、握手をしながら「サム、どうしてた?」と会話が始まるのですが、私がその二つのカバンを両手に持って移動しようとすると、「サム、いいから1個は俺が持つから」と言ってくれます。 もし彼が、米国から訪れる多くの外資系のエクゼクティブがするように、日本の現地スタッフや支社長に当然のように全て荷物を持たせて手ぶらでハイヤーに乗り込むような人間であれば..そんな会社の日本代表を引き受けなかっただろうな?と思ったものでした。

昔一度だけ、ホテルのチェックアウト時間が間に合わなさそうなので、ビルゲイツには先にお客様と会議に出席してもらい。彼の荷物をパッキングするために彼のホテルの部屋に入って荷物を取りままとめたことがあります。 部屋のドアからベッドに至る途中に、歩きながら脱いでは床に置いていったのでしょう、入口からジャケットが、ネクタイがシャツが、そしておパンツがベッドの傍に順番に床に落ちています。 それを全部拾ってLarkに詰めたことがありました。 私自身もウチに帰るとそこら中に着ているものを脱ぎ捨てる性格なので、よく似ているなぁ、と思わず苦笑い。 ビルゲイツは、着る時も無頓着なので色の取り合わせなど全く気にせず左右の靴下の色が違っているなんてこともありました。 ある時から、お手伝いさんか誰かが今日着るものは下着からシャツ、ネクタイ、靴下までカラーコーディネートをして一日分をビニールにパックして持ってきていましたが、結婚してからスッカリ身奇麗になったのは、奥さんの功績かな?

では、ふるかわでした

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