「うっせえわ!」端くれ献身者ですが何か


以下の文章は僕の文章ではないのですけど

僕が牧師に復帰したいと願っていても

ホントつまらんことでそれを

もったいつけて阻もうとする人が

弱冠、てか一人程度いるため

歯痒いので

ついつい以下の文章に共感してまい

まひた。

まぁ一人しかいないようだから許すけど

同時に

うっせぇわ!と言いたい。

😡

そう言いたくても言い切れない

そんな状況とか状態とかは五万と

六万とあるもんでして…そういう

大多数の一般常識が兎にも角にも僕には

面白く無い❣️のです。

こういう環境を作り出す牧師の

所作事を「宗教統制」と発します❣️

ならば僕が

言えばいいのに何故か言えない…

それは配慮とか空気を読むとかの次元で

どうしょうもない❣️のだな…

もっと深く入って行けばどうなるか…

ひとまず

自分と向き合ってみようと思うから

だから以下の文章を紹介します。

もし原文を知りたいと感じた方は

コメに「あ」とか「ん」とか

打ち込んでくださればお贈りしますヨ

以下🦑コピペ

今更ながら「うっせえわ」を聞きました。
ネットには前から上がってたから

うっせえわって流行ってるみたいだけど、なんだろうアニメのセリフ?
程度に思っていましたが、

歌だと知り聞いてみました。

結果、感動。というか感心。

この歌に対してあれこれ分析したり

解釈したりする大人がいるけど、


多分ね。

これ若者の風潮として取るんじゃなくて、若者の主張として取った方がいいと思う。

ワイなりに思ったのが

「そういうことだから、

アタシに構うな」 

だと思う。


理不尽な不文律が

常識になっている大人への、

拒絶の言葉なんだろうなと思いました。

常識が違う時点で分かりあうのは無理、

だからアタシに構うな。

アタシもあんたらを放っておくから。

この歌は、相手の立場からの寄り添いも、反論も、なだめもいらねぇ。

お前らにできるのはアタシに構わないことだ。って気持ちなんだろうなと

思いました。

というかね、この歌のすごいところが
そんな気持ちをよく言葉にできたね。

って点。

これさ、

教会で子ども時代を過ごした人なら

多分ほとんどの人が抱いた気持ちだと

思う。

神の家族と言いながら、

子どもには

「静かにしなさい」

「信仰が足りない」

「忍耐がない」

「愛がない」

「奉仕が足りない」 

「家でも聖書を読みなさい」

「従順がない」

「うるさい」

「友達に神様のことを伝えなさい」って

いう、大人の思う子ども像を

突き付けておきながら、

そういう大人はそれほどでもない。

話し合うのは、いつも聖書に

基づかないことばかり。でも

大人の理想像に従っておけば、

大人よりも聖書に書かれてることが

頭には入るから教会では優等生。

気づいたら

神様が分からないクリスチャンに

なっていた。

あるあるじゃない?
だから、聞いててさ、

「あ、あの時の気持ち、コレだわ」と。

ちなみにね、

日本社会でストレスが

高い立場の第2位は牧師だそうです。

1位は皇族だってさ。

この立場になって思うし、

教会に言いたい。うっせえわ。

ほんとに教会には理不尽な不文律が

多いと思う。それを言うのは、

牧師よりも教会員が多い。

そして厄介なのが、

言っている本人が

「どうしてそう思うのか」を

ちゃんと説明できないのに、

「こうじゃなきゃダメだ!」の一点張り。

聖書っていう本質があるのに、

本質に基づかない不文律があまりに多い。

うっせえわ。非常に分かりみが深い。
子どもから見たらうざいんだろうけど、

いいぞ、どんどんやれ!と

思いました。

つーかね、子どもの方が物事の本質を

合理的によくとらえているよ。

若いって本当に財産。
大人はマジで頭悪すぎると思う。

そういう大人にならないように生きたい。

コピペは以上です…そだなァ、わかるわ…

僕も大人になったつもりになって

目の前の教会の人々を

己の手の中に統制しようとしてたもんなぁ

偉い人を演じなくちゃ人々は纏まらないと

思い込んでたものなぁ

賢いフリをする己である。

僕はもうカッコつけたりしない。

見栄張れば張るほど

嘘を己に注入しながら生きてくから。

僕はこれから己を生きる❣️

「それが自己中心なのだ!」とか

「人間的ではなく神中心で生きなさい」

こう批判された暁には嗅ぎ分けよ。

中心に置くべき神は所詮

単なる宗教観念か、あるいは

そこら辺に蔓延してるイデオロギーか

人を不自由にするための屁理屈だと

嗅ぎ分けよう。

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