相棒グラサン

『まるちゃんにとってのたまちゃんのような相棒がほしい』の回

相棒。わたしの人生においてそう呼べる存在の人物は今まで1人もいない。相棒、それはなんて甘美な響き。ひたすらに憧れる存在。嗚呼、どこにいるんだ、わたしの相棒は。

今のわたしに足りないものは、お金じゃなくて、時間でもなくて、愛でもなくて、それはひとえに相棒である。まるちゃんにとってのたまちゃんのような、翼くんにとっての岬くんのような、サトシにとってのピカチュウのような、ルパンにとっての次元のような、ミーちゃんにとってのケイちゃんのような、浜田にとっての松本のような、柿の種にとってのピーナッツのような、稲葉にとっての松本のような、C-3POにとってのR2-D2のような、レッド吉田にとってのゴルゴ松本のような、そんな存在がわたしには足りていない。遊戯王の闇遊戯なんて、普通の遊戯のことをそのまんま「相棒!」と呼ぶほどに相棒と思っている。そんな相棒がわたしには足りていない。流石に心の中で相棒と思うことはあっても、直接「相棒!」と呼ぶのはどうかねと思うけど。実際、普通の遊戯の方は闇遊戯のことを「もう1人の僕」という、なかなか距離感を保った冷静な呼び方をしている。

そもそもね、ノンフィクションの世界で相棒と呼べる存在がいる人ってどれくらいいるのだろうと思うわけよ。相棒がいるような素敵な世界を生きている人っているんでしょうか? 上に例として挙げた綺羅星のごとく光る数々の松本たちでさえ、わたしの目には相棒同士に見えても、実際のところ相方に相棒と思われているのかどうかは定かではない。そして仮に松本は相方に相棒と思われていたとしても、肝心の松本は浜田や稲葉や吉田のことを相棒と思っていない可能性もある。ちゃんと両想いなのだろうか。「おれが相棒と思っていた松本は、実はおれ以外のやつを相棒と思っていて・・・」みたいな相棒のラビリンスに入り込んでいることもあるんじゃないか。相棒の成立条件がものすごく困難なもののように思えてきた。

ここで一旦、「相棒」という言葉の意味を辞典で引いてみることにする。

物事を一緒にする相手。また、いつも行動を共にする相手。

・・・。なんか思ってたより薄い関係やな。こんな意味であるならば、わたしの人生、相棒と呼んでも良さそうな人物の顔が数名頭の中に浮かんできた。でも、何かが違う。みんな求めている相棒像ではない。みんなには勝手なことを言って申し訳ないけれど。

わたしは理想の相棒とともに、時に笑い、時に喧嘩し、時に泣き合いたい。喜怒哀楽を分かち合いたい。相棒にはちょっと抜けてるところがあってほしい。そして「おいおい、相棒。しっかりしてくれよ」という台詞を吐きたい。そんでもって暇なときは喫茶店で一緒にお茶をしたい。誘ったときには95%ぐらいの確実性で来てほしい。わたしがギターを始めたら一緒にベースを始めてほしい。わたしが飽きたら飽きたでそっとしておいてほしい。キャッチボールがしたくなったら付き合ってほしい。怖いから野球部のやつがよく投げるまっすぐの軌道の速い球は放らないでほしい。山なりのそこそこ速い球を投げてほしい。わたしがオススメした漫画にはもれなくハマってほしい。そしてセンスを褒めてほしい。どうか来てほしい。水際まで来てほしい。こんな相棒、どこかに居ませんかね?


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