泣き虫

定期的に涙が止まらなくなる日がある。
別にすごく辛いことがあったわけでも悲しいことがあったわけでもないのに、少し感動するものや美しいものを見ただけで心がぎゅっと締め付けられてどうしようもなく涙が溢れる。
今日はそんな日だった。
普段閉じ込めている暴力的な感受性、共感性の箍が外れるのだろうか。

小さい頃はよく泣く子供だった。
少しコケただけで、少し喧嘩しただけで、少し怒られただけで、泣いていた。
その度に、父には「男のくせに泣き虫で弱いやつだ」と言われ、いつも優しい母からも少しだけどうしようもない子供だという気概を感じていたのを思い出す。
そうして段々大人になるにつれて、男が泣くのは恥ずかしいものだという今どき古い考えが刻まれ泣かなくなっていった。

自分でもびっくりしたのだが、高校の頃最後の総体で負けたときに自分は笑いながら仲間の元に帰っていたらしい。
後輩に「負けたのに僕らの前では笑顔で北島さんはほんとにすごい人です」って言われたけど、ただ泣き方が分からなかっただけである。
別に気を使ってるわけじゃなかったんだけどね。
まぁ優しいと思われるならいいんだけど。
でも実を言うとこれだけ一生懸命に打ち込んだものにさえ、涙を流せやしない空虚な自分が本当に嫌いになっていた。

そしてこの泣けない性格は実家を出てから数年ほどはそのままだった。

そうして突然普段はあんまり泣かないくせに定期的に1人で号泣する化け物になってしまった。
泣き虫で弱い自分がまだ心の奥底にいて、なんであのとき閉じ込めたんだって怒ってるのかもね。

今でも泣いている人を見ると、ぎゅっと抱きしめたくなるのはあの頃の自分がそうしてほしかったからなのかな。

これから弱い自分も含めてもっと愛せるようになりたいね。
もう一度号泣して寝る。
おやすみ、泣き虫。



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