さめないで きえないでって

書きかけの記事をアップしないまま、あっという間に2022年の1月も半分が過ぎた。昨日は子猫たちの里親探しの会。私は先月で預かりさんを卒業して保護団体の別の方に双子たちをお願いしたので、うちにはもう、猫たちはいない。でも別れてからまだ一か月ほど。毎日、家族の誰かがちょっとしたことでチビたちを思い出して話題にする。

預かりボランティアにエイや!と手を挙げたときには想定もしてなかった勢いで私は仕事が忙しくなってしまい、年末年始もあり、けっこう環境も変わり時間が経った気がするけれど、ちっとも離れた感じがしないチビたち。今のその隙間から出てきそうwwせっかくなので、書いておきたいことを、少しでも書けることを書いておこうかな、と思います。


今朝、おでこが息を引き取ったと保護団体の方から連絡がありました。ショックというような大きな衝撃はなかったけれど、時間が経つにつれて涙がにじんでくるようになってきた。どんな理由があっても、理解してるつもりでも、お別れって簡単じゃない。

おでこの様子がおかしいので、うちにいた時のことを教えてほしいと連絡があったのはお正月のこと。年の瀬も押し迫った30日に双子の片割れ:おひげ(女の子の方)とのお見合いが決まり、昨日からトライアルに行っています、と連絡があった。先住猫との相性をみているというおひげの写真が送られてきた。

離れた後もこうして様子の連絡をもらえると思っていなかったので、すごくありがたかった。おひげは立派なふすまの前に置かれたキャットタワーの上に寝ていて、まだお邪魔して間もないこともあってか、なんだか所在無げな表情で半分目を閉じて映っていた。でも居場所がないってわけじゃなさそう。きっと大丈夫だろうな、と思った。

やっぱり二匹一緒には無理だったか、という気持ちと、でも12月の半ばにうちから離れる頃にはけっこう一緒に過ごしていた二匹にそれぞれの時間も増えていて、一緒に育ってきた兄妹もこうやって成長していくんだなと思っていたから、おでこもきっといい家族に迎えられていくだろうと思っていた。おでこは本当に賢い子で、クールな美形。八割れでお大福みたいな愛らしさのあるおひげとは対照的だった。おでこはよくできた賢い子だったから、この子にあった家にいってほしい、というのが母と私の願いだった。

うちから送りだした時の様子を思い出す。これは!と思った人にはちゃんとあいさつしてね、とおでこに伝えた。1月の里親探しの会ではいい出会いがあるよね、と話していたら、トライアルを始めて数日のおひげが、正式に迎えられることになったと連絡があった。

よかった。おひげは甘えん坊で愛嬌があるから大丈夫。家族として溶け込んでいくだろう。

うちに来た時、ごはんも食べられなかったおひげにいろいろ教えてきたのはおでこだった。二匹は仲良しだけれど、おでことおひげはこれから、別々の場所で生きていく。二匹一緒に飼ってくれる人はそういない。うちだって最初から二匹預かると知っていたら、きっと二の足を踏んでいた。

正直な話、私は二匹に出会うまで、動物の家族が離れ離れに暮らしていくことにあまり共感したことがなかった。幼すぎる別離は成長に影響するからNoだけど、でもそれだって親子の関係についてがメインで、兄弟のことはそんなに重視していなかった。がらりと意識が変わったのはうちに来た双子の猫たちを見てきたからで、二匹で成長しあう様子をみて毎日、感動していたし、縁のある関係とはこういうものなんだな、と実感するようになった。

親子でも兄弟でも家族でもなんでも、縁がある、という関係とさほどでもない関係がある。その中でも兄弟という間柄について、二匹はあのあっという間の成長の中で私に体感させてくれた。だから二匹一緒がいいと願っていたし、成長してからは離れても大丈夫だ、と思っていた。

おでこの様子がおかしいと連絡があったのは、おひげの迎え先が正式に決まった翌日だった。おひげと離れてからごはんを食べず、水も飲まず、遊ばない。元気がないと預かってくれているボランティアさんから連絡があり、心配なのでいったんうちに引き取ります、と保護団体の方から連絡があった。うちにいたときのおでこはどんな様子だったか、という質問のLINEだった。

連絡がきたのはうれしかった。私はあまり保護団体の人とはいい関係を築けていなくて、こちらから二匹のことを聞きにくい状態だったからだ。12月の半ばに予定通り二匹の預かりを卒業したのも、里親探しの会での二匹の紹介が、保護団体の常連さんが預かっている子たちと比べるとよそよそしいなと感じたことにある。だからどんな状態かを自分から聞いたり、頻繁に情報を教えてもらうことはできなかったけれど、離れてしまっても私にできることならなんでもしたかった。

うちにいた時から確かに二匹ともムラ食い気味で、ごはんもがっつく方ではなく、食べたいときに、という落ち着いた感じだったので、食餌のペースについてはそんなに心配はなかった。でも遊ばないということはなくて、おでこもおひげもものすごい勢いで運動会やプロレスをしていたし、甘えて膝に乗ってきたり、仕事をしているそばで隙間に入ってみたり、PCの画面にだまをとってみたり、二匹が自由に動けるリビングとバスルーム、私の仕事場は、隅々まで知らないところはないんじゃないかというくらい、本当によく遊んでいた。結んだコンビニの袋、ペットボトルのフタ、飴、新聞紙の切れ端、なんでもおもちゃだった。

だから「おもちゃでは遊んでましたか?猫同士でしか遊ばないということはなかったですか?」と聞かれた時に、これはおかしい、と思った。

基本、おでこはいつもおひげの先を行っていて、おひげがやることはおでこの後追いだったからだ。おもちゃにするものだって、最初に見つけてくるのはおでこで、おひげはそれを真似するのが常だった。遊ばないということはない。

うちから離れて預かってもらった先では、離れるまでは気になるような様子はなかったみたいだった。おでこはおひげ以上に食餌の時間にも量にもムラがあったからそれは癖だとは思ったけれど、うちにいた時から100g、体重が減っている、と聞かされた。

4か月にならない子猫が二週間前の体重よりも100g落ちている、というのがいい状態じゃないことは、私でもわかる。おひげがいなくなってから食欲の減退や元気のなさが顕著になったようだけれど、どういう様子なのか、知りたいことを詳しく聞くことはできなかった。モヤモヤが残る。

おでこはうちの子じゃない。うちで飼うことができない以上、聞かれたことに答えてなんとか有益な情報がないか考えるくらいしか、できることがない。中途半端な関わりしかできないことがストレスだった。私の卒業後に預かってくれた方が悪いわけじゃない。ただ、原因がわからなかった。おひげと離れたことがショックだったのかもしれないけれど、それで食餌がとれなくなるほど自分を追いやってるの?という気持ちの方が強かった。

おでこのことが気になって仕方がなかったけれど、一緒に双子の面倒をみてくれていた両親にはこの時は何も言えなかった。特に父は、うちから離れる前の日、母に一匹なら飼ってもいいかも、戻ってくるワンコともなんとかなるかも、と言っていたと聞いていた。ずっと猫なんて嫌いだと言っていたのに、あれだけ元気に走り回っていたらかわいくて仕方がない、と言うのを聞いて、人は変わるものだなと思ったし、そういう状態にしてくれた二匹に心から感謝した。

だから、特に父には言えなかった。弱っているおでこを見たらショックを受けることは目に見えていたし、意外と繊細なので、万が一のことがあったら夜も寝られないかもしれなかった。

でも黙っているのはつらかった。苦しいことは誰かに聞いてもらいたい。おひげはどうしてるかな、可愛がってもらってるだろう、おでこもいい家族に迎えられるといいね。そんな会話をするたびに、心からそうなってほしいと思い、そうなるそうなる、と思った。

一週間くらいしてやっぱり我慢ができなくて、迷惑じゃないかなと思いながら、おでこの様子を保護団体の人に聞いてみた。高級なエサは少し食べるけれど、足りないので強制給餌しているという。

強制給餌。ああ、そうか、と思った。理由はわからないけれど、おでこの体は命をつながなくなっている。だからと言って放っておくなんてできないけれど、食べないというのはそういうことだから、そう受け止めなくては。

我慢できなくなって母にだけ、おでこのことを話した。どうか、と願わずにはいられなかったけれど、どうしても、とは思えなかった。祖父母や先代の猫もやっぱり徐々に食が細くなって、自分で調整して逝った。その感覚があるからなんだけど、でも、まだ小さくて滑らかなおでこのことは、とても同じ気持ちではいられなかった。心配してるわけじゃないけど、気持ちが揺れる。

仕事で忙しくしながら、合間におでこのことが浮かんでくる。どうなっただろう。現状維持でどうなったもこうなったもないかもしれないけれど、やっぱり気になる。自分的には待って待って待って、週末だから許して、と思いながら一昨日、保護団体の人にLINEした。

おでこの様子はどうですか?

レントゲンや血液検査をしたけれど、特に異常はみられず、脳か神経ではないかと言われた、と返信がきた。歩くのもおぼつかなくなっているらしい。ケージの中からこちらを見ているおでこの画像を送ってくれた。いま、撮ってくれたみたい。頬が少しこけている。目が強く見えるのは、やつれたせいかもしれなかったけれど、しっかりとカメラの方を見ていて、まるで目の前にいるみたいだった。

会いたかった。引き取りたい、という言葉がずっと喉にあったけれど、ここまで弱ってしまっている子を移動させられないのもわかっている。会いたいなんてとても言えないとわかっていても、会いたかった。おでこが私のことをどう思っているかはわからないけれど、会いたかったし、そばでできる限りのことをしたかった。

子猫は翅のように軽い。違う形で重力を受けてるみたいだ。膝や肩に乗ってくるとなぜか、服の上からでも肉球の感じがわかる。温度もわかる。軽いからこそはっきりと感じられるものがあることを体感させてくれたのは双子の子猫たちで、その片割れがいま、もっと軽くなっている。直接、自分にできることは何もないとわかっているけれど、たまらなかった。母といるとつい、おでこの名前を呼んでしまう。甘えているなと思ったけれど、気がついたら口にしている。父には言えないけれど、タブーにはしたくなかったんだな、と今、これを書いていて気がついた。

そして今朝、LINEがきた。おでこが朝、息を引き取ったと書かれていた。パウチを食べさせている途中、痙攣があってしばらくして。そうか、と思った。おでこ。ごはんいらない、という時は本当にいらないんだよね。もしもうちに戻ってきてくれてたとして、私にそれができたかな。君のそのままを、そのまま、受け入れられたかな。

昨日は里親探しの会で、何も知らない父は、こっそり見に行こうか、と言った。会はコロナの影響で予約制だから、行っても入れないよと母が答え、私もそうだよ、と言った。おでこのことは父には言えないと思った。それでの、今朝。やっぱり言えない、と思った。たった2か月、一緒にいただけなのに、父は子猫たちを驚くほどかわいがっていたから。

父がいないときを見計らって母におでこのことを話す。食べる、ということを基準に考えるのは私と同じなので、母は仕方がないよね、と言ったけれど、本当はあんまり深く考えたくなかっただけかもしれない。痛みがあっても痛い、と言わない人だから。一方の私は痛い、と言ってしまうタイプなので、自分の感じを意外と大丈夫だな、と思った。思ったのだけど。

お昼になって午後になり、時間が経つにつれてわけもなく涙が滲んでくるようになった。ごはんも食べて、笑って、話して、すべきことも普通にして、でもふと涙が滲んでくる。まいったな。ずっとこっそり目元をふき続けて、変な人みたい。おでこ。悲しいわ。寂しいよ。

それで思ったことがある。私の年下の友人は、生まれた時に泣くのは生まれてきたことが嫌だから、という説を支持しているのだけど、私はそうは思っていなくて。でも今日、はっきりわかったことは、私は生きているということはいいことだと思ってる。だから、おでこにも生きていろんな体験をしてほしかったんだよ。ここでしかできない体験があると本気で思っていて、それをおでこにもしてほしいと思ってた。どうしてか?おでこが素晴らしい猫だから?それもあるけれど、たぶん、私はこの世界にいることは素敵だと思ってる。だからだ。おでこのことを考えていたら、ふと、そう思った。

死なないでほしいんじゃなくて、生きてほしかったんだね。私は体というものが本当に愛しいと思っていて、素晴らしいと思ってる、ということを去年、祖母を看取った時に体感したんだけど、君のことも本当に素晴らしいと思っていて、だから生きてほしかったのね。生きてるってその体と一緒にいるということだから。もう二度と会えなくても、素敵なでここに、ここにいてほしかった。あんなに素晴らしく成長してきたでこなのに。あんまりあっさりじゃないかね、でここ。

小さい子はあっという間。わかってるけれど、わかってなかった。でこよ。

じわじわ、じわじわ。涙は滲んで止まらない。今座ってるこの椅子を、君とおひげと三人でシェアしてたな、とか、どうでもいいことを思い出し始めた。朝は顔がむくんでいるかも。離れてからまだ一か月、まだ家にいるような気持ちでいるんだから、そのままの気持ちでいればいいのに、つい、そんなことも考えてしまう。それはそれなのに。

でこよ。ありがとう。写真を撮って送ってくれた保護団体の人にも感謝しています。最後まででこを大事にしてくれてありがとうございました。まだ迎える家族の決まっていない保護猫は、野良NGの社会の中で誰のもとにも所属しないから、自由な猫とも言えたな、と思う。

書いているとあんまり泣けてくるので、双子とのテーマだなと勝手に思っていた『メトロノーム』を聴いていたら、アルバムの次曲は『雨の街路に夜光蟲』。思い出の振り返りから旅立ちへ。このタイミングで、もう旅立ったといわれている気分で目がさえる。

一晩寝たら、明日の朝は満月。でこのことを見送ろう。




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