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たとえ傷ついたとしても

しばらく納まってたチュッチュの嵐が再燃してるおでこ。ほんの3~4日でも見違えるくらいに成長するハイパーチビ期はチュッチュだって数日で変化、同じじゃない。今のお気に入りは抱っこしてもった腕の服でチュッチュすること。踏み踏みしたり噛んだり、けっこう激しい。そして20分くらいは平気でチュッチュし続ける。もちろん、服はヨダレでベタベタ。

そして、寝落ち。

猫も寝落ちするのだ。

そんなおひげに触発されておでこもたまにチュッチュする。こちらはやり方も大人しくて時間も短い。でも、たまに寝ながら口を動かしてるので、夢を見てるのかな、という時がある。たぶん、今の猫たちには必要な行為なんだろう。見るからに幸せそうな、それぞれのチュッチュ。

急に寒くなって、今週は雨や雷、時々冷たいものも降っていたせいか、お気に入りの場所が窓辺からイスの上になった。食卓のイスとソファ、そして私の社長イス。いないな、と思ったらそのどこかを見ればたいていいる。社長イスは私がいないと座らなかったのに、最近はいなくても寝てる。ウールの座布団がお気に入り。新しいおうちに行く時、持って行ってもらってもいいんだけど、ご迷惑かもしれないね。

ソファは相変わらず遊び方が激しくてちょっと傷んできた。もともとワンコが使う設定で買ってるからいいものじゃないし、傷んでも大丈夫なんだけど、張り切りすぎて壁に爪をひっかけると、少し気になる。なんせ、猛スピードの二匹が30分近く走り回り続けるのだ。入ったことのない隙間はないんじゃないかというくらい、どこでも遊び場。絶対に粗相しないのが分かっているので平気だけど、もしもこれで粗相する子だったらけっこうツライな、と思う。大人になると、気に入らないとわざと粗相して抗議を伝えてくることもあるけれど、チビ達は素直だ。そんな頭脳戦はしない。トイレが大大大好きだから、シッコもうんちもトイレでちゃんと。おめめちゃん、と呼びたくなるくらいに澄んだ目で世界をみてる。それだけに、誤魔化しは効かないんだけど。

廊下をモップで掃除しながら、家が傷つくから動物を飼わない、という人も多いよな、と思う。先日ふと見た新聞に在宅での看取り医療をしている医師のコラムが載っていた。家に死人が出るのが嫌だからと、本人は在宅希望でも家族が入院をさせるケース、マンションだから入院してくれというケースがあることを知る。考えてみれば別に普通にありそうなことなのに、読んだときはけっこうな衝撃だった。うちは祖父母も家で看取ったけれど、それはいろんなことが重なってできたことで。それは分かっているつもりだったけれど、なにかを為す、ということは意志や努力だけのもっと手前の小さななにかの積み重ねが不可欠なのよ、と言われたみたいな気持ちだった。

猫たちが来たのもそうで。双子が来るって知ってたら、えーってなってたと思うし、筋肉質なフレンチブルがいた時も、周囲の人はえー、って言ってた。家がいたむよ、と。確かに廊下は傷だらけだ。経年変化もあるけれど、ワンコがいなかったらここまでじゃなかったと思うし、悪さはしてないと言っても、猫たちがいたからついた傷はどんなに小さくても確実にある。傷がつかないことを選択するなら、動物を飼うなんてことはできない。

傷がつく、ということ。

傷つかない人生を生きたい、と思う人は多いな、とふと思った。傷つかない生き方をした方がいい。それは確か。私がそうだ。傷つきたくない、マイナスになりたくない。そんな気持ちがないとは言えない。ないどころか、他人様と比べて軽いとも言えない。分類するならリスクを避けまくるタイプと言っていい。

でも、私は家が傷つくことよりも仔猫と暮らす時間を選んだんだよね。

思いついてからわずか数日、あっという間にそうなった。家が傷つくことだってリスクとして考えなかったわけじゃないけれど、すごく乱暴な言い方をしてしまえば、あの時の私は、傷つく生き方を選んだわけだ。たとえそれが短い期間でも、ついた傷は消えないし、どんなに頑張っても傷つくことが前提の選択(この場合は仔猫が二匹も家にいる!ということ)をしながら傷つかないことはあり得ない。

そうかー、人って傷つく生き方を選ぶことだって、別に平気なんだ。

とか思う。当たり前のことで、私を含むみんな普通にやってることなんだけど、改めて言葉にしたらちょっと凄かった。

想定してなかったことだけど、ごはん食べなかったり風邪ひいたり、目が腫れたりと、いろんなことが起こってるし、保護団体の人には信頼されてない気がして嫌な気持ちになったりもした。いまだって、ちゃんとお嫁入りさせてあげられなかったらどうしよう、という気持ちがあるのをドキドキしながら感じてる。ある意味、傷と言えなくもないことだってたくさんで、でもそれは彼らを迎えなければなかったことで。

でもどっちが良かったかと言われたら、即答できる。それは間違いなく、猫たちを育てること。それができたのはなんでもないことのようでいて、実は数多のタイミングが重なって起こった幸運なのだ。

傷つくことを選ぶのも、全然、あり。良し悪しじゃない。ただ、それぞれの出来事があるだけ。

明日は里親探しの会。ちょっと前まで微妙な力みがあったけれど、抜けてきたなあと感じてる。そして猫たちは元気で素晴らしく愛らしくてエネルギッシュで、甘えたい時は寄ってきて、私の腕はヨダレで冷たい。

仕事をしながら過ごす、なんでもない土曜日。今日もいい日。きっと明日も。



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