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名前のハナシ

うちの預かり猫たち。大きい方のおでこはやっと1㎏を越えた。月齢でいくと1㎏になるのに2週間遅い。小さい方のおでこはまだ900gを出たばかり。でも、最初は150gの差があったから、おでこの伸び率は脅威。

痩せっぽちだった二匹のお腹が丸くなって、気がついたらお尻も少し丸いフォルムに。来た時から大きな手をしてるな、と思っていたおひげはどっちかっていうと少し丸くなる体質で、おでこはたぶん、よっぽどじゃない限りシュッとしたままいきそう。顔が白いおでこ。最近になってうっすらマロ眉が出現してきた。ものすごいやんちゃだけど、マロ眉。美形に拍車がかかりそう。一方のおでこは目がまん丸で愛らしい。チュッチュが大好きな甘えん坊、のように見えて気分の乗らない時は一人で寝てる、猫らしい性格。

保護団体の人がうちに二匹を連れてくる前、名前はついているのかな、と家族で話していた。ついてないと困るけど、新しい家族のところに行ったらきっと新しい名前がつくよね。でも、自分には名前というものがあって呼ばれてるんだということが感覚的に分からないといけないから、名前は覚えてほしいなあ、とか、そんなことを話していた。

で、やってきた二匹。名前はついていたけれど、それが想像を超えたネーミングだったので、最初はなかなか慣れなかった(まだ1カ月と少し前のこと)。

大きい方の男の子はおでこが広いからおでこ。小さい方の女の子は鼻の下が黒いからおひげ。と、言われた。見分けやすいように、たぶん顔の特徴から先におひげの名前がついて、それに合わせて顔の特徴でなにか、とおでこの名前をつけたんだろう、という想像がすぐに浮かんだ。

こういってはなんだが、安直だ。よね。

まあるい目の、おでこよりも小さい女の子の猫がおひげです、と言われても鼻の下が黒いのだってちっともヒゲっぽくないし、なんだか呼びづらいなあと思っているうちに、私は二匹の名前を間違えて呼ぶようになってしまった。でこりんとかひげぽん、とかいろんなバージョンで呼んでいるのだけど、慌てていると、おでことおひげを入れ替えて呼んでしまうことがある。それでも二匹ともたぶん自分の名前を覚えていて、それなりに反応してくれる。だからこそ余計に気を付けなくちゃいけない。いけないのだけど、でも間違えてしまうのよね、困ったことに。

で、さらにうちの母。

特になんの理由もないらしいのだけど、私が二匹の名前を入れ違えて呼ぶことが増えてきた頃、母は母で、おでこのことを『オカブちゃん』と呼ぶようになった。無意識に口から出てきてしまうらしい。オカブ。この名でおでこを呼ぶ時の母の声は軽快だ。どうやら愛らしさを感じている時に、ふっと出てきてしまうらしい。

でも。

これまで一緒に暮らした猫にも犬にもオカブはいない。今まで一度も、母の口から聞いたことのない名前、オカブ。誰かと間違えているわけでもないし、どこからきたのか、オカブ。よりによってなぜオカブ?母にも何が由来か分からないので、間違っていることに気がついた時は、あらあら、とか言いながら誤魔化しているのだけど、気がつけばまたシレっと『オカブちゃーん』と呼んでいて、オカブと呼ばれているおでこも普通だ。

オカブ。なんでそうなったのか、見当つかない名前なんだけど、でも、おでこを見てるとオカブって感じがする。カブかー、かわいいなとか思ってしまって、間違えてオカブと呼ばないように気を付けてないといけないくらいしっくりくる。

母よ、お願いだからこれ以上、私を惑わせないで。ただでさえ名前を入れ違えてばかりいて、心ひそかに肩身の狭い気持ちでいるのに。

名前ってよくできたもので、どれだけ意味や由来を考えてもこじつけても、フィーリングがあったなら、その瞬間にその名前になってしまう。ピタッとはまる、という瞬間がネーミングにはあって、それはとっても素晴らしいことなんだけれど、まさか、預かりの仔猫との間にそんなワンダフルな瞬間を体験するとは思いもしなかった。だから、私は母がおでこを『オカブ』と呼んでいるのを聞くのが好きだ。ものすごく気持ちがいい。

昨日は、仕事をしながら隣の部屋のテレビをつけていた。小川洋子原作の「博士の愛した数式」。事故で障害がおきて、80分で記憶がリセットされてしまう数学者=博士と彼の家に来た家政婦、その周辺の人々の物語だ。数学をモチーフにした作品が好きなんだけど、これはその中でも特に好き。小説も映画もどちらも好き。知っている内容だから、ちゃんと観てなくても楽しめるのもいい。

家政婦には息子がいるのだけど、数学者である博士は、その子にルートというあだ名をつける。その子の頭のてっぺんが平たくてルート記号みたいだから。でも顔を見ても特にルートって感じはしない。彼は普通の小学生。

映画の中で、博士がルートの草野球の試合を博士が見に行くシーンがある。お茶を淹れたついでにちらっと見たら、ちょうどそのシーンだった。日本が舞台の物語で出てくる人は日本人ばっかりなんだけど、そんな小学生の野球の試合でも、博士は小学生の彼を『ルート』と呼んでいた。

ルートって変わった音だし、ちょっと変わった名前だと思うんだけどね。

昨日は、その小学生がルートという名前で呼ばれていることがあまりにもしっくりきていたことに驚いてしまい、ついそのまんま、映画を観始めてしまった(在宅勤務って恐ろしい)。何度か観てる作品なのに、なんで気がつかなかったのか、というくらい、ルートという、日本語じゃない名前はその小学生にぴったりしていて、それがいろんなことを思い起こさせて、名前ってやっぱり特別なんだな、と思った。

『おでこ』の『オカブ』みたいに。

おそらく、おでこを迎えてくれる新しい家族は、彼に、おでこでもオカブでもない、別の名前をつけるだろう。彼はそこから、その名前で生きていく。おでこでもオカブでもない、新しい名前。どんな人たちかは分からないけれど、たぶん、その家族のところでの彼には、その名前こそがぴったり!になるんだろう。たぶん、保護団体の人のところではおでこがぴったりだったし、うちではオカブがぴったりで、おでこはそういう猫なんだろう。そんな感じの顔してるし。でもまあ、保護団体の人の手前、おでこはおでこなんだけどね。

名前。間違えててもちゃんと分かってくれてありがとう。なるべく間違えずに呼ぶからね。

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