カトリック教育とは何か?

品田典子(学校法人 北海道カトリック学園)

 Saltの開設を心よりお喜び申しあげます。このようなサイトが関係する全ての方々と共有され、活用されることを通して、お互いが繋がり、より活性化できればと大きな期待を寄せています。
 さて、この出発にあたり、「カトリック教育とは何か」というテーマで寄稿するよう依頼を受けました。私などがこれを語るに相応しいとは到底思えない壮大で深いテーマです。しかし、ちょうど今、私自身がこのことについて日々悩み、考えを巡らしている時ですので、それを分かち合わせて下さい。
 昨年度より北海道の学校法人に勤務しておりますが、地方のカトリック学校は、大都市圏とはまた異なる様相を呈しています。司祭修道者が学校から退き、管理職を含め学校で働く信徒の数も極わずか、教員のほとんどが公立校の出身……という中で、いったいカトリック学校は何を次の世代に伝えたいのか、残したいのか。
 欧米諸国の支援を受けながら設置された多くのカトリック学校は、当初、キリスト教の宣教や信徒を増やすためという明確な目的を掲げていた時代もありました。「カトリック学校なのに、洗礼者が出ない」という非難めいた言葉を教会に通う信徒から聞いたこともあります。時代は移り、いま私たちは、日本におけるカトリック学校の使命は何かを考え直し始めています。
 まだまだ道半ばですが、いまの時点で私が考えていることをお伝えできればと思います。
 まず、全てのカトリック学校の根っこであるキリスト教カトリックの「強みは何か」に思いを馳せると、それはキリスト教が標榜する人間観、世界観、価値観ではないでしょうか。現在、世界人口は約73億人といわれますが、その約3分の1(32%)がキリスト教徒だという統計があります。これは大いに自信をもってよい数字ではないでしょうか。イエスが命を賭して語ったことやその生き様は、私たち人間のモデルであり向かうべき方向性であることが、2000年以上の時空を越えて支持され続けているのです。このことはカトリック学校に学ぶ子どもたちや若者たちにひとつの視座を提供します。人生において起こる様々な事柄をどのように捉えればよいのか、どちらの方向に進めばよいのか、などを考え判断するときの視座。人間を越えた存在に開かれた視座。言い換えれば、いわばその人の生涯の軸になるものです。
 次に、全世界に広がるカトリックの国際性です。今となっては情報手段が発達し、世界が限りなく小さくなり、国家間にしてもNPOの活動にしても、自由な交流が活発化しています。以前とは比較にならない有り様です。しかし歴史あるカトリックの国際性もまた、学校教育に活かせる変わることのない強みだといえましょう。世界に開かれた様々なカトリックの窓口を通して、日本のカトリック学校に学ぶ子どもたちが、世界を知る、ひいてはより良い国際社会を創出する生き方を選ぶきっかけとなればと。
 そして最後は、カトリック学校の現場の雰囲気が、先述した視座に立とうとしていること。クラスにしても職員室にしても人間の集まりですから、現実は必ずしも理想的にはいかないことは勿論です。でも少なくとも、キリスト教の価値観に根差した風土を大切にしようとしているかを自省し、改善しようとするのではないでしょうか。教職員が生徒たちを、生徒同士が、先生同士が、互いの存在に敬意をはらい、互いを大切にしようとしているか。
 カトリック学校に通ってくる子どもたちを見ていると、一人ひとりが幸せな人生を送れるように、そして、一人ひとりがより良い社会を築く力となれるように、と願わずにはいられません。そのためにカトリック学校ができることは何かを問い続け、微力ながらその実現のために努めたいと思います。
教会の中には、カトリック学校が「子どもたちを信仰にまで導かなくては意味がない」という意見があることも承知しています。しかし、信仰は恵みの次元です。私自身、かつてカトリック学校で宗教科を担当していましたが、在学中はその気配も感じさせなかった卒業生が、大学生になって、あるいは社会人になって受洗したと聞いたことがあります。その人その人が人生の旅路を歩む中で、様々な経験をしながら、受洗の決心に至るのだと思います。神さまの「時」に。私たちが努力したからといって、必ずや洗礼に導けるものだとは思えませんが、ただよい土壌づくりと種蒔きは私たちの役割。それは洗礼を受ける受けないは別として、人として生き甲斐のある幸せな人生を歩めるように、次の時代によりよい世界を引き渡せるように、との願いを込めた地道な役割です。
地方のカトリック学校の現状に直面するにつけ、ノンクリスチャンの先生方の協力なしに、カトリック学校は成立しないことを痛感しています。とするなら、クリスチャンもノンクリスチャンも、いわば「共通語」が必要です。それは先に述べた「強み」がその共通語になるような気がしてなりません。私たち一人ひとりの力は微々たるものであっても、お互いが繋がり合うことによって、きっと豊かな求められるカトリック学校に成長できることを期待しています。このサイトで大いに悩み合い、励まし合い、共に進んでまいりましょう。
 


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