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断髪小説『御園生家のしきたり2 後編』

あらすじ

彼女と喧嘩となっても、家業と古くから伝わるしきたりで一歩を踏み出せず、進展しない。そんな秀征しゅうせい瑠夏るかの行く末は。

小説情報

文字数  :15,139文字
断髪レベル:★★★☆☆
キーワード:家業、儀式、軽微なエロ
項目の詳細はこちらをご覧下さい。

本文

「約束と、…………ないですかっ!」
「……、……だろう。」
「…………さいっ!」

 兄の征一郎せいいちろうと二人でホテルのロビーへ出ると、男女のカップルが言い争いでもしてるのか、いつも静謐せいひつな雰囲気のホテルにしては珍しく雑然としていた。

 さして興味はなかったが、どこか聞き覚えのあるような声に何となく顔を向けた。すると、背がすらりと高く、体のラインが出るようなワンピースをさらりと着こなしている、髪の長い女性が目に入った。見覚えがあった。

――あれは……、瑠夏るかじゃねぇか

 男と二人で一緒にいる姿を見て、一瞬で頭に血が昇った。しかもここはホテルだ。瑠夏は見知らぬ男に腕を掴まれていて、距離が近い。

「あれはお前の知り合いか?まずは落ち着け。様子がおかしい」
「あぁわかってるよ、兄貴」

 あからさまに怒気が態度に出ていたのだろう。こちらをいさめるように兄は後ろから肩を掴んでいた。兄のいつもの落ち着いた口調に多少溜飲りゅういんは下がるが、このまま見なかったことにはできそうになかった。

「悪いが今日はここで。じゃあな」

 兄に一方的に言って、瑠夏の方へと歩き出した。こう言っても兄は事の次第を見届けるまで帰らないだろうが、そんな事に構ってられなかった。



「よぅ瑠夏。久しぶりだな。なんだ、トラブルかぁ?ロビーに声が響いてるじゃないか」

 瑠夏の後ろに近づき、努めて明るい声で仲のいい友人を装いと話しかけたつもりだが、目は笑ってないだろう。

 男女のカップルは外から話しかけられて驚いたのか、不審そうにこちらへ振り返った。瑠夏が俺と目が合うと気まずそうな顔をしたが、すぐに安堵するように息を吐いていた。そして気を取り直した様子で話し始めた。

「しゅ、秀征しゅうせいじゃない。も、もう仕事の時間かしら?」

 どうやら隣にいる男性をあしらいたいんだなと察した。角を立てないように仕事を理由にして。

「……あぁ、クライアントが思ったより早く着いてな。お待ちかねだ」

 肩をすくめ、その思惑に一応付き合い、適当な内容をでっち上げた。

「わかった、すぐに行くわ」

 それだけを言って、隣にいた男性に向き直っていた。

「ごめんなさい、仕事が早まったみたいでお付き合いできそうにないわ。もう行かないと。今日は失礼しますね」
「仕事じゃ仕方ないね。また今度」

 他人に見られてはまずかったのか、そそくさと瑠夏から腕を離して、その場から立ち去った。その男の左手の薬指には指輪がめられていて、少し納得がいった。

「行くぞ」

 瑠夏の手を乱暴に掴んでホテルの駐車場へと向かった。彼女の手は微かに震えていた。一応見守ってくれた兄にはヒラヒラと手を振っておいた。



 瑠夏に「乗れよ」と冷たく言い放ち、彼女は素直に車の助手席へと乗った。そして自分も運転席に乗り込んだ。エンジンをかけることはせず、イラッとした態度を隠さず、瑠夏に詰め寄った。

「あの男と何をするつもりだったんだ?」
「仕事よ」

 不機嫌そうに返してきた。

「ハッ、仕事なら男とホテルに行くのかよ」
「そんなんじゃないわよ」
「違わないだろ。このホテルの部屋の鍵を持っていたことに気づいたから、あの場で言い争いになったんだろう?左手の薬指に指輪もあったしな」

 動揺したようで、あからさまに目を逸らしていた。図星なのだろう。

「いつから見てたの?」
「さぁな。声も響いて目立っていたし、嫌がっているように見えたから声をかけただけだ」
「あれくらい自分で何とかできたわ」

 瑠夏のいつもの強がりなのは分かってはいたが、今日はその態度がよりイラつきに拍車をかけた。

 彼女の肩を押しやり、助手席の窓ガラスに押し付けた。さして膂力りょりょくは要らなかった。

「……なんとかできるんだろう?」
「……」

 瑠夏は押し黙ってこちらを睨んでくる。

「このまま何されてもいいんだな?」
「……離して……」
「嫌なら振り解くなり暴れるなりして、車から降りろよ」
「……」
「抵抗しないのか?」
「……でしょ」

 震えた声で何かを言っていた。

「どうした?」
「秀征相手にできる訳ないでしょ!!」
「わかった」

 瑠夏の目は少し潤んでいるように見えたが慰める気にもならなかった。瑠夏から手を離して、シートベルトをして、エンジンをかけた。イラつきながら操作をしたからか、キュルキュルとタイヤの音が地下の駐車場によく響き渡っていた。

 しばらくして瑠夏が「どこに行くの?」と聞いてきたので「マンション」とだけ答え、あとは無言だった。

――最近、瑠夏と会うと喧嘩ばかりだな……

 車の中ではずっとそんなことを考えていた。



 マンションの駐車場に車を止め、そのまま腕を引っ張って部屋へ連れて行った。玄関に入るなり瑠夏の顎をクイっと持ち上げ唇を噛み付くように乱暴に奪った。口が少し開いてきたので、舌をねじ込んで蹂躙じゅうりんする。

「んっ……ふっ……」

 瑠夏の鼻から抜ける声がする。来ていたワンピースのチャックを下ろし、薄いインナー越しにブラのホックを外した。外れた反動で瑠夏の形の良い抑え込まれていた胸がふるんと揺れていた。

「ちょっ……」

 瑠夏が口を少し離れた瞬間に何かを言いかけるが、言い終える間を与えず口を塞ぐ。今、瑠夏の言葉を聞きたくない。どうせ言い合いが続くだけだ。

「んんっ……」

 口の間から少し声がもれる。服の中に手を入れ胸を揉みしだく。先端に軽く触れると、嬌声きょうせいが上がった。

「……んんっ……!!」

 ワンピースが邪魔で、袖を肩から外すと、さしたる抵抗もなくストンと廊下に服が落ちていった。唇を離すとお互いの口と口の間に銀色の糸を引いていて、瑠夏の顔が上気していた。いつも気の強い瑠夏が快楽に染まっていく様はこちらの欲をあおる。そして、彼女をそうさせるのは俺だけなのだと思い込みたいし、教えてやりたくなる。

 そのまま廊下の壁に瑠夏の体を押しつけ、ロングの巻かれた茶髪を大きな金色の輪っか状のピアスを付けた形のいい耳にかけてかじり付く。胸の先端をしつこく爪で弾き、キュゥとつまむ。

「ちょ…、やめっ、んんぅ……」

 秘所も同時にストッキングの上から触れた。脱がすのも面倒で荒い手つきでビリビリにストッキングを破り、薄い布越しに花芯をクルクルといじると、瑠夏の足がもどかしそうに内側へ力が入ってきたようだ。

「やっ、ッあ、ぅあ!」

 存分に胸と秘部を翻弄し、秘部がピクピクしてきたところで、そろそろだなとキュゥと乱暴に花芯を摘んだ。

「ーーー!? あぁ!!」

――軽くイッたな

 下着の中に手を入れ、確かめる様に秘裂をなぞった。

「ずいぶん濡れてるな」

 ぴちゃぴちゃと浅いところをかき回す。

「あっ、そ、そこかき回しちゃ、……もうっ、」
「欲しいか?」

 瑠夏の形のいい耳元で囁いた。

「ぅんっ。……ここじゃいやぁ…っ」
「わがままだな」

 あっけなく求めてきたことにほの昏い悦びがあった。瑠夏を抱えて寝室へ行き、乱暴に、今の感情をぶつけるように何度も突き上げた。



 コトを終え、瑠夏が気怠けだるそうにしている。

「この、体力バカ」
「この前から憎まれ口ばかりだな」

 溜息混じりにそう言い放って、タバコに火を付ける。

「タバコ、吸ってるの?」

 そう言えば瑠夏の前で吸ったのは初めてだったかもしれない。どうも最近、自分のペースが乱れているらしい。肺の奥からモヤモヤとしたものを吐き出す様に深く煙を吐いた。

「……たまにな。イライラしないように」

 正確にはこの前から瑠夏が突っかかってばかりくるから、冷静でいられるようにだ。言い合いばかりをしたいわけではない。

――まぁ、俺も悪いんだろう

「私といるとイライラするって事?」
「そんな事は言ってないが、いくら喧嘩してたとはいえ男と二人でホテルにいたのを見たあとだ。流石に頭にきてるさ」

 何とか冷静に言葉を吐き出したが、今でも嫉妬で気が狂いそうだ。

「あれは……ごめんない。軽率だった」
「自分でなんとかできるんだろう?」

 彼女が自分に言ったセリフそのままに冷たく言い放った。

「……っ。秀征が来てくれて助かったわ」

 彼女も時間が経ってすこし頭が冷えたのだろう。先程よりかは素直になったみたいだ。

「それで、理由は聞かせてくれるのか?」
「……」
「俺に言えないような事か。」
「……、秀征だって私に何か隠してるじゃない」

――まぁ、気づいてるよな

 そう思っても今の彼女に話せる訳ではなかった。

「俺は今ここで意地を張り合って、喧嘩をしたいんじゃない」
「私もよ」
「はぁ……。つまり、男とホテルにいた事に弁明はないってことだな。……もういい。頭を冷やしてくる」

 タバコを携帯灰皿に押し当て、火を消した。ベットから降り、寝室を出ようとすると、瑠夏から声がかかった。

「待って!! ちゃんと話すから……」
「……、分かった。とりあえずシャワーを浴びてからだ」

 瑠夏にシャワーを浴びさせることにした。



 水をコップに一杯、口に含んだ後、脱衣所に瑠夏と自分の着替えとバスタオルを置いた。何度かマンションに泊めているので瑠夏の着替えやアメニティくらいは元々備えてあった。そして、玄関や寝室であちこちに散らばった瑠夏の服やバッグを拾い集めておいた。

 キッチンでコーヒーメーカーをセットして、ソファーに座りスマートフォンを眺めながら、瑠夏が戻ってくるのを待った。

――シャワーから出た後も喧嘩にならなきゃいいが……

 瑠夏はあの通り気が強い。人に頼ることが苦手で、何でも一人で突き進もうとする。

 思ったことははっきり言ってしまうし、喧嘩も売られればそのまま買ってしまう。慣れ親しんだ相手でも滅多に弱音を吐けないし、それこそ人に心を許す様になるまで時間もかかる。

 ただ、瑠夏の一人でもガンガン突き進んでしまえるバイタリティ自体は自分にはないもので最初に惹かれた部分でもあった。

 でも一人でなんとかしたがる割には、ふと寂しくなったり、心身共に疲れる時はあるらしい。素直に甘えてこそこないが、こっちに察してとばかりにマンションにやって来てスキンシップを仕掛けてくる。俺と触れ合うことで解消したがるのだ。

 その瞬間がどうにも愛おしく、求められるがままに何も考えられなくなるまでドロドロにイかせてから、こちらの欲望を吐き出す様にしていた。

――結局、俺は外では自由に生きている瑠夏を眩しく見つめて、家ではドロドロに甘やかしたいんだよな

 なので、今日瑠夏が明らかに下心を持った男とホテルにいたのは腑に落ちなかった。



 瑠夏のことを考えているとリビングのドアがガチャリと開いた。

「シャワーありがと」

 ロングTシャツを来た瑠夏がソファーに向かってきた。

「俺もシャワーを浴びてくる」

 そう言ってすれ違うようにリビングを出た。頭からシャワーを被って、気持ちを落ち着かせたかった。

 適当にシャワーを済ませてリビングへ戻ってくると、瑠夏はソファーに座っていた。テーブルにはコーヒーメーカーから注いだのであろうコーヒーが二人分置いてあった。

――さて、どこから話をしたものか

 考えながらソファへと腰をかけたが、瑠夏からポツリと話し出した。

「……ホテルに一緒にいた人は今日初めて会った人だったの。モデル事務所の先輩から紹介を受けた人で、ホテルのロビーを待ち合わせ場所に指定されて、」
「……」

 無言で先を促した。

「最初は先輩も含めて三人で会う予定だったんだけど、急遽、先輩の都合が悪くなって。連絡先も知らないし、直接会って他の日に改めようとしら、会うなり腕を掴まれて『わかるだろ』と言われて。言い合っているうちに秀征が来たのよ」

――うかつだな

 口には出さなかった。

「なんでまたその人を紹介してもらったんだ?」
「……会社を作ろうとしてて、その人脈にもなるからって、先輩が」
「会社? 聞いてないぞ。」
「……目処がつくまで言わないようにしてた」
「なんで?」
「……悔しいから。」
「は?」
「秀征は実際にデザイナーで独立してるじゃない。付き合う前からだから独力でビジネスを始めて、会社を興したんだろうなって。なら私もできなきゃって」

 瑠夏は何か勘違いをしているらしい。

「俺、そういう意味では個人事業主だけど。税務絡みも士業をしている兄を頼ってるし」
「……へ? 個人事業主?」
「あぁ。そうだな」
「……。なにそれ!早く言ってよ」
「知らねぇよ。俺のことは置いといて、つまり瑠夏は自分の力で何か起業して会社を興したいのか?」

 大した力になれるわけでないが話してもらえないのはなんとも寂しかった。

「秀征は何でも自分でできるから」
「は?」
「デザイナーとして軌道にのってるし、何か私の知らない仕事も始めて、拡大路線なのかと。私はモデル事務所に言われるがままだから」
「そういうものじゃないか?俺もクライアントや仲介がいなければ仕事にありつけない」
「それでも、事務所の力で取れるから仕事になるの。私は自分じゃ何もできてない」

 会社の話からだんだんズレていっている気がしたが、どこか追い詰められている様子の瑠夏に、軌道修正を求められそうになかった。

「違うだろ。事務所も適任だから仕事を渡すんだろ。仕事が増えてるのは信頼されてるからだし、瑠夏じゃなければという需要もあるはずだろ。ここまでやって来たのは自身の力だろ」
「そんなことわかってる!」
「じゃあ何が言いたいんだよ。単なる独りよがりにしか聞こえないぞ」

 卑屈さをアピールされている気分になってきた。何を言えば彼女が満足するのか、まるで見えない。

「秀征と対等になりたいの!あなたの隣にいても恥ずかしくないように。秀征は口は悪いけど、どこか育ちが良さそうだし、ゼロから独立してデザイナーができてる。なんか新しいビジネスも始めて忙しそうだし。自分の知らないところでどんどん先に進んでる。私みたいな気の強い面倒な女もうまく扱っていつも余裕そう。かたやモデル事務所に従うまま仕事をしてた私とは違う」

 瑠夏が俺のことを変に美化している気がしてきて、ただただ居心地が悪かった。

「瑠夏は瑠夏なりに努力して仕事してきただろう。俺は俺のペースで生きてきただけだ。デザイナーの仕事だって都合が良いからやってるだけだし、運よく人脈に恵まれたから今でも続けていられる。あと新しいビジネスなんてないし、多分それ昔からやってる家業だから。兄貴が結婚の準備とかで忙しかったから俺に降ってきてるだけ。俺からしたらモデルをやりたくて努力を惜しまない瑠夏の方がすげーよ」
「……聞いてない」

 不機嫌そうに瑠夏が言っていた。

「……家業のことか?」

 瑠夏が頷いていた。何と説明をしたらいいのか分からず、頭を掻いた。

「内容は勘弁してくれ。そもそも俺も親戚以外には公に話せないんだ。確かに隠してきた。別に反社会的なものではないし、世間様に顔向けできないことをしている訳じゃない」

 瑠夏は納得できていないみたいだが、理解はしたみたいで追及してこなかった。

「……同棲をしないのも、それが原因?」
「あぁ、そうだ。で話を戻すけど、瑠夏は何を起業するつもりなんだ?」
「……きれいになりたい人を総合的なアプローチで支援するような会社。例えば学生をターゲットにしてプチプラコスメでのメイク教室を開いたり、古着やファストファッションで服のアドバイスをしたり。軌道に乗れば分野を広げて、日々の体のケアや、食生活や運動、生活習慣からできる体作りのアプローチそのものを提案するとか。美容に関連する事業体を一体化した施設を作ってコンシェルジュを置くとか、とにかくきれいになることを一貫して提供するような会社をつくりたい」

 スケールの大きそうな話だった。事業の是非はさっぱり分からないが、ただ呆気に取られていた。でもそれがある意味、瑠夏らしいとも思った。

「……私、ただ背が高いだけで運動も勉強も平凡でずっとコンプレックスだった。でも初めてメイクをした時に自分がすごく変わった気がして、少し自信が持てたの。モデルをしたかったのもその延長の話。モデルを目指してから秀征に会って、私とは全然違って、ありのままの自分を受け入れてる秀征が生きやすそうに見えてずっとうらやましかった。人のコンプレックスはなくせないけど少しでも解消する手助けをしたくなった」
「……俺からすれば、何かをしたいと思って、それに突き進める瑠夏の方が羨ましいけどな」

 瑠夏の顔が赤かった。

「……っ秀征が恵まれてるからよ!」
「なぁ、ずっと一人で何でもやろうとするのは疲れないか?俺、瑠夏の気の強くてはっきり言うところは好きだ。喧嘩になるのも構わない。そんなのは今更だしな。ただ一人じゃ折れそうな時に素直になれず、ただ強がられて意地を張られても、どうにもしてやれないし俺もキツい」
「……一緒にいたいって言ってもはぐらかすばかりじゃない」
「そうだったな……。なぁ……」

 兄にも妹にも尻を叩かれたし、ここまで瑠夏に言わせて何も言わないのはどうかと思うが、いざ口に出そうとすると、何か変態じみてて躊躇ちゅうちょする。

「……なに?」

 瑠夏が覗き込んでくる。

「あー、いや大丈夫」

 ふぅと一呼吸をおいて、覚悟を決めた。

「髪を短くして欲しいって言ったらどうする?」

 こう言うのが限界だった。しきたりを考えた先祖をちょっと恨む。

「ふぇ? 髪?」

 瑠夏はロングの巻き髪だ。考えもしてなかったことを言われたのか、珍しく瑠夏の声が裏返った。

「あぁ」
「短くって、どのくらい?」
「これより短くかな」

 顎のあたりを指さす。

「ちょっ、そんなに!? 本気?」
「本気じゃなければ言わねぇよ」

 こんなこと言いたくないとばかりに言い捨てた。

「……そういう趣味だったの?」

 いぶかしむように瑠夏が言い出した。案の定、勘違いをされていて額を抑えた。頭が痛い。

「ちげぇよ! さっき瑠夏が言った通り同棲はしない。一緒にいたいなら嫁いでもらうしかない。俺はできればそうしたい。瑠夏がどうかは分からないが、どうしてもハードルがある。髪だ。うちの実家には家業がある。それと同時にいくつかしきたりもあってな。その一つに初夜の前に妻となったものの髪を短くするというものがあるんだ」

 瑠夏はにわかに信じられなさそうだが、一応神妙しんみょうそうにして聞いてくれているようだ。

「本来は剃髪するんだが、それは当主と次期当主の妻だけで良くなっている。うちの実家はそういった一家だ。気味が悪くて別れると言われてもおかしくないと思ってる」

 瑠夏は黙りこんでいる。色々頭の中を整理しているのだろう。

「…………」
「まぁこんな唐突に言われても混乱するよな。返事はいつでもいい。どんなのでも受け入れるから」

 そう言ってコーヒーを飲み干す。冷めたコーヒーはかなり苦かった。

「……ほんとうの話なのよね?」

 やっと声を絞り出した感じだった。

――俺がどれだけ瑠夏に執着しているのか分かってないな

 ちょっとムッとなった。

「嘘でこんなことが言えるか?瑠夏が俺から離れるかもしれないのに」
「そんなこと」
「ないとは言えないだろう?昔、髪はモデルの武器の一つって言ってただろう」
「っ……」
「まぁ俺は仕事でもしてくるよ。今日は泊まっていってもいいし、帰るなら送ってく」
「……なんで」
「ん?」
「なんでいつもと変わらないのよ」
「言うほどでもないが。顔に出ないだけだ」

 肩をすくめた。今はまだ格好つけていられるだけで、いよいよ瑠夏が離れていくとなったらどうなるか分かったものじゃない。

「いつから考えてたの?」
「瑠夏と付き合い始めてからずっとだな」

 瑠夏が眉をひそめていた。

「どうにも分かっていないみたいだが、俺はいつだって瑠夏と居たい」
「……実家は、家業ってそんな絶対的なものなの……?」

 ふっと笑って瑠夏の頭を撫でた。理解できないのは当然かもしれない。

「俺は家を継がないにしてもやめることもない。瑠夏と天秤にかけているつもりもない。俺にとってそういうものだ。私より家業が大事なの?とか聞いてくれるなよ」

 最後は冗談めかして言っておいた。

「……」
「瑠夏? 何度も言うか返事は今日じゃなくて」
「決めたわ!」

 最後まで言わせてもらえず、言葉を被せてきた。

「髪は事務所に相談しなきゃいけないけど、あなたと一緒になる」
「へ?いいのかよ。仕事の幅が変わるんだぞ」
「そんなの何とでもなるわよ。それで髪はずっと短くないといけないの?」
「調整はできるけど、親族が集まる時はその方がいいかもな」
「なんで? それもしきたりってやつのルール?」

 勢いが良すぎて笑えてきそうだ。

「単なる見栄の張り合いだ。髪が短い方がより夫に愛されていると言う不文律ふぶんりつみたいなものだ」
「ずいぶん古風なのね」

――ウチの実家が古風……。やべぇ

 ぷるぷると肩が震える。笑いをこらえきれなかった。

「くっはははははははっ!う、ウチを古風。はははっ。当然だろ。あーおっかしー」

 ストレートすぎてお腹を抱えて笑った。遥か昔から続いている裏稼業を脈々と受け継いで、いくつもあるしきたりや風習をほぼ違えることなく踏襲し続けている。古風どころか化石と言っていいほどの代物だろう。

「な、なによっ」

 瑠夏は驚いているようだ。

「わりぃ。ちょっとツボだった」

 瑠夏は意味がわからないとばかりに首を傾げていた。

「良く分からないけど、ようは秀征は家業?とやらから離れられないんでしょ。なら私が受け入れるしかないじゃない。うじうじ考えるのは性に合わないし。まぁそれに仕事はちょうどいい転機だと思う」
「というと?」
「自分みたいなモデルならいくらでもいるし、これからもいくらでも出てくる。しばらくやってみて考え方も変わってきた。起業のことも含めてどこかで方向転換することになる。たぶんそんな時期に来ただけのことよ。それとも一緒にいない方を選んで欲しかったの?」

 意地悪そうに言ってくる。

「そんなわけないだろう! ……頑張って幸せにする」

 瑠夏を正面から抱きしめた。そうすると瑠夏は少し震えていた。

――結局また、強がらせただけかな……

「べ、別に秀征に幸せにして貰わなくても自分の力でそうなるように生きるわよっ」
「ははっ。頼もしいな」

 瑠夏に遠慮なく甘えてもらう日はまだまだ遠そうだった。



 コーヒーを入れ直し、しばらくリビングで話していた。二人で長時間話すのはいつくらいぶりだろうか。

「髪を切るって誰がやるの?」
「あー、たぶん俺」
「へ? ……人の髪切ったことあるの?」
「ないな」
「ちょっ、まじ、冗談でしょ!?」
「大丈夫だろ。まだ一年以上は先になるだろうし、俺器用だし。何とかなるだろ」

 瑠夏が額に手をやり頭を振っていた。

「……ほんとに大丈夫かしら」
「瑠夏が盛大に美化している彼氏様だろ。信じろよ」

 冗談めかして言っておいた。

「なに? その自信」
「あと家業のことを知りたければ、お互いの両親への挨拶が終わってからだな」
「うちの両親に家業のことを伝えるのは?」
「やめておいて欲しい」
「……厳しいのね」
「俺にはどうしようもないレベルでの守秘義務があってな」
「なにそれ。スパイ映画?」
「まぁ、他人に話すとたぶんそんな感想になるんだろうな。なにそれ、小説の話?ってな」
「華麗なる一族は大変そうね」

――華麗というよりかは陰惨いんさんだけどな

 声には出さず、心の中だけで自嘲するように呟いた。



 それからしばらくして、お互いの両親へ挨拶に行き、両家の顔合わせも済ませた。その流れで兄夫婦にも紹介をし、奥さんの弥生やよいさんとは意気投合したみたいだった。

 柚月は「ホント、ヘタレな兄よね。結局瑠夏さんしかダメなのよ。器用に見えるだけで、肝心なことは周りがケツを叩かないと動けないのよね。」とか偉そうに言っていた。

 それから瑠夏のモデル事務所との調整から結納に結婚式、お披露目式の準備はただただ目まぐるしい日々が続いた。

――兄貴たちはもっと大変だったんだろうな……

 そりゃあ溢れた仕事も大量に回ってくるよなと今更ながらに納得していた。

「秀征ってうちみたいな庶民とは住む世界が全然違うのね。親ガチャじゃないけど産まれの差って本当にあるのね……」

 瑠夏が色んな人への挨拶回りや想像を絶する細かい準備にめげそうになっていたが、持ち前の気の強さとバイタリティで何とかこなしてくれた。

 家業については、ただただ驚いて「世の中の常識が覆ったわ」とか言っていた。

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